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その6


 ウルリックが自らの意志で自宅に帰るのは珍しい。この四年、リテアと住むようになってからも城からの帰りはいつもリテアに促され一緒にだった。


 研究室に籠ったウルリックだったが、その部屋で研究もせずに過ごしたのは初めての経験で、何かしようにも一切手につかず、女性が苦手となった原因と今の状況を一人で一晩中考えていたのだが。人が動き出す前の早朝、ウルリックは置き去りにしてしまった少女が心配でたまらず帰宅した。


 レオナルドの妻がリテアを訪ねてくれたはずだ。その後は何の連絡もなく一人部屋に籠りきりで考えに耽っていた。何かあればレオナルドが必ず連絡をくれるはずなので大丈夫だろうが、それでもリテアが心配で落ちつかなくなる。目を離した隙に死んでしまっているのではという行き過ぎた妄想に至るのは、役目から逃げ彼女の母親を死なせてしまった経験の成すところだった。


 自分の家なのにそっと様子を窺う。リテアが無事ならそのまま城に逆戻りするつもりで息を殺して扉を開くと、小さな物音を聞きつけたリテアが居間から走り出て来て、ウルリックと目を合わせるとその場に立ち止まった。


 「お帰りなさい……」


 リテアが今にも泣きだしそうな顔で震えながら声を絞り出す。ウルリックはその姿を無言で凝視した後、不思議な感覚に襲われながらも心からほっとして灰色の目から一粒涙を零した。


 「―――よかった、もう一度君に会えて。ただいま。」


 初潮を迎えたリテアに触れたのに拒絶反応が起きなかった。蕁麻疹も、嘔吐すら起きない己の体に戸惑い、蘇ったのはあのおぞましい記憶だ。

 

 女性を表す豊満な肉体と、成長途中の幼気な体。組み敷かれた少女に女が、母がとった行動。その後に続く惨劇が女を寄せ付けない起因となり根付いている。


 ウルリックが女性に起こす拒絶反応は、一種その彼女たちを守るために起きるようなものでもある。そうすることでウルリック自身が人として有り続ける許しを得る反応であり、彼自身の救いでもあったのだ。


 何より恐れるのは大切な少女を、彼女をこの手にかけてしまうこと。けれどそうならなかった事実にウルリックは心底ほっと胸を撫で下ろす。リテアが初潮を迎えてもウルリックは彼女を大人の女性とは認識しなかったようだ。


 今にも泣きだしそうで、不安に押し潰されるリテアの表情に心の底から安堵した。リテアは守るべき子供で、哀れで、償うべき人で、そして大切な少女のまま何も変わっていない。


 この事実に誰よりも安堵したのはウルリック自身だろう。リテアは涙を零して薄く微笑むウルリックにゆっくりと、けれど確実に歩み寄る。拒絶される恐怖に身を竦め、けれど彼の土気色に変わった骨ばった両の手がゆるりと持ち上げられると短い距離を一気に縮めた。


 「ごめんなさい、ごめんなさいウルリック様!」 

 「一人で不安だったろう。本当にすまない。許しておくれ。」


 鍵もかけずたった一人で一晩ウルリックを待ってくれていた。家族とは異なる、少しばかり異端な存在。けれど手放したくなくて戸惑うのはウルリックだけではなくリテアだってそうなのだ。


 ごめんなさいと、成長してしまったと謝るリテアにそれは違うとウルリックは首を振る。世間一般なら喜び祝ってやるべき事柄なのに、小さな少女を心配させ悲しませ、嫌な思いだけを残してしまった。ごめんと謝罪し抱きしめる。痩せ気味ながら健康で、けれど女性らしい丸みはまるでない少女の体がウルリックの手の中で心地よい体温を放っている。失いたくない、どうか大人にならないでと勝手な願いを抱きつつ、安堵と覚悟を心に宿してウルリックはそっとリテアを放した。解放されたくないとリテアの手が、ウルリックの身を覆う古臭いローブをぎゅっと握り締めている。


 「ウルリック様の魔法で人の成長は止められないのですか?」


 赤く腫れた目がウルリックを見上げ、何を言わせてしまったのだろうと小さく首を振った。そんな都合の良い魔法があったとしても使えるわけがない。いくら大切でもリテアは人形ではないのだ。


 「君は君のままで。何があっても私はリテアが大切だ。」 


 逃げ出しておいて説得力はないが、心はそうなのだと知って欲しくて諭すように優しく声をかける。不安そうに俯いたリテアは唇を噛んでから「わたしも大切」と呟いてウルリックの胸に額を寄せた。ウルリックはレオナルドの妻(マイス)が来てくれたのだろうと問いかけるが、少し考えると口を噤んでやめてしまう。


 「何?」

 

 何を言いかけたのと問うリテアに、何でもないよと首を振って室内に促した。


 「学校は?」

 「昨日は休んでしまいました。」

 「今日も休むかい?」


 少し考えたリテアは、昨日も休んでしまったので今日は行くと下を向いたまま呟くように告げ、ウルリックもリテアの決めたことを無理にやめさせようとはしなかった。


 「授業中に眠たくなってしまわないかな。」

 「お腹が痛いの、だから多分大丈夫。あの、痛みは消してくれなくていいです。居眠りしちゃいそうだから。」


 診察しようと目を細めたウルリックにリテアが首を振ったので素直に従う。痛み止めの薬をマイスに貰っていたが、飲まなくても我慢できる程度だと教えられた。元通りになるのを望む二人は、昨日の事には二度と触れないだろうと互いで感じながら日常に戻るための行動を起こす。


 一日何も食べていなくても大した空腹は感じていなかった。それでも日常に戻る為に二人で朝食を済ませ、一緒に家を出る。並んで門を潜ると、家を取り囲む塀に背中を預ける見目の良い少年が目に止まった。二人に気付いた少年は慌てて姿勢を整えるとウルリックに向かって腰を折る。


 「リテアの友達?」


 どうして彼がこんな所にいるのだろうと瞳を瞬かせたリテアだが、ウルリックに友達かと問われ慌てて頷いた。正確には友達ではなく、二つ年上のセルダンという少年。上級生の名前を知っているのは、仲良くしている友達のアブリルと彼が付き合っているからである。けれど相手は上級生でリテア自身とはあまり接点がない。彼を友達と答えたのは、リテアが男女交際するような年齢に達しているのだというのをウルリックに示したくなかったからだ。初潮を迎えておいて今更だが、それでも二人の生活を壊したくなくてリテアも必死だ。


 「それでは私は先に行くよ。」


 けれどウルリックは特に何も感じなかったのか、見知らぬ男相手でもリテアの友人と知って席を外そうとする。本当は一緒に行きたかったのだがセルダンはリテアに用があるようで、すれ違い様にウルリックと挨拶を交わしてこちらに寄って来た。


 「凄い、本当にウルリック=バンズだ。」


 リテアがウルリックと同居しているのは学校でも有名な話だが、実際にウルリックを目撃するのは彼らにとって稀な現象だ。興奮するセルダンをリテアは上目使いで見上げる。


 「あの……どうしてここに?」

 

 興奮気味にウルリックの背中を見送っていたセルダンは「ああそうだった」と改めてリテアに向き直った。


 「アブリルから様子を見てくるように頼まれたんだ。一日休んだくらいなんてことないって思ったんだけど、彼女心配性だからさ。」


 学校に通うようになって本当に仲良くなれた友人はアブリルだけだった。他のみんなはリテアの後ろにいるウルリック=バンズという魔法使いに興味があり、子供ながらにリテアを通して彼の威光にあやかろうとする人間が多かったのだ。そんな中アブリルだけはリテアの後ろにある権力に興味を示さず、おかげで長く友達付き合いが続いている。互いに何でも話せる仲で、アブリルはリテアが母を失った時の話をした唯一の友達でもあた。だからたった一日無断欠席したくらいで心配して、彼氏に様子を見て来てくれと頼んだのだろう。ウルリックが極度の女嫌いであるのも知っているので、気を利かせセルダンを行かせたのだ。


 「アブリルは一緒に来てるの?」

 「あっちの角を二つ曲がったところで待ってる。ウルリック=バンズと顔を合わせて嫌われでもしたら、リテアの友達辞めさせられるかもしれないって脅えてた。」

 「そんなことないのに。迷惑かけてごめんね、ありがとう。」

 「別にいいよ、アブリルの頼みだし。」


 ほらこっちだよと促されついて行くと、二つ角を曲がる前にアブリルが顔を覗かせる。ぱっと嬉しそうな表情をしたかと思うとすぐに顔を顰めて怒りだした。


 「なによ、ちっとも元気そうじゃないじゃない!」

 

 寝不足で目の下にはクマも出来ているし、まる一日憔悴したので何処となくやつれてしまったように見えた。病気ならもう一日休むべきだと心配するアブリルの腕にリテアは自分の腕を絡みつけ、内緒話をするように耳元に口を寄せる。


 「初潮が来た、それで休んだのよ。」

 「えっ、そうなんだ。やだぁ。おめでとう!」

 

 声を上げて喜びだしたアブリルの口を慌てて塞ぐ。ここにはセルダンもいるのだ。友達の彼氏だとしても異性を前に初潮の話しなんて恥ずかしすぎるではないか。おめでとうの言葉に興味を持ったセルダンが何事かと尋ねるが、アブリルは内緒だと言って楽しそうにセルダンとリテアの腕に自分の腕を絡め軽やかに歩き出した。


 リテアはアブリルとセルダンをそっと窺う。背が高くて甘い顔つきのセルダンは学校中の女性に人気があった。それだけではなく気さくで誰とでも仲良くなるのが上手く、同性からも好かれて沢山の友達がいる。最上学年であるセルダンは知識を更に深く学ぶため、卒業後は専門性のある上の学校に進学するが、彼は商家の生まれで将来的には家を継ぐ予定だ。対してアブリルは見た目こそ普通だが、人に対して細やかな気遣いのできる優しい女の子。薬師の家系で卒業後はやはり家業を継ぐために親に弟子入りすると決まっている。告白したのはセルダンで、アブリルは自分なんてとんでもないと最初はお断りしていたが、誠実な彼に惹かれて結局は付き合うようになっていた。リテアは二人がこのままずっと一緒にいられるように願う。別れは悲しくて辛いと知っているからこそ、大切な友人には経験して欲しくないと思っていたのだ。


 「所でちょっといいかな?」


 二人を眺めていたリテアを、セルダンが真ん中にいるアブリルを通り越して覗き込む。すると話の先を察したアブリルがセルダンをきっと睨みつけた。


 「駄目よっ、リテアは誰とも付き合わないんだから!」

 「それを決めるのは彼女だよ。アブリルが怒るから断ってたけど、今度の奴は本当に真面目なんだ。会ってやるだけでもいいからさ。」


 どうかなと問われ、リテアはようやく話の内容が見えて来た。

 リテアは大きな後見人を抱えて有名であるが、彼女自身とても人目を惹く容姿をしている。十人中九人はリテアを美人と表現するだろう。同級生だけではなく、上級生や下級生からも付き合わないかと告白されていた時期があったが、決して応と答えないリテアの様子にやがてその告白の数も減って行った。それからはリテアと仲の良いアブリルを通してなんとかならないかとか、その彼氏であるセルダンに話が来ることが度々あったのだが。最初の一人をリテアが断ってからは、話が来る度に全てアブリルが拒絶していたのである。


 「ウルリック=バンズに男女交際を禁止されているならしょうがないけど、そういう訳じゃないなら会ってやってくれないかな?」


 勿論ウルリックがそんな事を禁止するわけがない。けれど恐らく、そうなった時リテアはウルリックの家を出て行く事になってしまうだろうと予想していた。そんな危険を犯すくらいなら男の人と交際なんてするつもりはなかったし、今のところ誰かに恋した経験もない。


 「それでセルダンの顔が立つなら会ってもいいけど、今は本当に勉強の方が大事で。誰かと付き合うつもりはないからお断りするのが前提なの。」 


 二年後、最終学年になったら城の文官職を得るために試験を受けるつもりだ。ウルリックやレオナルドの後見があれば落ちることはないが、無能な存在を推薦し就職させたとなると二人の株が落ちる。コネで仕事にありつくよりもまずは自分でと正当に試験に挑むつもりなのだが、恐らく自分の力で合格してもそうは見てもらえない。ならば余計に努力しなければと、リテアは必死に努力して優秀な成績を維持し続けていた。勉強と生活で手いっぱいで他の事なんて考えられないと答えれば、「そうか」とセルダンも無理にとは勧めない。頼んできた友人がリテアの心を捕らえられるとはセルダンも思っていないのだ。


 「ごめんなさい。」

 「俺に謝らなくてもいいよ。ただあいつが正々堂々と告白した時は盛大に断ってやってくれ。その後は俺たちで慰めてやるから心配するな。」

 「そうよ。人を頼ってあわよくばって考えがいけない。正々堂々と告白して砕ければいいんだわ。」

 「砕けるとは決まってないだろ?」

 「だってリテアはお城に出入りしているのよ。素敵な大人の男性だっていっぱい知ってるんだから、学校の子供っぽい男の子たちなんて物足りないのよ。ね?」

 

 ね? と言われても。リテアは曖昧に微笑む。確かに優しくしてくれる人は沢山いるが、厳しい目で見る人の方が多いし素敵な男性に出会ってもいない。リテアにとっての一番はずっとウルリックだ。


 「わたしは子供で、まだ興味がないのよ。」

 「そういう事にしておいた方が寄って来なくていいわよ?」

 「おいアブリル、変な助言してリテアが高飛車な女だと思われたらどうするんだよ。」

 「それもそうね。難しいわ。」


 う~んと悩みだした所で学校に到着し、友人を見つけたセルダンが軽く手を振って離れていく。セルダンが背を向けた所でアブリルはリテアとつないだ手に力を込めた。


 「わたし、リテアがウルリック様と一緒にいたいって知ってるから。意地悪して断っていたわけじゃないよ?」

 「うん、わかってる。ありがとうアブリル。」


 助かってるよと微笑むと、アブリルも嬉しそうに笑ってくれた。 






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