受付嬢3
俺はヒルダの目を通し、男の顔をまじまじと見る。
それはつまり、ヒルダもじっくりと男を観察していると言うことだ。
これは脈ありかもしれない。ここはしっかり応援してやらなければ。要は邪魔しないように黙っているということだ。
ヒルダと男は楽し気に会話を弾ませていた。
それを俺は黙って聞いている。
……やはり気になる。この男どこかで会った気がする。声も聞き覚えがあるような気がする。
どこでだろう? 大会の受付にきた選手の一人か? それなら一瞬のことで記憶が薄れていても仕方がなけれど。
この男は、その時にヒルダを見初めたのかもしれない。
俺が納得しかけた時、ヒソヒソ声が聞こえて来た。
どこからだろう? 確認しようにも、ヒルダの視線が男に向いているため視界に限りがある。この視界の中にいればいいのだが。
俺は狭い視界の中、ヒソヒソ声の主を捜す。
目の前の男の後方、若い男達が集まってこちらを見ては、一喜一憂している。しかし、声が比較的大きい。彼等ではないようだ。
視界の奥、端の方にギリギリ見きれている女がいる。その女は一緒にいる友達らしき女と、こちらをチラチラ見ながらヒソヒソと話していた。
あまりいい気分はしないが、こちらが本命のようだ。
ん? あの女にも見覚えがある。どこで? 大会受付? いやいや、とてもじゃないが戦えるようには見えない。じゃあ、観戦チケットを買いに来ていた客? そちらは見ていないから覚えているはずがない。
俺が悩んでいると、ヒルダ達の会話も大詰めに来ていた。
「どうだい? これから場所を変えて話さないか?」
「ん~どうしようかなぁ……」
どうやら男の方が勝負を仕掛けてきたようだ。しかし、ヒルダは勿体ぶって返事を渋っている。
これが駆け引きというものだろうか。
奥の女達がこちらを見て何やら興奮気味に話している。
俺はその話声に聞き耳を立てる。
しかし、興奮していても声を潜めているため聞き取りにくい。
さらに集中すると、
「(ねぇ)」
(ぅへっ!?)
いきなりヒルダが話し掛けて来た。
不意を突かれた所為で、間の抜けた声を上げてしまった。まわりに聞かれていたら恥を掻くところだ。
「(な、何よその変な返事は)」
(いや、何でもない。で、なに?)
「(この人どう思う? なんだか感じ良さそうじゃない?)」
ヒルダはテンション高めに訊ねて来た。
もうこのテンションで気持ちは決まっているんじゃないか? 俺に聞く意味あるのだろうか? 同意してほしいのか? ていうか、ヒルダって気になってる男がいなかったか?
(ヒルダって、あのイケメン騎士が気になってるんじゃないのか?)
「(え? イケメン騎士って、ライアット様のこと?)」
(そうそう、そのライアット)
「(無理無理、さすがにそこまで夢見がちじゃないわよ)」
つまり、自分では釣り合わないと言うことか。そんなことはないと思うが。
でも、それで妥協してこの男というのも……むぅ。
(ん~見てくれは悪くないんじゃないか?)
「(見てくれはって、何よその言い方!)」
どうしたのだろう? ヒルダの機嫌が悪い。普通に感想を言っただけなのだが、棘があっただろうか? ……あったかもしれない。イケメン騎士と比較しちゃったし。
「(あ、もしかして嫉妬? ヤキモチ焼いちゃったの?)」
(なんで俺がヤキモチを焼くんだよ。意味わかんないぞ)
俺が首を傾げていると(イメージ)、ヒルダは「あっそ!」と言って男に意識を向けた。きっといい返事をするのだろう。
どうやらこの男に軍配が上がるようだ。他の男たちよ、ご愁傷さまだ。
しかし、俺の興味はこの男にはない。なぜだか奥の女達の会話が妙に気になるのだ。
俺はもう一度、聞き耳を立てる。
「(……アイツ、性懲り……口説いてるわよ)」
「(……取り巻きたちに……んじゃない?)」
「(でもあの娘、噂知……ら?)」
「(知って……。やっぱり本当か確かめ……い?)」
「(あ~あんたも……)」
取り巻き? 噂? 所々聞き取れなかったが、ヒントらしきものは聞こえた。
取り巻きか……そういえばこの男、ヒルダと話している最中、たまに背後をチラチラ見ていたな。そうそう、あの若い男連中だ。あれが取り巻きなのだろう。彼らに唆されてヒルダに声を掛けたのだろうか。
では噂は? ん? 噂? 噂、噂、噂……
俺は呪詛のように噂と呟くと、ハッとした。
(あ―――っ! 噂だ!)
「うえっ!?」
俺がいきなり声をあげた為、ヒルダは素っ頓狂な声を上げてしまった。
目の前の男は驚いた顔をしている。
またヒルダを目立たせてしまった。
男は心配そうにヒルダにどうしたのかと聞いていたが、ヒルダは何でもないと言い、乾いた笑いを漏らしていた。
が、今はいい。
(そうだよ、噂だったんだよ。うんうん、すべて思い出せば納得がいく。ルゼリオって名が引っかかったのも、この街の風景に見覚えがあるのも、この男とあの女の事を俺が知っていたことに納得できる。あ~スッキリした~)
俺は一人納得していた。それはあたかも五日間悩んでいた便秘が解消されたかのような喜びだった。この例えもどうかと思うが、それほどスッキリしたと言うことで勘弁してほしい。
しかし、納得いかない者がここにいた。
「(なによ! いきなり大きな声出して! いい雰囲気が台無しじゃない。)」
(いや、雰囲気を壊したのは俺じゃないだろ)
「(う、そういう屁理屈はいいのよ。それより! 何がスッキリしたの? この人の事も知ってるようなこと言ってたし、あの女って?)」
ヒルダが視線を走らせ奥の女に視線が向くと、女はスッと視線を逸らした。まあ、盗み見てヒソヒソ話していたのだ、後ろめたいのだろう。
ヒルダはその女を見ると、なぜか不機嫌そうになる。
「(綺麗な人ね。知り合いなの?)」
(いや、知ってるだけだぞ)
「(知ってるだけってどういうこと?)」
(まあまあ、そんな事より早く返事してやったらどうだ? 待たせるのも可哀想だろ?)
「(え、うん……)」
ヒルダは、男と奥の女をチラチラ見て、何やら考え込んでいる様子だ。
うんうん、大いに悩め若者よ。自分の人生、後悔しないようにしっかり考えるんだぞ。俺はお前の決断を応援する! と、俺は寛大な心でヒルダの決断を待つ。
「(ああもう! 気になって返事できないじゃない。いいから聞かせてよ! 何を知ってるのよ!)」
それもそうだ。新たな情報が目の前にぶら下げられていれば、それが気になるのも無理はない。返事をした後にその情報を開示され、後悔などしたくはないだろう。
まあ、そこまで気になるんなら話すのもやぶさかではない。
(仕方ないなぁ。実はな、この男には二つの噂があるんだ。下町では結構有名な噂なんだけど、お前本当に知らないのか?)
「(え、うん。だって私、ここにはあまり来ないから。それでどんな噂なの?)」
ヒルダは興味深々と言った感じで話を促してくる。女は噂好きだと聞いた覚えがあるが、どうやら本当のようだ。
ヒルダは俺の話が気になって、目の前の男を完全に無視しているがいいのだろうか?
まあいい、話を進めよう。
(噂の一つは、「綺麗な女性に声を掛けては次々と男女の関係になっている」というものだ。よかったな、お前は綺麗だと評価されたようだぞ)
「(え……)」
ヒルダは喜ぶどころか、目を細めて男を捉えていた。睨んでいるようだ。
自分もその毒牙に掛かるところだったと思い、怒りがこみ上げてきたのだろう。今にも手を出してしまいそうだ。
「(なにこの最低男。死ねばいいのに)」
(お前、たまに怖いよな)
「(だってそうじゃない! こんな最低男! それに噂が拡がってるのにどうして被害女性が後を絶たないよ!」
(まあこの男、見た目はイケメンだからな。こんな男に言い寄られれば、一度くらい抱かれてもいいって考える者もいたんじゃないか?)
「(嘘!? 信じらんない! その娘バカなんじゃないの?)」
(お前だってなびきそうだっただろ?)
「(うっ、私は、違うわよ……)」
(そうか? まあ、いいけど。たぶん、そういう娘は小数のはずだ。大半はもう一つの噂が関係している。どんな噂かわかるか?)
俺が訊ねると、ヒルダは「う~ん」と考え、何か閃いたように顔を上げた。
しかし、すぐには答えず、何やら言い難そうにしている。
「(えっと、その……)」
(ん?)
「(この男が、その、上手だった、とか?)」
(なるほど、テクニックがすごいと)
ヒルダが折角濁して言ったことを、俺がズバリ言ってしまったため俯いてしまった。
傍から見たら、怒っていたのに考え込みいきなり俯く、と言う奇妙な状態だ。
目の前の男も怪訝そうにヒルダを見ている。
(お前はそんなことを考えながらこいつを見ていたんだな)
「(ち、違うから! 女性の被害が減らない理由を考えただけだから! そんな事考えてないから!)」
ヒルダは必死に弁明しているが、すでに後の祭りだ。俺は少し距離を置くことにした。
(それでですね。噂と言うのは、あなたが考えたようなものではなくですね)
「(ちょっ、ちょっと! 口調が丁寧になってるんだけど! 距離を感じるんだけど!)」
(え? そんなことはないですよ。きっと、気のせいですよ)
「(気のせいじゃないよぉ、絶対距離置いてるよ~、私そんな女じゃないのに~)」
ヒルダはカウンターに突っ伏してしまった。傍から見たら、情緒不安定な女に見えていることだろう。
なんだか可哀想になってきた。これ以上やったら、ヒルダの人格が疑われてしまう。さすがに俺も、そこまでのひとでなしではない。これくらいで勘弁してやろう。
(冗談はこのくらいにして、本題なんだが)
「(からかったのねっ!?)」
ヒルダはガバッと顔を上げた。もう、やばすぎるから落ち着こう。
(もう一つの噂は、この男、実は機能不全なんだ)
「(機能不全?)」
(ああ、勃起不全。つまり勃たないんだ)
「ぼ、勃起不全! この人、勃たないの!?」
ヒルダは立ち上がり、男を驚愕の表情で見据え、声高らかに言い放っていた。
酒場中にヒルダの声が響き渡り、そしてシンと静まり返る。
(バ、バカ! 声に出てるぞ!)
「え!?」
ヒルダは素早く口を押さえたが、もちろん遅すぎた。
その衝撃の情報は、酒場にいる全員の耳に入ってしまっていた。
客たちは笑いを堪えるのに必死な様子。男の取り巻きたちは信じられないと言った表情。奥の女性たちは俯いている。密かに噂し笑いものにしていた男が、公衆の面前で真実を明かされてしまい、その姿が憐れで笑えなくなってしまったのだろう。
そして、目の前の男の顔は青ざめ、動かなくなってしまった。ショック死してしまったのかもしれない。
いや、ヒューヒューと呼吸音が聞こえる。生きてはいるようだ。男としては死んだも同然だが。
「(ど、どうしよう……)」
(そうだなぁ、とりあえず謝って、お勘定払って帰るんだな)
「(う、うん)」
ヒルダは余程動揺しているのか、俺の言った通りの行動をとった。男に謝罪し、お勘定を支払い、お騒がせしましたと他の客たちにペコペコ頭を下げ店を出た。
正直、謝られても彼の崩壊してしまった人生は帰ってこない。もうこの街では暮らしていけないのではないだろうか。
なんだか悪いことをしてしまった。
「(なんだか悪い事しちゃったなぁ)」
ヒルダも同じことを考えていたようだ。まともな人間ならば、そう考えるのが普通だろう。
(まあな。だけど自業自得だろ? ただ見栄を張るためだけに、こんなくだらない事を続けていたんだ。そのツケが回ってきただけだよ。それに、これだけ噂になってるんだ、いずれ同じことが起こっていたはずだ。ヒルダが気にすることじゃない)
「(私の事、慰めてくれてるの? ありがとう……ん? ひょっとして落ち込んでる私を慰めて口説こうとか思ってる? 残念でした。私はそんなに軽い女じゃありませ~ん)」
(なんでそうなる。少しイラッとしたぞ)
「(またまた~照れなくてもいいじゃない。私の魅力にメロメロなくせに~もう、私って罪な女よねぇ)」
(こいつ……)
決してヒルダが言うような理由ではない。あのときもう少しうまく伝えておけば、あんな事態にはならなかったはずだ。俺はそれを悔やんでいたのだ。だから、それでヒルダが気に病むのはなんだか違う気がした。ただそれだけの話だ。
落ち込んでいたはずのヒルダは、なぜか上機嫌となり、足取り軽やかに石畳の道を歩いてく。
道の突き当りを曲がると、暗がりから大きな影が飛び出し、ヒルダを羽交い絞めにした。
「キャッ!?」
(ヒルダ!)
俺は先程の機能不全男が意趣返しに来たのかと思ったが、どうも体格が違うようだ。あの男よりも大柄で、ゴツゴツした腕をしている。野性的と言った感じだ。
「おい、ねえちゃん! お高くとまってんじゃねぇよ。その綺麗な面、すぐに快楽で歪めてやるよ!」
背後からそんな声が聞こえて来た。
ヒルダは恐怖からか声も発せず、硬直しているようだ。
無理もないだろう。普通の女の子が強姦に襲われれば恐怖で委縮してしまう。
しかし、そんな悠長な事を言っている場合ではない。俺がいるとはいえ、俺はこの強姦魔を叩きのめすことは出来ないのだ。できることと言えば、ヒルダをどう逃がすか、その方法を考えること。後はヒルダの委縮した心と体を解きほぐす事だけだ。
(ヒルダ! 俺の声を聞け! 恐怖で委縮してたら逃げられるものも逃げられなくなるぞ!)
しかし、ヒルダは聞こえていないのか何の反応も示さない。このままでは本当に取り返しのつかないことになってしまう。早く正気に戻さなくては!
(ヒルダ! 俺の話を……)
そう俺が言いかけた時、
「はぁぁぁぁぁっ!」
ドスッ
「ふぐっ!?」
「うりゃあぁぁっ!」
ドズン
強姦魔は鳩尾に肘を入れられ、悶絶しているところを背負い投げされていた。
それを行ったのは、他でもないヒルダだった。ヒルダは、息一つ乱すことなく強姦魔を見据えている。
俺はなにが起こったのかわからず、一時放心してしまった。
強姦魔はヨロヨロと立ち上がると、腰からナイフを取り出した。
「クソッ、よくもやりやがったな。女だと思って手加減してやったってのに、このクソアマが! もう容赦しねぇ」
(こいつ、丸腰の女相手にナイフ取り出しやがった!)
ジャラ
(ジャラ?)
「ふっ!」
ヒルダはナイフに怯むどころか、どこに隠し持っていたのか鎖鎌を取り出し、クルクルと鎖を回すと強姦魔に投げ放った。
ゴンッ
鎖の先端についている分銅が強姦魔の眉間に直撃し、強姦魔は膝を折って倒れ込もうとする。
ヒルダは再び鎖を放つと、グルグルと巻き付け、強姦魔を拘束した。
強姦魔は拘束され受け身も取れず、顔面から地面に倒れた。
ヒルダは鎌から鎖を外すと、鎖をポイッと放る。
そして、いつの間にかヒルダが持っていた鎌は無くなっていた。
(……え?)
「だから言ったでしょ。大丈夫だって。フフン、見直したでしょ?」
(あ、ああ、何が何やらわかんないけど、俺が女だったら間違いなく惚れてた)
「なんで女なのよ! 男のまま惚れなさいよ!」
痛い目に遭わないように気をつけろと言った時、自信満々で「大丈夫」と言っていたのはこういうことだったのか。この程度の強姦魔では、ヒルダをどうこうできないほどにヒルダは強かったのだ。
ヒルダは「なんで女なのよ」とブツブツ言いながら、気を失っている強姦魔を足蹴にしている。
(ん? こいつどこかで見たな……)
「え? そう? 私、強姦魔に知り合いなんていないんだけど……あんたの友達?」
(ちげぇよ! 俺にもそんな知り合いいねぇよ!)
失礼なことを言う女だ。俺は真面目に言っているというのに。
俺とヒルダは強姦魔をまじまじと見る。右額から顎にかけての大きな傷、無精髭に薄汚れた武具、山賊っぽい外見をしている。人を外見で判断してはいけないが、外見通りの事をしてきたため弁護のしようがない。
ん? 今の件は確か……っ!
俺が気付いたのと同じく、ヒルダもこの男の顔を思い出したようだ。
「あ! こいつ大会の選手だ!」
(ああ、確かサイ、サイ……サイ何とかって、名前負けしたヤツだ)
「こいつずっと私の胸見てたのよね。ホント気持ち悪い」
ヒルダは嫌悪感を隠すことなく言い放った。胸をジロジロ見ていた男が強姦魔だったのだから仕方がない。
しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。
(これ、どうするんだ?)
「(そうねぇ、運ぶのも面倒だし、このまま放置して、後で巡回の兵に伝えて捕らえてもらいましょ)」
ヒルダはサイ何とかを蹴り飛ばし仰向けにすると、ご丁寧に「私は強姦魔です」と張り紙をした。
そして、サイ何とかを放置すると、再度家路につく。
その途中で巡回する兵に事情を説明し、サイ何とかを捕らえるように願い出ていた。
今頃捕まっていることだろう。
機能不全男、プロローグで話題に出た男ですね。
サイ何とか、弱し。