その43
抱き寄せた瞬間に小さな悲鳴が上がり、粥の入った椀が床に転がるが気になどしていられない。手放したらどこかに行ってしまう、二度と会えなくなると怯えるウルリックは、リテアを問答無用で抱き締めると寝台へと引き込んだ。
「ウルリック様!?」
驚いたリテアから戸惑いの声が上がるがそれも無視だ。ぎゅうぎゅうと抱きしめ二度と離さないとばかりに隙間なく覆い被さる。支え切れなくなったリテアが寝台に沈んでも構わずウルリックはひたすら抱きしめ続けた。
「ごめんリテア、もう駄目だ。どうか許してくれ!」
ずるりと鼻をすする音がリテアの耳に届く。肩に頭を埋めた状態で泣いているようだ。突然の行動に驚いたリテアもウルリックの反応が嬉しくて、目頭を熱くし腕を伸ばしてしっかりと抱きしめかえした。
監視を本人より禁止されてからウルリックはどうにかなりそうで、ずっと声を聞きたくて触れたくて我慢できなかった。自分の事ばかり優先して、顔が見えない声も聴こえない状態がいかなるかを嫌という程に身をもって経験させられた。手放してもやっていけると思っていたのは魔法で監視できたからで、現実を知りそれは大きな勘違いだと気付かされる。辛い体験を長くしてしまっては、側にいて生きているのを感じないととてもじゃないが冷静でいられない。ウルリックは幾度も謝罪を繰り返しリテアに縋った。
「わたしもです。ごめんなさいウルリック様。会えないのがどんなに辛いか知っていたのに、とても意地の悪い事をしてしまいました。」
こっそり見守るのも全てを禁止して、命を盾に正直なウルリックを利用したのだ。離れたくなくて選んだ卑怯で姑息な手段も意味をなさず、呆気なく振り払われてこの地を去るしかなかった。
ぎゅぎゅうと潰す勢いで抱きしめていたウルリックが、埋めていたリテアの首筋に歯を立てた。痛みに呻いたリテアを無視して噛みつくように白い肌に痕を残していく。
「あの……ウルリック様?」
痛みを感じるが大したものではない。けれどいったい何をしているのか気になって引き離そうとしても、ウルリックはリテアの肌に吸い付くばかりで一向に離れてくれなかった。
「あの、ウルリック様? えっ、あのっ……あっ、えぇっ?!」
何を血迷ったのか、襟ぐりを大きく開かれ衣服の下に隠れていた場所にも唇が這い、驚いたリテアは奇声を上げるがウルリックは止まらない。変な場所まで触られて妙な声を上げたリテアは、たまらずウルリックの髪を鷲掴みにしてどうにかこうにか侵入を拒む。
「いったい何をしてるんですか?!」
急に何が起こったのか。理解がついて行かないリテアは驚きに目を剥く。対するウルリックの方は今にも泣き出しそうな顔をしてリテアをじっと見つめると、何の説明もしないまま顔を寄せリテアの唇に噛みつくような口付けを落とした。
リテアからは抗議の声が漏れるがウルリックは止めようとしない。やがて息が上がり始めたリテアは力なく項垂れ、それを察してウルリックはようやく唇を開放した。
「なに―――」
はぁはぁと肩で息をしながら涙目のリテアが眉を寄せ問えば、ウルリックも眉を寄せて瞬きすると同時に目に溜めていた涙をぽたりと落とした。
「逃がしたくなくて痕をつけてる。」
「あ、あと?」
首筋から脱がされかけ曝された肩や鎖骨の辺りまで、吸われて赤くなった痕が大量にこれでもかと存在を主張していたが、ウルリックに伸し掛かられて仰向けになった状態のリテアでは確認しようがなかった。
「今ならセルダンとかいう男の気持ちが理解できるよ。」
思いもよらぬ人の名にリテアは息を飲んだ。
セルダンとアブリルの間に起きた出来事は今も記憶に新しい。互いに学生で、アブリルは恋人であるセルダンの子供を妊娠したのだ。結局産まない選択を強いられたが、アブリルの妊娠は彼女を手放したくないセルダンの身勝手な行為でなされたもので。繋ぎ止めるために妊娠させ、学生であり親の庇護下で養われる身分では産んで育てる選択も出来ないまま、ウルリックが作った魔法薬でアブリルは堕胎するに至る。
「子供が宿れば君は逃げられなくなる―――逃げないよね?」
アブリルとは状況が違う。努力して高級文官となり職に就いているリテアは、子供を生んだとしても一人でしっかりと育てて行けるだけの収入があった。今ここで子供を宿して堕胎の選択をしなければ、一人で生んで育てるのも可能な状況にあるのだ。ウルリックは逃げられる不安に眉を寄せ瞳を潤ませている。
「ウルリック様、いったい何を言って―――」
「私は母を捨てた男たちの様に逃げないよ。君を捕らえる為なら抱くことだってできる。ねぇリテア、君もいけないんだ。こんな悪い魔法使いの手の中に戻って来た君も悪い。」
間近に迫る灰色の瞳は狂気に染まっていた。けれどあるのは狂喜だけではなく、恐れと不安、そして悲しみだ。一見すると恐ろしいが、かつてない眼差しを向けられたリテアは全身が泡立ち心がざわつくのを感じた。
「いいですよウルリック様。大丈夫、わたしも逃げませんから。」
互いに互いを受け入れたからにはどちらも絶対に逃げはしない。けれどウルリックには一人だけ置き去りにされる恐怖が付き纏い、離れたせいで守れなくなる不安も言葉だけの約束ではけして消去できないものとなってしまった。リテアが離れるのがとても怖いとウルリックは震える。それなら想い合う男女が共に過ごすことで、どうせ訪れる節理に身を任せてもいいではないかとリテアは微笑んだ。今度はリテアの方から腕を伸ばし、出来てしまった隙間を埋めるようにウルリックを引き寄せる。
*****
目が覚めると裸のリテアが隣で眠っていた。
驚いて飛び起きたウルリックだが、すぐに自分が何をしたのかを思い出して頭を抱える。
「とんでもない事をしてしまったけど、本当にこれで良かったのだろうか。」
リテアとの全ての接触を断たれ頭がおかしくなっていたのだろう。再会してすぐにこんな事を仕出かしてしまうなんて、きっとリテアは呆れているに違いない。そもそもちゃんと出来たのか不安だが、女嫌いでこの歳まであらゆることに未経験であっても、何がどうなってどうするかを母親とその恋人に見せつけられ育ったせいで克明に記憶していたのだ。それがここで役にたつなんて複雑な心境だった。そもそもあれはウルリックにとって禁忌ともいえる行為であった筈なのに、相手がリテアだと喜びが勝り、心が満たされているのに気付かされる。
「ごめんね、本当に逃がしてやれなくなったよ。」
起きる気配のないリテアの頭を撫でたウルリックは寝台を出て古びたローブに袖を通す。それからこぼれた粥と椀を拾い片付けてから、通信気を使ってレオナルドに連絡を取った。
「どうしてリテアが最東にいるんだ?」
『彼女はどうしている?』
質問に質問で返事をしたレオナルドにむっとするも、視線を寝台の置かれた部屋へ向けてからウルリックは溜息と共に息を吐き出した。
「寝てるよ。その―――私の寝台で。」
『それはおめでとう。』
「ありがとう。いや、そうではなくて。」
『そうではなくてではない。目出度くもお前は私の義理の息子になるんだから。』
「―――は?」
意味が解らず首を傾げると、通信機の向こうで盛大に笑う声がする。通信機に手をかけたまま第三者に話しかけてもいるようで、その相手はどうやら皇太子の様だった。
『リテアを私の、クレフ家の籍にいれた。彼女をそちらへ領主として派遣するには身分がないままだと厄介だったのでな。そんな訳でリテアは私の義娘だ。さぁウルリック、お義父さんお嬢さんを私に下さいって言ってみろ?』
「領主? え、義娘? って、お嬢さん? って……いったい何の話だ?」
意味が解らず狼狽えるウルリックにレオナルドは笑いながらリテア派遣の経緯を説明する。
ウルリックの心境とは裏腹に、不毛の大地に実りをもたらす行いは大きく評価された。これから豊かになっていく最東の地を帝国も放っておけなくなる。左遷され領主となっている男は貧しい領民から搾取を続け、それが露見して島送りと決まった。そこで空いた領主の座。皇太子の采配でリテアを行かせてはとなったのだが、悪さをしたり大きな失敗をした人間が流される辺境であっても身分は領主。そうなると貴族出身者でなければという慣習は退け難い。けれど発展を始めた最東に私利私欲に塗れた輩を派遣するのも憚られた。そこでレオナルドがリテアを養子とし、リテアにも貴族の権利を与えて辺境の領主として赴任させるだけの身分を手に入れさせたのだ。
『まぁそれも一時的だ。なにしろ嫁げば籍が抜かれるのだから。一度赴任させれば大きな失敗がない限り特に問題はないだろう。リテアは平民の、特に自立したがっている女性たちにとっては希望の星だ。』
けれど身分がないまま領主の座に就けるにはまだまだ時期が早すぎた。一時凌ぎの手段で領主とし、ウルリックを補佐する役目を担わせたのである。
「周囲がよく許したな。皇太子殿下が苦労したんじゃないのか?」
『殿下も努力して下さったが、妻に頼んで皇太子妃殿下に口添えを願った。』
皇太子がリテアに夢中だ。庶民出身の娘で孤児同然、後腐れもないし可愛がるにはちょうどいいのだろう。けれど相手は身分がなくても若く綺麗な娘だ。何時どうなるか解らないと、お茶会の席で助言する風を装いマイスから皇太子妃に耳打ちして貰ったのが決定打となった。女たちは姦しく、その後ろに付く貴族たちは特に敏感に察し、リテアがレオナルドの養女になり辺境の地へ旅立つのに快く賛成してくれたのだ。
『そんな訳だから、リテアはお前の補佐というより上司に近いな。彼女に従えよ、でなければ派遣を打ち切り面倒な奴を領主に据えてやる。』
恐らくウルリックはリテアが望むなら全てを叶えようとするだろう。ウルリックが拾った娘が貪欲で私利私欲に満ちた女でなくてよかったとレオナルドと皇太子は通信機の向こうで笑っている。
「まぁ、うん。取りあえず解ったよ。レオナルドが義父になるのか。」
『嫌じゃないのか?』
「リテアと一緒にいられるならどうでもいい。」
父を持つのは初めてだがまぁいいと、大した興味もなくレオナルドをがっかりさせた状態で通信を切る。よく解らないが取りあえずリテアが領主として赴任してきたのだ。リテアからは苦労して手に入れた仕事を奪う事にはならないので良かったと、ウルリックはほっと胸を撫で下ろして寝室へと舞い戻った。
日はとっくに上っているが、ウルリックが死んでいないかと心配して様子を見に領主がやって来ないのは処分されたからなのか。成程と納得して寝台に腰かけリテアの頭を撫でていると、刺激で目が覚めたのか瞼が持ち上げられ、ぼんやりとした茶色の瞳がウルリックを捕らえた。
「おはようリテア。」
「おはようございます、ウルリック様。」
交わしたかった言葉がある。彼女が求めてくれる限り優しく順従で有り続けられる自信もあった。肌を重ねて誰よりも深くに入り込んで自分だけのものにした。けれどもう一つ、どうしても叶えたい願いがある。
「ねぇリテア。追跡の―――君を見守る魔法をかけてもいいかい?」
常に側に感じていないと心配でならないからと、ウルリックは優しく微笑みリテアに懇願する。
絶対に手放さないし、永遠に見守り続けるから―――
*おしまい*
*作者の為の登場人物紹介*
以下、ネタバレその他、必要のない情報まで含みますので、自己責任にて閲覧願います。
ウルリック=バンズ(22・26・28・29・30・31)
灰色髪目。ひょろりと背が高い猫背。疲労こんぱい時はゾンビそのもの。魔法使い。シスコン。基本穏やかで怒るのは稀。
リテア=フロスク(10・14・16・17・18・19)
こげ茶の髪茶色の目。可愛いから美人になる。人付き合いは苦手。後にオズワルドとは文通友達。
レオナルド=クレフ(25・29・31・32・33・34)
魔法師長。ウルリックと出会うまでは魔法で一番のちょっと性格の悪い人を見下す少年。ウルリックにボロ負けして気持ちに整理をつけ親友の位置に。貴族でも爵位は不明。妻はマイス
オズワルド=シュトレーン(17・18)
背が低めでリテアよりも少し高い程度。騎士になれなかったから劣等感だらけ。リテア嫌い。人の痛みが分かる子。でもリテア嫌い。後にリテアと和解、以後は男女間の関係なしに友達になる。宰相に認められ娘婿に迎えられ、皇太子の子供位の時代の宰相になる。妻はリテアに嫉妬するも手紙を盗み見て何もないとようやく理解。
キアヌとディファレイド(24・25)
双子美系高身長近衛。サラサラの銀髪碧眼。オズワルドの劣等感の原因。二人ともオズワルド大好き。ディファレイドだけ、リテアに怖がられているのに微妙に傷ついている。
イディオ=シュトレーン
オズワルドたちの叔父。既婚子供二人性別不明。女性は世界の宝物と思って生きている。
皇太子30前後
レッグス=ミズリィ50前・筋骨隆々でかい。第二隊の隊長。
クリス=アルファード黒髪薄緑目21・22・23・24
わりと辛辣なものの考え方をする。リテアが初恋。取りあえず付き合った女性の数はわりといそう。福士蒼汰。
コリン=ファース(16・18・19・20・21)
一人称は僕。こげ茶のくせ毛。リテアが好き。友達でいようと努力する。大人になってから平民出身の裁判官としてはかなり出世する。いい人で終わるタイプ。何故かクリスと腐れ縁になり、気が合うのが嫌。
セルダン16・18・19・20・21
アブリルの彼。ガイアズ商会の娘と婚約。
アブリル14・16・17・18・19
リテアの親友。セルダンとの一件を引きずりなかなか前に進めない。辛くても元気を装う子。都を出る。薬師。
フローズン=ガイアズ60前後
商会会長。ロリコン。
ヴィヴィツ侯爵家出身・エーリアル伯爵夫人アグネーゼ
特別な美人ではないが、ボンキュボンの魅力的な体。皇太子の愛人になり城で誰からも傅かされて生活できると信じている。不要になったので伯爵から薬漬け、後に事故を装い抹殺される。
ペシェル伯爵アルブレヒト
加虐性愛者。綺麗な顔。
最後までお付き合いありがとうございました。
読んで下さった全ての方に感謝申し上げます。




