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その31




 リテアの他にももう一人、同じ学校に在籍し、同じく特例を受け本来なら二年の過程を半年で卒業し、高級文官となった貴族がいる。


 リテアよりも一つ年下になる彼はシュトレーン子爵家の三男で、親から受け継ぐ爵位もなく、将来的には他家に婿入りするか自ら糧を築いて行かなければならぬ身だ。貴族の子に生まれたからと一生安泰と言う訳でもない。それでも高級文官となったからには、よほどの贅沢や散財をしない限り裕福な生活は約束されていた。


 その優秀なオズワルド=シュトレーンの配属先は宰相直属と直ぐに決定したのだが、リテアの受け入れ先は難航を極め、高級文官となってもしばらくは第二隊の事務を続けていた。

 リテア自身はそれでいいと一月ほどが過ぎたある日、唐突に下りた辞令により恐れ多くも皇太子直属となってしまい、お蔭でまたもや多くの文官達からやっかみを受けることになってしまう。


 ウルリックが皇太子の右腕であったのは周知の事実である為、裏から手を使ったと真っ向から非難を受けもした。ウルリックを悪く言われたくないので反論することもあったが、火に油を注ぐ結果に終わり以来口を噤むようになる。

 彼らにとってリテアが高級文官となり、かつ自分たちの側に受け入れたくないと放置したせいで、皇太子の手元という栄誉を賜ってしまった事実が彼らの矜持を傷つけたのだとリテアにも解っているからだ。


 気に食わないから否定しても更に食って掛かられる。いい大人は態度で、年齢の近い者たちはあからさまに。だからリテアは彼らを黙って観察するにとどめた。するとやがて嫌味は治まり、次はリテアが失敗を犯すのを待つようになる。リテアは足を救われぬよう今まで以上に慎重に仕事をこなすようになったのだが、高級文官となり皇太子の側に仕えるようになったとはいえ新米の文官扱いで一番下っ端だ。そのせいで皇太子と皇帝の補佐に勤める宰相の元へ使いに出る機会は意外にも多く、その訪れた宰相府で、リテアと同じ立場であるオズワルドとも顔を合わせる事になった。


 初めてオズワルドと顔を合わせた時に特別な印象はなかった。何故ならリテアは彼の存在をまるで知らなかったからだ。

 同じ特例を受け半年で高級文官の試験を受ける資格を得て合格し高級文官となっても、貴族の子息であるオズワルドとリテアが顔を合わせるような接点はまるでなかったのだから仕方がない。


 けれどオズワルドの方は違った。学院で特例を受けると決まった時から、庶民出身の女性が同じ特例を受けるというのは大変な噂になっていたからだ。

 魔法師長と、隠居したとはいえガイアズ商会の元会長の推薦状を携えているリテアの名は、本人不在であってもとても目立っていた。同じ特例であってもオズワルドには貴族としての矜持があり、リテアの上を行って当然と多くの過剰な期待を背負うことになったのだ。

 

 宰相府に皇太子の署名がされた書類を補佐官より預かって持参したのがリテアの初仕事。その時にようやく互が初めて顔を合わせたのである。


 「皇太子殿下付きの補佐官よりお預かりした物です。よろしくお願い致します。」


 リテアはもともと無駄に愛想よく出来る性格ではない。しかもリテアをよく思わない敵ばかりの城で、隙を見せてはいけないと表情は常に硬く緊張していた。それがオズワルドにはつんとした気の強い女性に見えてしまったのだ。


 貴族として特例を受け大きな期待を背負い挑んだ試験。資格と高級文官のどちらをもリテアに首席を奪われたオズワルドは、勉学では誰にも負けた過去がなかったせいでとても深い衝撃を受け、強い敗北感を味わった。もともと抱えている問題も重なり、心の内に更に大きな劣等感を住み着かせてしまったのだ。


 美人であるからこそ余計につんとした印象を受け、まるで馬鹿にされているような気分に陥ったオズワルドは、自分の劣等感の全てがリテアのせいのように感じ他の人間同様リテアに噛みつく。


 「女のくせにそんな傷を曝してよく平気でいられるものだな。それとも熊か何かの猛獣と戦った勲章なのか?」

 

 学問では敵わない。けれどオズワルドも他の貴族同様、リテアを庶民出の女と嘲笑い、同じ高級文官と認めていなかった。紳士として相手が女性なら貴族平民係わらず、けして吐いてもよい言葉でない罵りを、口にしてはいけない言葉と理解しながらあえて緊張しつつ吐き出し反撃に備える。

 

 掌にしっとりと汗をかいて緊張するオズワルドと異なり、リテアは表情一つ変えずに同じ目線のオズワルドを真正面から堂々とみつめた。


 「これでも化粧で誤魔化しているのですけど、お見苦しくて申し訳ありません。」 


 リテアは頭を下げると書類を押し付け背中を向けた。小さくなっていく後ろ姿をオズワルドは唖然と見送る。


 顔の傷を貶され言い返してくるとばかり思っていたのに拍子抜けだ。それ所か余計に自分が人間として小さくなってしまった感覚に陥いる。何故言い返さないのか、非礼を犯したのは自分の方だというのに。これでは自分一人が悪者ではないかと、オズワルドは先輩に呼ばれるまでその場に立ち尽くしていた。


 普通に応対し背中を向けたリテアも傷ついていない訳ではない。けれどレオナルドが癒してくれるという傷を放置しているのは自分の我儘だし、『見苦しい』と指摘されるのも仕方のない事だと思っていた。確かに女が頬にある傷を堂々と曝しているのをリテアも見たことはない。失礼をしているのは自分の方だという認識がリテアにはあったので、オズワルドに改めて指摘されても大勢の内の一人がまたも発した言葉として受け入れる。


 「こんな所まで来てしまって―――いつになったらウルリック様に会えるかしら。」


 レオナルドとガイアズの推薦を受けて今の立場に辿り着いたのだ、失敗して二人の名前に傷をつける事が出来なくなってしまった。皇太子という権力者の側に仕えるようになって、果たして最東の辺境へたどり着けるのだろうか。春の日差しが回廊に注ぎ込むのを受け、リテアは目を細めて青く澄んだ空を見上げる日々が続く。


 そんなある日、リテアは宰相府へと続く回廊で二人の美しい近衛騎士に遭遇した。

 すらりと背が高く、がっしりしているというよりは騎士の中では細身な方ではないだろうか。二人ともさらりと風に揺れる銀色の髪に深い海の底を連想させる碧眼の、同じ姿に同じ顔を持った近衛騎士。


 第一隊に所属する近衛騎士は貴族の出身者ばかりだ。一人は皇太子の側にいるのを時折見かけるが、同じ顔をしているせいでどちらがどちらかまるで分らない。彼は双子だったのかと驚きながら平静を装い端に除け、頭を下げて二人が通り過ぎるのを待つ。すると通り過ぎる寸前に二人は立ち止まり一方が声をかけて来た。


 「お疲れさま、宰相府へ使いに出た帰りかい?」

 「はい、書記官様の言い付けで伺ったばかりです。」


 貴族とはいえ、近衛騎士らは誰に対しても礼儀を大切にしている。行い一つで守る主の名に傷をつけるという教育が徹底されているのだろう。彼らと言葉を交わす機会はほとんどないが、その少ない機会の全てにおいてリテアは平民だからと疎んじられたり、嫌な視線を向けられることはなかった。心の中ではどう思っているのか見透かすことはできないが、少なくとも皇太子を守る近衛に嫌な印象はない。


 話しかけてきた方はにこやかで、もう一人は怪訝そうにリテアの頬の傷へ真っ先に視線を向けた。お陰でどちらが皇太子の近衛なのかすぐに判断がつくが会話をしたのは初めてだ。どうしたらいいのか困っていると、怪訝そうにした方が引き継いでくれた。


 「誰?」

 「リテア=フロスク嬢。オズワルドを押さえて首席で卒業した―――」

 「ああ、噂の!」


 声を上げた近衛がリテアに笑顔を向ける。とても美しい騎士だが女性と見紛うわけではない。職業も相まってさぞもてるだろうと思わず見惚れる程だ。


 「弟が―――オズワルドが何か失礼をしてないか?」

 「え?」


 急に問われて首を傾げると、名乗りがまだだったなと二人はにこやかに自己紹介を始めた。


 「私はディファレイド=シュトレーン。皇太子殿下の近衛だが名乗るのは初めてだね、どうぞよろしく。」

 「キアヌ=シュトレーンだ。皇帝陛下の近衛を勤めさせてもらっている。君の噂は陛下のお側でもよく耳にするよ。オズワルドは私達の弟だ。」

 「オズワルド=シュトレーン様の?」


 まるで似ていないと驚きながら確認すれば、二人は同時に笑い出し同じ言葉を口にした。


 「高級文官の同期同士で敬称をつけているのか。」

 

 出身はともかく、同じ立場なのだから遠慮する必要はないと笑われてしまう。騎士の中では有り得ない現象だといって、何がおかしいのか長兄だというキアヌは腹を押さえて笑い転げていた。どうやら笑い上戸らしいが、本当に何がおかしいのかリテアには理解できない。

 オズワルドは彼らよりも七つ年下の弟らしい。けれどオズワルドの背の高さはリテアとほとんど変わらず、平凡な顔立ちであるので目の前の二人とは似ても似つかなかった。本当に二人と血の繋がりがあるのかと問いたくなるような違いがあったのだ。


 「弟は少しばかり屈折しているが悪い奴じゃない。仲良くしてやってくれ。」


 笑いを治めたキアヌがリテアの肩を労うように軽く叩こうとするが、腕が伸ばされた瞬間、リテアは不意にあの恐ろしい光景を思い出し身を硬くする。薄暗い世界で美しい貴族の青年が迫り触れられた感触が蘇り慄くが、キアヌの手が届く前にディファレイドの腕が伸びてその手を止めてくれた。


 「女性に気安く触れるのは失礼だよ。」

 「ああそうか。失礼。」


 ディファレイドは皇太子の側に仕えている。リテアに起きた事情を察しているのだろう。キアヌは少しばかり目を見開いたが、直ぐに細めてにこやかに微笑んだ。


 「それではお嬢さん、機会があればまた。」

 「失礼致します。」


 軽く手を上げて歩き出した二人にリテアは深く頭を下げた。あれだけの美形が二人揃って歩いているのは一見の価値がある。見惚れるほどだが、リテアにとってはウルリックが世界中の誰よりも特別な人であるのに変わりがなかった。




 *****


 一方ウルリックは最東の地で案じられるような酷い生活はしていなかった。どちらかというと怪しい見た目のせいで寄って来る人間は少なく、お蔭で面倒な付き合いもせずに済んでしたいように快適に過ごしている程だ。けれどふと何かの折に感じるのはリテアの気配。魔法で二人を繋いでいるのだから感じて当然なのだが、側に感じても会えないという現実がウルリックを苦しめていた。


 「戻ってくるつもりがあるなら策を練るぞ。」


 皇太子もウルリックを戻したがっている。貴族殺しの事実があるせいで今すぐには無理だが、落ち着いた頃に都で事件を起こしてウルリックに解決させるという手もあった。リテアを向かわせてやれないのなら引き戻す方を優先的に考え出したレオナルドに対し、ウルリックは「必要ない」と通信機を前に首を振る。 


 「それより今日のリテアはどうしていた? ここ最近ずっと笑っている気配を感じないんだ。泣いている様子はないけど、酷い目に有っていないか心配でたまらない。」

 「気になるなら南に行った時みたいに、自分で様子を見に帰ってくればいいだろう?」

 「無茶言うな、この距離を移動して意識を保てる自信がない。見つかれば殿下にも大きな迷惑をかけてしまうんだ。前とは立場が違い過ぎる。」


 南の地へ派遣されたときは仕事だった。今回は罪人として罪を許される代わりに辺境へやられているのだ。しかもウルリックの罪を許す後見を皇太子が請け負っている。リテアに会いたいからと魔法で舞い戻り、人目についてしまえば皇太子の立場を悪くしてしまうだけでは済まなくなるかもしれないのだ。努力し高級文官となったリテアを側に置いてくれているのもある。ウルリックにとっても皇太子は皇太子の立場でいてもらわなければならない。


 「リテアはお前に会いたがっているぞ。そのせいで沈んだまま浮上してこないんだ。」

 「それは―――その。駄目だよ。私はこれ以上残虐な自分をリテアに知られたくないんだ。」


 誘惑に負けそうになる前に、ウルリックは絶対に駄目だと一方的に通信を切ってしまう。

 

 気になって仕方がないくせに受け入れようとしない、そんなウルリックにレオナルドもいい加減苛立ちを覚えていた。


 こちらが何とかしてやりたいと思うのは押し付けだが、ウルリックが求めているのはリテアで間違いないのだ。そのリテアもウルリックに女として心を寄せている。女性に対する恐怖心などリテアの前では何の効力もない。恐れているのは過去を知られる事だけだ。


 確かに若い女性が知るには恐ろしいものだが、リテアはそれを体験してしまっている。ウルリックが過去に犯した罪など告白しても、拒絶するような事態にはならないとレオナルドには解っていた。


 両親に愛され育ったリテアだが、実の母親を殺すほど憎む感情を拒絶するほど幼くはない。けして拒絶などしないとレオナルドには解る。ウルリックの側にいく為にリテアがどれほど努力していたか、それをレオナルドは側で見て知っているのだ。


 女が怖い、それが何だ。過去を告白するのを恐れるような見た目をしてはいないだろうと、レオナルドはウルリックが開発した通信機を前に悪態を吐く。


 「そもそもどうして暴露する前提なんだ。言いたくないなら口にする必要などないではないか!」


 前にリテアを傷つけてしまうと案じたような事態には絶対にならない。それほど大切ならどうして手元で幸せにしてやろうという、男なら当然抱く想いをウルリックは否定しているのか。魔法で見守れるというのも悪く作用しているに違いない。ペシェル伯家のアルブレヒトが起こした事件を忘れた訳ではないだろうに、どうしてあの男は煮え切らないんだと苛立つ。


 他人の事だ、それでいいのなら放っておいても構わないのに、ウルリックとリテアが絡んでいるなら何とかしたくてたまらなかった。これでは子を執拗に心配する保護者だと、己の立ち位置に溜息を落とす。


 「ウルリック、お前はリテアの幸せをきちんと理解するべきだ。」


 愛情を受けて育ったわけではないウルリックに理解しろというのは難しい問題かもしれない。母親は男を取られたと発狂し、男に強姦される実の娘を殺してしまうような女だ。幼少期のウルリックを愛してくれたのはその殺された姉だけだが、その姉も小さなウルリックに縋っていたようなものである。

 

 互いに力を合わせて生きていた幼い姉弟に起きた悲劇は、そう簡単に克服できる代物ではないのかも知れない。けれどウルリックは幸薄いリテアと生活するうちに、人の温もりを感じて愛する気持ちを抱くようになったのだ。

 それにきちんと自分で気付けているかはわからないが、離れるのがリテアの為になると本気で勘違いしているのなら頭を殴って矯正してやりたくなる。

 このまま放っておいてもリテアが幸せになるならウルリックも幸せを感じるのだろう。けれどあの血まみれの部屋で、傷を受け意識のないリテアを抱きしめたまま動かなかった情景は、それではいけないのだとレオナルドの心を揺すり続けていた。






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