その9
学校を休んだアブリルが心配でリテアは彼女の家を目指す。学校を終えて真っ直ぐに城に行く習慣が途絶えたのはこの日が初めてだ。ウルリックが心配するかもしれないが、魔法を使った研究に忙しい彼は時間を忘れるのが常であるため、後で遅れたことを誤れば許してくれるだろう。それよりもアブリルが心配でならない。家にはアブリルの母親がいたが、アブリルは臥せって寝ているのだという。
「最近調子が悪いみたいで。学校で何かあったのかしら?」
「あの……ちょっと友達付き合いで。でも大丈夫です、大したことじゃないので。」
どうやらアブリルは母親に打ち明けていないらしい。部屋に通されると布団に潜り込んだアブリルがそっと顔を覗かせた。
「ウルリック様はなんて?」
魔法薬を待っていたのだ。堕胎薬の存在所か話が出来なかったと伝えるとアブリルはがっくりと寝台に崩れた。
「この様子じゃセルダンにも話してないよね?」
「彼の人生を変えてしまうと思うと……どうしても言えないの。」
親にもセルダンにも話せない、産めないと泣き出したアブリルを前に、リテアはどうしようも出来なくて息を吐く。セルダンの婚約は家同士のやり取りで彼だけの問題ではない。アブリルの妊娠がガイアズのお嬢さんに知られればどうなるのか。あちらから婚約破棄を言い渡されるのは恋人たちにとっては良い結果となるが、ガイアズに睨まれた格下の商家がこの先やって行けるかとなると難しい状況に立たされるだろう。ウルリックの女性嫌いや拒絶反応の事は解っているが、何とかもう一度聞いてもらえないかと頼まれ、やつれてしまったアブリルを前にリテアは断れなかった。
足取り重く城に向かい、ウルリックの待つ研究室へと向かう。扉を開けて挨拶するとウルリックが顔を上げた。
「もう昼?」
「ごめんなさい、今日は少し寄り道をして遅くなってしまいました。」
昼などとうに過ぎているのに時間の感覚がないのだろう。ウルリックはそうなんだと一人納得して、足元に散らかった塵を踏みながら席を立つ。普段から腕を引かねばなかなか動き出さないのに今日に限って自主的だ。昨日の事が尾を引いているのかも知れない。リテアは意識して笑顔を作るとウルリックと共に食堂へと向かった。
このままではいけない、放っておいたらお腹の子はどんどん大きくなるのだ。食事を終えたリテアは私用と断って別行動をとる。ウルリックも察したのか何も聞かずに頷いた。リテアが向かった先は魔法師長室だ。前もってウルリックが話してくれただろうか、興味のない事や嫌な事には腰の重いウルリックなのでまだだったろうかと、扉のを叩くのを躊躇していると思いかけず中から開かれる。
「入りなさい。私で良ければ相談に乗ろう。」
ウルリックからは聞いているからと促され、綺麗に整理整頓された日当たりの良い魔法師長室へと足を踏み込んだ。リテアがここに来るのはほとんどない、ウルリックに世話になっているからと言っても自分の立場を弁えているからだ。けれど今日だけはそれもお預け。魔法師長であるレオナルドにお願いなんて本来ならできる立場ではないが、親友の為と重い心を抱えてレオナルドを真っ直ぐに見た。
「女性の事らしいね。ウルリックがこれでもかと情けなくなっていたよ。」
そこにいないのに会話すらままならず落ち込んだウルリックの様子を思い出してレオナルドは笑う。リテアはつられる様に口角だけあげたが直ぐに真顔に戻った。
「魔法薬って本当に存在するのでしょうか?」
存在を確かめようと単刀直入に聞けば、レオナルドは意外そうな顔をした後で「成程」と一人納得した。
「ウルリックが側にいるからこそ君には必要なかったし、知る機会にも恵まれなかったのか。」
魔法薬は出回ってはいないが存在自体は割と知られている物らしい。名の通り魔法を使った薬で、けれどリテアは側にウルリックがいるので魔法薬に頼る必要が全くなかった。それに魔法は万能なようであって危険な代物でもある。魔法で治癒すれば効果は高いが、耐性が付きやすく、怪我や病で魔法による治療を受けていると自己治癒力を失うのだ。戦争で多くの怪我人が出ていた時は治療に魔法が頻繁に使われたが、平和になった現在は一般的な治療法ではなくなっていた。
「飲食物に目的の魔法を仕込んだ薬を魔法薬というんだ。」
「でも魔力は物に溜め込みにくいのではありませんでしたか?」
ウルリックは魔法を使った道具を開発しているが、魔法を込める媒体を探し出すのにとても苦労していた。高価な鉱石でなければならず、それを縮小化するのに成功はしていたがやはり今も鉱石を使っていた筈だ。リテアはレオナルドの執務机に置かれた通信機に目をやる。これもウルリックが開発した、遠くにいる人間と会話を可能にしてくれるという道具のはずだ。
「その通りだ。だから魔法薬の使用期限は最大で一日程度と極めて不便でね。魔力は物に定着し難い。それに人手に渡り悪用される危険もあるので、今は無暗に作るのが禁じられている。友達に治療が必要なら私がウルリックに代わって診察してもいいのだが?」
どうすると問われ、リテアは迷いから俯いた。それほど使用期限が短いのなら、渡した途端に使われてしまいそうだ。妊娠したのはアブリルだし、産むか生まないかの選択を子供に責任を持てないリテアが出来る訳ではない。それでも子供の父親であるセルダンとだけは話し合って貰いたかったのだ。どうしようと迷うリテアにレオナルドが呼びかける。
「リテア、どうした?」
「妊娠したんです!」
弾かれるように顔を上げ声を出せば、目の前ではレオナルドが驚き目を見開いている。
「あの……」
「―――君が?」
「いえ、友達が―――」
すっとレオナルドの目が細められ、確認されていると感じたリテアは視線を外して大人しくしていた。数度呼吸を繰り返す時間を置いてレオナルドが「すまない」と謝罪する。
「勝手に診察されるのは気持ちの良いものではない。しかも女性に対して、申し訳なかった。」
「少しも嫌な気持ちになんかなっていません、どうか頭を上げて下さい。あの……アブリルっていう、仲のいい友達なんです。」
下げた頭を戻したレオナルドにリテアは事の経緯を詳しく話して聞かせた。力だけ借りるのは卑怯だし納得できないだろうと考えたからだ。話を聞いていたレオナルドは眉間に皺を寄せ次第に険しい顔つきになっていく。
「彼女はご両親の保護下にある。確かに間もなく成人であるし、子供を産んでも咎められない年齢ではあるが、親や相手の男に秘密にしてというのは良くないな。言い方は悪いが、原因に結果が伴っただけで、結果が気に入らないから処分するという安易な考えに手を貸すことはできない。処分されようとしているのが何の抵抗も出来ない小さな命なら尚更だ。」
冷たいようで大人の発言をしたレオナルドの言葉に、リテアは内から込み上げてくる感情が抑えられなくなった。息を詰めた途端に一気に涙が溢れ出す。大人と変わらぬ年齢になったとはいえまだまだリテアは子供だった。何よりも大人になるのを厭うリテアにとって、同じ歳の友人が妊娠したというのはかなりの衝撃となったのだ。初潮を迎え子を宿せる体を得ても、その先にある事態をまるで認識していない、そうなることを誰よりも避けて日々を過ごしていたリテアにとっては頭を殴られるほどの衝撃で。打ち明けられ、何とか力にならなければと思いながらも、リテア一人ではどうしようもない事態に戸惑い震えていた。
「わたっ……わたしも、どうしたらいいのかっ。解らなくてっ!」
アブリルの気持ちもわかるのだ。けれどお腹にいるのは愛する人との間にできた子供で。それを無かったことにするのがとても嫌だった。けれどアブリルにある選択肢は堕胎の一択。産むのは難しいというのも解るが、それなら何故と、セルダンにも相談せずに一人で抱え込んで決めてしまわなくてもと思いながら、堕胎に対する考えをはっきりと拒絶が出来なかったのは、どうしようもない身を抱えたのがアブリル本人であり、自分に置き換えて考えてしまうから。迷いながらも何もできない我が身に苛立ち、どうしてよいのか分からなくて不安だった。こうして大人に相談し、はっきりとした答えがもらえてほっとしたのだ。白くなるほど握りしめた手が震え、それにレオナルドの手が重ねられる。
「必要なら魔法薬を処方しよう。ただし彼女のご両親と相手の男に話をつけるのが条件だ。」
堕胎するしないは話し合いになるだろう。もし堕胎を選択した場合、医師による手技よりも魔法の方が失敗はないし、伴う痛みも後遺症も極めて少なく負担は減らせる。
「私が間に入ろうか?」
「それは―――駄目です。ガイアズ商会の事もありますから、その時は魔法薬だけ。お願いします。」
国で一番大きな帝家御用達の商会だ。そのご息女の婚約者であるセルダンに魔法師長が係われば何処でどう大きな話になるか解らない。口出しさせる事態にでもなれば、小娘に操られているとの不名誉な噂を発たせてしまうかもしれないのだ。ウルリックだけではない、レオナルドにも多大に世話になっている。相談に乗ってくれるまではいいがそれ以上はリテアも望んでいなかった。
魔法師長室の扉を開くと暗い顔をしたウルリックが立ち尽くしていた。部屋から出て来たリテアを気遣う様に眉を寄せ、口を開きかけたがきつく噤んでしまった。こういう時のウルリックは役に立てない我が身に落胆している。リテアは頭を下げてレオナルドへの取り継ぎに対して感謝を示した。
「これからアブリルの所に行ってきます。」
真っ直ぐに見つめてくる養い子の茶色の瞳に、何か言いたげだったウルリックはようやく体の力を抜いて小さく頷く。
「行っておいで。気を付けるんだよ。」
小さくなっていく少女の背中を二人の魔法使いが見送る。付き纏いすべての面倒を見るのは可能だが、甘やかしすぎてはリテアの為にならないとレオナルドは思っていたのだが。
「お前、すこし過保護すぎやしないか?」
「―――そうかな?」
「追跡魔法はまだいいが、リテアが泣き出した途端に扉の前に現れただろう。しかも転移だ。私に任せたくせに偶然にしてはタイミングが良すぎる。どんな魔法を使ったんだ?」
リテアと暮らすようになってウルリックはリテアが何処にいるのか分かるよう、常に追跡する魔法をかけていた。リテアは綺麗な容姿をしているし、ウルリックが面倒を見てレオナルドが目をかけているのは割と知られている。万一誘拐されたときの為に必要となるのでレオナルドも口出しした例はない。しかし今回、リテアの事をレオナルドに任せたくせに彼女が泣き出した途端、部屋に直接ではなく扉の前に転移して現れたのだ。急用ならレオナルドの目前に現れただろうし、何よりも転移の魔法は高度で膨大な魔力を使用するため使いこなせる魔法使いはあまり存在しない。身代わりとはいえ魔法師長という地位にあるレオナルドも使えたが、魔力の消費が著しく使用経験は訓練を含め指で数えられる程度だ。一度使えば一日ぐったり寝込むのも珍しくない。そんな魔法を使っても大して消耗していないウルリックには付き合いの長いレオナルドですら驚かされるが、そうまでして慌てて駆けつけた理由が解らなかった。
「新しい魔法を開発したのか?」
「―――感情に反応するように、ちょっと仕掛けを。」
言い難そうに口の中でもごもごと言い淀むウルリックをレオナルドは細めた白い目で捉える。離れた場所にいる人間の感情を知るような魔法など存在しないし、あったとしてもレオナルドは認識していない。無言で睨まれるウルリックは仕方なく白状する。
「辛い目にあっていないか心配だろう? 何かあった時はすぐに駆けつけて近くでこっそり見守るようにはしているんだ。確かに君に預けたが、泣くなんて母親が死んで以来だからどうしたんだろうと心配になって。レオナルドに見つかるのは解っていたけど、保護者としての域は逸脱してないと思うよ?」
リテアが誰と何処に出かけても気にしないのはそのためだ。知りたければ何処にいるのかすぐに解るし、心配になればすぐに転移魔法で駆けつける。勿論こっそり、見つからないように姿を隠して。
「何時から?」
「その……彼女が初潮を迎えたあたりから。感情にかかわる魔法は開発中で完璧じゃないけど、泣いたりすればそれなりに感じ取れる。」
「お前さ、これが本物の親子なら気持ち悪がられて口もきいてもらえなくなるところだぞ。」
「あ~、うん。想像できるよ。君は気を付けた方がよさそうだね。」
待望の可愛い女の赤ちゃんが生まれて間もない友人に、ウルリックは自分の事は棚に上げ子供もいないのに真面目に助言する。レオナルドは反論しかけたが、言葉の代わりに息を吐き出した。
「まぁいいだろう。リテアと彼女の友人の事は私が預かる。」
「すまないね。でも―――堕胎薬が必要になったら私が処方するよ。君にやらせるわけにはいかない。」
長く不妊に悩みようやく子供を授かった友人に、胎児を殺す薬を作らせるわけにはいかなかった。意を突かれたレオナルドは目を見開いたが、ウルリックは眉を下げて情けなく笑う。
「汚れきった私にはお似合いだ。」