第五話 黒色(こくしょく)の蝶
「おらそんなもんかぁ!?」
「まだっ…まだっ…!!」
いつものように庭には二人の声と木刀がぶつかり合う音が響く。薫も春薫と同じ、本来の大きさの木刀を扱うようになり剣術に更に磨きを掛けていた。変わったことと言えば、ここ最近春薫はよく一人で出掛けては着物に血を付けて帰ってきていたことだ。薫が何があったかといくら聞いても、いつも適当にあしらわれていた。一度後を追ったが平屋の玄関を出る前、出た後と気付かれ諦めていた。いつか話してくれると信じ、日々の鍛錬は怠らなかった。
「上達はしたが…!まだまだだなぁ薫ぅ!!」
「大口叩いていられるのも…!今の内だ!俺が勝ったら秘密にしていること話してもらうからな!!」
「はっ!上等じゃねぇか!」
薫が春薫に引き取られて二年。薫は着々と実力を付けていった。そんな薫が自分を超える日はそう遠くない、と春薫は思っていた。
「隙ありっ!!」
カン、という高い音と共に木刀が弾き飛び地面へと投げ出される。
「あっはっは!まぁた俺の勝ちだ!薫!!」
木刀を思い切り弾いたのは春薫だったのだ。悔しそうな顔をして春薫を睨む薫。
「まぁそんな顔するな!俺だって二年ちょっとで超えられたら堪らないさ。」
息は上がっていても、表情に一切の焦りもない春薫。そんな春薫を超えられないことに、薫は歯痒さを感じていた。そんな薫とは裏腹に、真っ直ぐな瞳を向けるようになった薫に、近いうちに超えられると春薫は考えていた。それが楽しみでもあった。
「いやぁでも危ない危ない。お前の成長ぶりは恐ろしいな。こりゃ超えられる日も…。」
言葉を途中で切り、急に真剣な表情に変わった春薫を、薫は不思議そうに見る。
「どうし…。」
しっと口元に人差し指を立て、薫の言葉を遮る。まるで小さな物音を聞くかのように、息を殺して。暫く経って春薫は口を開く。
「ちょいと出てくる。薫、お前は飯食っとけ。」
いつもの笑顔の欠片も見せないその表情に、薫は違和感を感じる。
「待てよ、何があったんだよ、教えてくれてもいいだろ?ここ最近の春薫はおかしい。」
「時間がないんだ。行かせろ。」
春薫の冷たい言い方に薫は一瞬怯む。が、引くわけにはいかなかった。
「そういう訳にはいかない。春薫にばかり任せられない。」
突如玄関の方から大きな音が聞こえてきた。
「…裏から出て行け。行ってくれ。」
春薫は玄関に背を向けたままチラッと背後を確認すると静かに、それでいてハッキリと言う。
「嫌だ。そうまでして俺を逃がしたいなら力ずくでそうすればいい。春薫なら簡単だろう?」
薫のそんな言葉に春薫は大きな溜息をつくと、静かに刀を抜いた。その流れるような動作は、あの時と変わらない。
「…こんな形になるとはな…。いいだろう。時間がない、本気で来い。」
そう言い終わるか否や、二人は剣…木刀ではない、真剣で斬り合った。今までの稽古で手を抜いていたわけではない。が、今まで以上に殺気が溢れ出ている本気の春薫を見るのは初めてだった。出会ったあの頃とは比べ物にならない位の殺気。引いたら負ける。薫にはそれが分かっていた。春薫に認められたい。同じ場所に並んで歩いて、恥ずかしくない程の実力を付けたい。その思いで薫は日々稽古に励んでいた。
「お前は俺には勝てない…!分かったら…早く行け!!」
「くっ!嫌だ!!春薫を置いては行けない!!」
キン、と甲高い音が鳴り、刀が床へと弾かれる。
「……ははっ…ここまで…とはな。」
刀を弾かれた春薫はその場で自嘲気味に笑った。
「…訳を、聞かせてくれ。何があったんだよ。」
息を切らしながら、恐る恐る問い掛ける。刀を拾い上げながら春薫は口をひらいた。
「お前の屋敷の当主、あいつらが最近になって俺の居場所を突き止めたらしくてな…。ここらへ俺らを探しに来た屋敷の連中を斬りに出掛けていた。ここ最近服に付いていた血は全てそいつらの返り血だ。」
刀を鞘に納めると、真っ直ぐに薫を見ながら続ける。
「…ま、もう心配はいらねぇな。薫、お前は俺に勝ったんだ。もう一人前だ。
玄関の戸が思い切り吹き飛ばされ、刀を構えた兵士が何人も迫って来る。その兵士達に背を向けた春薫。薫には迫り来る兵士達がハッキリと見えていた。そんな状況にも焦りを一切見せず、春薫はゆっくりと兵士達を向く。
「なぁに、俺がこんな奴らにやられる程弱かったか?お前はこれからもっと、この広い世界を見て回れ!!」
薫を一切見ずいつもの調子で言う。そして迫り来る兵士達へ駆けて行く。
「さぁ、行った行ったぁ!!」
その春薫の背中は頼もしく、大きく見えた。
「…嫌だ……嫌だ!!俺も戦う!!」
薫はそう叫ぶと、兵士を斬り倒して間合いを取った春薫の隣へ駆け寄る。そして静かに刀を抜いた。
「…ったく仕方ねぇな。俺一人に格好付けさせてはくれないか。」
兵士達と対峙しながらいつものように笑ってみせる春薫。
「当たり前だ。春薫に認められたのなら、俺は共に戦う。」
「はっ!そりゃあ頼もしいな。それじゃあ…行くぞ!!」
掛け声と共に駆け出す。迫り来る兵士を次々と薙ぎ倒していく。
「こりゃ驚いた。薫、お前とはやりやすいな。」
「春薫を見て育ったからな!!」
背中を合わせ、また駆け出す。あっという間にその場は静かになった。亡骸の上に立ち、息を荒げて天井を仰ぎ見る春薫は何処と無く儚げで、あの大きく見えた背中は今にも千切られそうな程繊細に見えた。そんな春薫を見ながら薫は廊下の壁に寄りかかり座り込む。その二人に会話は無かった。