その7
二つの授業を終えたリテアは三時限目までの中休みになると、人目に付きにくい木陰に落ち着いて授業の復習をするのが日課だ。予習である程度の事をやって授業でおさらい、解らない所はまとめてウルリックに訪ねてというのが流れとなっている。文官を目指すリテアは何か国かの外国語の授業も選択しているのだが、努力しても解らない所はいくらでもあった。授業で得たばかりの知識を逃がすまいと復習に勤しんでいると、ノートを辿る視線の片隅に人の足が映り込み、誰だろうと顔を上げると穏やかそうな少年がリテアを見下ろしていた。くるんとした焦げ茶色のくせ毛がとても印象的だ。
「初めまして、リテア。僕はコリン=ファース。」
「……リテア=フロスクです。」
時々セルダンと一緒にいるところを見かけたことがある、最上学年の少年を座ったまま見上げる。此方を知っているようだが一応名乗ると、「隣いい?」と尋ねられたのでどうぞと答えた。
「うわぁ、パフィス語を選択しているのか。僕も選択してるけど苦手なんだ。」
ノートを覗き込んだコリンが苦笑いを浮かべ、リテアはノートとコリンを交互に見てからコリンに視線を合わせた。
「あの、何か御用ですか?」
いったい何だろうと不審な目を向ければコリンは口ごもり、照れを隠すように頭を掻いてから柔らかく笑った。
「君と友達になりたくて。」
「友達?」
コリンはセルダンと友人なのかもしれないが、リテアとは特に接点はない。顔もちらりと見た程度で記憶力がいいのとくせ毛が印象的で覚えているがそれだけだ。会話を交わすのも初めてで不審そうに目を細めてみていると、コリンは咳払いをして真正面を向いた。
「実はね、君に告白しようと思って探して声をかけたんだ。けどこうして言葉を交わしてしまうと、玉砕して友人に慰められて終わるのが嫌になって。だから告白は止めて友達申請を。」
そういう訳だよと頬を染めて俯いたコリンは瞬きを繰り返していた。
少し前にセルダンから友人と会ってくれないかと問われたことがあったのを思い出す。その友人がもしかしてコリン=ファースなのだろうか。リテアは返事に困りながらノートに視線を落としてパフィス語の文字を辿ったが、頭ではどう答えるのが正解なのだろうと考える。
告白、しようとしたが止めたのだとコリンは言ったのだ。これは告白されていない部類に入るのだろう。となると、お付き合いできないとは返事が出来ない。だからと言って告白に近い現在の状況でお友達になると了承してはいらぬ気を持たせてしまうのではないだろうか。
「あの、わたし―――」
「本当に友達でいいからっ!」
どうしたらいいか解らないと素直に言いかけた所を、断られると思ったのかコリンがすごい勢いで言葉を挟んでくる。
「僕が君を好きになったのは本当だけど、君は僕を知らないし、僕も君の事を良く知らない。だから友達になって僕を知って欲しいんだ。僕も君を知りたい。本当に、本当に無理に何かを望んだりしないし、僕の気持ちを押し付けたりしないと誓うよ。本当に友達でいいんだ!」
僕きみ本当にと友達―――同じ言葉を必死に繰り返すコリンが何故か可愛らしく感じて、リテアは思わず小さく吹き出した。
「あ……えっと、しつこくてごめん。」
「ううん。いいよ、友達。」
「ええぇっ、本当?!」
「うん、友達ね。でもわたし忙しいから遊んだりできないよ?」
それでもいいのかと問えばそれでいいと幾度も大袈裟に頷かれる。コリンの気持ちを知っているのにどうして友達を了承してしまったのかよく解らなかったが、あまりの必死さに嫌とは言えない感情が勝ってしまったのだ。それにアブリルの彼氏であるセルダンと友人関係にあるというのが応じる後押しをしたというのもある。実際にリテアは忙しい毎日を送っているので駄目だと判断されれば、これまでの友人たちの様に勝手にいなくなってしまうだろう。それはそれで寂しいと感じるが、リテアの生活がそうなのだから変えるつもりはない。何よりも優先させたいのは今の生活なのだ。
予想に反しコリンは中休みになると毎日リテアの座る木陰にやって来た。挨拶して少しお喋りをすると、リテアの邪魔をしないようにコリンも教科書を広げて勉強を始める。特に変わった事を話す関係にはないが、同じ学校に通うただの上級生でもない。隣に腰を下ろしても必要以上に近づいてくることも、恋愛関係の話題をしようともせず、天気がいいとか授業はどうとか当たり障りのない会話だけである。どちらかというと物静かな少年で、コリンもセルダンと同じで卒業後は上の学校に進学し裁判官を目指すのだと教えてくれた。
「どうして上を目指さないの?」
それだけ頭がいいのにもったいないと不思議そうにするコリンは、自分が二つも年上なのに苦手なパフィス語はリテアに質問して教えてもらう事があった。他の教科ではそんな事はないのだが、パフィス語に限らず外国語は得意ではないらしい。
「人のお金で生活させてもらっているから。それに上の学校に行くと男の人はいいけど、女だと嫌われるって聞いて。疎まれて仕事がやり難いのって面倒じゃない?」
勉強はしたいが最終学歴にはこだわらない。リテアの学費はガイアズ商会からの口止め料で賄われていたが、ウルリックに引き取られてからは彼が学費と生活費を出してくれているというのを知っていた。ウルリックはリテアの為にガイアズから得た援助金に手をつけずに貯金してくれているのだ。知らない振りはしても、実際に知っているだけに無駄な望みは持たない。この時代は男性優位な世界であったし、女が飛びぬけて出来る存在であると疎まれ嫌がられるものだ。リテアにとって必要なのは城勤めに必要な最低限の学歴であって、他は必要ではない。欲しい知識はウルリックが与えてくれるというのもあった。
リテアの主張にコリンは曖昧に微笑む。男尊女卑の傾向は現実にあるし彼も否定できなかったのだろう。男であるコリンであっても社会に出れば庶民と貴族の差に不条理を感じるのだ。
「コリンは裁判官を目指すのよね?」
「そのつもりだけど、パフィス語が必須だから最終的にどうなるか分からないや。」
「それは努力次第じゃない。でも裁判官はそれ以外にもいっぱい勉強しないとだから大変そう。頑張ってとしか言えないわ。」
自信なさげに笑うコリンを励ますが、上の学校に進んだら勉強漬けになるのは目に見えていた。庶民は授業が午前中で終わり、余裕のある家庭の生徒は午後も選択できるが、大抵は家の手伝いや資金的な問題でリテアの様に午前中だけ勉強する生徒が多い。それ以上の学校にはお金持ちの庶民か、何らかの形で資金援助をしてもらわなければすすむのが難しいのだ。特に裁判官や医者などの専門性の高い職業を目指す場合は必ず上級の学校に進学せねばならず、その分野には貴族出身者が多いため競争もだが人間関係も厳しくなる。何処となくぼんやりして優しい性格のコリンが上手く渡り歩けるだろうかと、浅い付き合いのリテアですら心配になってくる始末だ。
その後はいつも通り黙って復習に専念していると、アブリルがリテアの名を呼びながら走ってやって来るのが見えた。もうすぐ三時限目が始まるのでリテアはノートを片付けながらアブリルを迎える。
「ねぇ二人とも。今度の収穫祭一緒に行きましょうよ!」
秋の実りを祝う祭りが大々的に開催される。リテアはアブリルと行った事はあったが、彼女がセルダンと交際するようになってからは、誘われても遠慮して祭りに出かけることはなくなっていた。当然ウルリックは誘っても出かけるような人ではないので、祭りの日はリテアも家に籠って家事や勉強といった普段の休日と変わらぬ日を過ごす。今年もそのつもりでいたが、アブリルはリテアに異性の友人が出来たのを機会に四人で祭りに参加したいと言い出したのだ。
「いいよねリテア?」
アブリルの中でコリンは問わずとも参加決定なようである。リテアも四人なら一緒に行ってもいいように思うが、リテアとコリンは恋人関係にはない。アブリルとセルダンの邪魔をしたくないというのもあったし、コリンに要らぬ期待を与えるのも良くないと考えて断ろうとしたのだが。
「僕は人混み苦手なんだ。」
と、コリンが察して先に断りを入れてくれたのだ。まさかリテアと祭りに参加できる機会をコリンに断られると思っていなかったアブリルは、驚いて目を丸くし『本気なの?!』と詰め寄った。
「コリンが来ないとリテアが遠慮してますます来なくなるじゃない。男なら人混みぐらい我慢できないの?」
「だから無理強いするなって言ってるだろ。」
コリンに詰め寄るアブリルを後からやって来たセルダンが苦笑いしながら引き剥がす。セルダンから無理に言われても困るよねと視線で問わたリテアは、困るというよりも邪魔になるのが本音だと思いながら曖昧に微笑んだ。
「だってコリンが人混みが苦手なんて嘘を吐くからっ。」
「人混みが得意な奴なんてそんなにいないと思うけど。アブリルは得意なのか?」
「……得意じゃないけど。ねぇリテア、セルダンとコリンも今年で卒業だし、遊べるのってそんなにないよ。二人で参加してた時って楽しかったでしょう?」
一緒に行きたいのだと瞳を潤ませるアブリルに、それが作戦だと解っていても負けてしまう。確かに昨年もその前の年も、セルダンがいて気を使うなら二人で祭りに参加しようとアブリルは誘ってくれたのだ。それをウルリックを理由に断ったのはリテアで。
「わかった、一緒に参加させて。」
「じゃあ僕も行くよ。」
「あら、人混みが苦手だったんじゃないの?」
「だからアブリル、そういう事をいうなって。」
収穫祭には四人で参加することに決まった。城で夕食まで済ませて家に戻ったリテアは帰り道で事の次第をウルリックに報告すると、『楽しんでおいで』と優しく言われる。ウルリックはリテアの交友関係に口出ししてくるような事はなく、リテアの意見を尊重して、道に外れない限り首を横に振るようなことはない。複数ではあるが、リテアが特定の異性と出かけると知っても変わった様子はなく、ウルリックの心内でリテアはまだ子供の位置づけなのだと知ってほっと胸を撫で下ろした。まだしばらく一緒にいられる。
収穫祭は国中の至る場所で盛大に行われる。城下では皇帝一家がパレードに参加し、続いて花形の職業でもある騎士団一行が後を引き継ぐ。その後には仮装した一般市民の集団も街を練り歩き、リテア達はパレードを見送った後で大道芸を鑑賞し、お腹を空かせると屋台を覗いた。日が暮れ祭りの最後には夜空に盛大な花火が舞い上がる。それをリテアは人の喧騒から少し離れた場所でコリンと二人で見上げた。アブリルとセルダンとは辺りが暗くなり始めた頃にはぐれてしまい、捜しても人出が多くて見つけることが出来なかったのだ。二人になってしまったが気まずくも、嫌な気持ちにもならなかった。男友達と出かける事なんてなかったし、夜の闇のせいなのか胸の高鳴りを覚える。けれどそれはコリンに対しての特別な感情ではなく、少女期特有の男女交際に対するあこがれや疑似の様なものだ。花火が終わると真面目な顔で見つめられ、囚われてはいけないとあえて笑顔を浮かべた。
「すごく綺麗だったね。二人を捜そうか?」
「待ってリテア。」
歩き出そうとしたリテアの手をコリンが掴んで引き止める。
「多分そのままにしといた方がいいよ。二人きりになりたかったんじゃないのかな。」
「あ……そうだね。」
こんなに盛り上がった夜だ、二人で楽しみたいこともあるに決まっている。ウルリックが思う程リテアは子供ではない。コリンが言葉の隅に隠した事柄を察したリテアは、急に居場所を失ったような居心地の悪さを感じた。嫌がることはしないとの言葉を今も信用していいのだろうかと不安になたリテアに、コリンはいつものように優しく笑って「送っていく」と手を引いて人混みに紛れる。家へ無事に送り届けてくれたコリンは約束通り、何一つリテアが嫌がることはしない真面目な少年のままでいてくれた。