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その3



 ふと気づいて顔を上げたウルリックは指を折り数える。

 リテアが来なくなってから三日、少し咳をしているだけだったが悪化したのだろうか。心配に思いながら少女がいつも座って勉強している机へと視線を向けた。リテアはとても気遣いのできる子供で、けしてウルリックの仕事の邪魔をしようとはしない。勉強で解らない所があるとじっくり考え、答えが見つからなければ辞書や資料を使って調べる。それらはウルリックが子供の頃に使っていたものであげるととても喜んでくれた。それらを使っても解らないときにようやくウルリックに声をかけるのだが、それすらも必ずウルリックが手を止めた時を見計らってと決まっている。ずっと一人で籠っていた場所に子供が混じれば邪魔に感じるかもしれないと懸念もあったがそんな事はまるでなく、それ所か定位置に少女がいない寂しさをなんとなく感じる己に気付かされた。


 「様子を見に行くべきなのか?」

 

 ガイアズより口止め料という名の多額の保証を得るために必要となった後見人的な立場。だからとて保護者という立場ではないし、リテアには彼女を保護する実の母親が存在しているのだ。子供が風邪を引いたら親が世話をするだろうし、リテアが子供であっても四六時中面倒を見ていないといけないような年齢でもない。それにリテアを見舞うという事は、そこにウルリックが何よりも恐れる妙齢の女性がいるという訳で。夫を亡くした途端に勤める侯爵の愛人にされてしまうような身なりの女性だ。リテアも可愛らしい容姿をしているだけに、少女の母親を想像すると体が拒否反応を現し痒くなってしまった。袖口からのぞく手首にはぽつぽつと赤い斑点が浮かんでいる。想像するだけでこれだ、行ける訳がない。心配だが元気に出勤してくるのを待つことにして蕁麻疹の原因を脳裏から追い出した。


 それから更に三日が過ぎ、再び訪ねてきたレオナルドにウルリックは怒鳴られることになる。


 「行けよ、修業を兼ねて見舞って来い!」


 栄養不足による低血糖で倒れたウルリックを発見したレオナルドは、リテアの長期不在を知り怒鳴りつける。


 「でも……その。君、行ってくれない?」


 リテアを見舞う気持ちはあるが、それに付き纏う諸々を想像するだけでまさに修行だ。しかも過酷で厳しい。戦場で飲まず食わずの襤褸雑巾になるほうがよほどましだろう。普段は真面目だがこういう事になると尻込みする友人を前に、ついにレオナルドからは冷たい冷気が漏れ出してしまった。リテア不在のお蔭で散らかり放題になってしまった床に霜柱が出現する前に、ウルリックは慌てて行ってくると返事をしてしまう。こんな場所で魔法による喧嘩をするわけにはいかない。城の敷地内で攻撃に関する魔法を使うのは緊急時以外では硬く禁じられているのだ。ウルリックのせいで魔法使いの長に治まっているレオナルドでも罰を受けてしまう。婚約者がいて結婚間近の友人に罪を犯させるわけにはいかない。


 しょうがなく、本当にしょうがなく久し振りに外に出たウルリックは粗末なローブに身を包み、フードを深くかぶって顔を隠す。これだけで大抵の人間は近づいてこないが、時に怪しい人物情報を受けた騎士団の連中に声をかけられる事はあった。それだけならまぁしょうがないと言えるが、声をかけて来た騎士が女性であった場合など大変なことになる。後先考えずに脱兎のごとく逃げるウルリックを追い回す女性騎士は職業柄そうするべきなのだが、時に錯乱して攻撃魔法を仕掛けてしまいそうになるウルリックとしてはたまったものではない。罪もない女性に怪我を負わせるわけにはいかないと理性を持ちながらも、捕まった瞬間には何をするか分からないだけに自分で自分が怖かった。過去の過ちを二度と繰り返してはならない。


 大抵は女性騎士に追われても事情を知る誰かが彼女を止めてくれるのだが、いつもそうだと期待すると痛い目に合うのは経験済みだ。だから外をふらつく場合、ウルリックは決まって危険な裏通りを歩いた。粗末なローブに身を包んだ細身のウルリックは、怪しい雰囲気満載で危険な場所によく馴染む。本人はけして悪人ではないが、いちゃもんをつけようと声をかけた相手を怯ませる程度の顔をしているのも味方した。目の下のクマとこけた頬は薬漬けで危険な相手とみられても不思議ではない。


 なるべく表通りを避け、地図を片手に辿り着いたリテアの家は借家の立ち並ぶ一角にあった。ウルリックと出会った頃は貧民街で雨を凌ぐのがやっとの場所に住んでいたらしいが、ガイアズの援助という名の口止め料を受け取ってからは治安のよいこちらへと引っ越したのである。学校やウルリックの職場までもそう遠くはなく、陽の暮れるのが早い冬場であっても陽が沈んでしまう前に帰宅できる距離だ。ウルリックは周囲を警戒しながら背を丸め、リテアの母親が仕事で不在であればと願いつつ、迷いながらもそっと震える手で扉を叩いた。


 幾度か扉を叩くが不在のようだ。母親は仕事にでも行っているのだろう、良かったと胸を撫で下ろしてそうではないと慌てて首を振る。返事がないのは母親の不在もさることながら、リテアが寝込んでいる証拠ではないか。起き上がれない程に重傷なのかと不安が増す。薬が効かないのなら魔法を使っての治療も考えねばならない。扉を押せば鍵はかかっておらずすんなり開いた。女性だけの暮らしになんて不用心なと眉を寄せ室内に首だけ突っ込んで様子を窺う。やはり母親は不在なようで顔を突っ込んだ室内は外と変わらない寒さだ。


 「リテア、いるかい?」


 入るよと声をかけながら扉を閉じて暖炉に目を向ければ中は炭だらけだが、脇には薪が積まれているので燃料不足という訳ではない。初めて訪れる他人の家に躊躇しながらも、脅えつつ奥へと続く扉を叩いて声をかける。


 「リテア、私だ。ウルリックだよ。開けてもいいかな?」


 扉に耳を当て室内の様子を窺うが人の気配がまるでしない。もしかしてずる休みして何処かに行ってしまったのかとの考えが過るが、日ごろ真面目に勤めているリテアからはとても想像できなかった。まさか事件にでも巻き込まれたのかと、鍵がかけられていなかった状況に恐れを抱き扉を押し開く。ひんやりとした薄暗い室内に人影を見つけ身構えるが、それが床に座り込んだリテアの後姿と気付いてほっと胸を撫で下ろした。


 「リテア、いたんだね。どうし―――」


 狭い室内、踏み込んだ先でウルリックは声を失う。リテアは冷たい床に蹲って呆然と空を見つめており、蹲るリテアの前に置かれた寝台には横たわる女性の姿。焦げ茶色の髪をした女性は硬く瞼を落としている。年の頃は三十代後半でウルリックの苦手とする種類の年頃だが拒絶反応は起きない。何故なら一目でその女性が息をしていない屍だと理解できたからだ。


 「リテア―――」


 声を失って暫く。ようやく少女の名を再び紡いだウルリックに、呼ばれた少女がゆっくりと首を捻り振り返ると虚ろな瞳を向ける。


 「ウルリック……さま?」

 

 リテアの口から白い息が漏れ、ウルリックは返事をすることが出来ずに寝台に横たわる女性へと目を向ける。死後二日といった所だろうか。冷え切った室内にも死臭が漂い始めており、現状を前にウルリックは過去の己を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。友人の怒りを受け氷の刃を身に突き付けられておけばよかったとすら感じた。


 母の死を前に少女は幾つの夜をこの状態で過ごしてしまったのか。母子二人、もう少し気にかけてやるべきだったと後悔しても遅い。


 「大丈夫だよ。」

 

 冷え切った少女の肩に手を乗せると少女の長い睫が揺れ「大丈夫?」と聞き返される。何が大丈夫なのだろう、ウルリックは足りなすぎる己に唖然とした。


 「ごめん、ごめんねリテア。」


 気付いてあげられずにごめんと抱き寄せれば、粗末なローブに僅かな重みが移動し小さな指が絡みつく。侯爵家を追い出され貧民街に身を置きようやくここへ越してきた。引っ越して時は経っているが現状からすると近くに頼れる人間がいないのは明白だ。恐らく小さな少女に頼れるものはウルリックだけだったろうに、そのウルリックは少女がたった一人の親を亡くし震えている時に何をしていたのか。もっと早くに気付いてやるべきだったのに何が後見人だ。少女が休んで三日目に過った不安を己の保身を優先させ見送ったのだ。そして今日も。友人の怒りがなければここへ来ることはなかった。そうなるとこの少女はいったいどれだけの時間を死んだ母親と二人で過ごすことになっただろう。朽ち行く母親を前に少女は虚空を覗き続け、立ち上がる切欠を失ってしまったのではないだろうか。


 「本当にごめん。」


 謝罪する腕の中で少女は身を小さくして震えていた。いったい何が起きてこうなったのか。想像するよりも聞くのが早いが今は問えない。腕の中の少女は震えながら虚ろな眼差しでウルリックの胸に額を摺り寄せていたが、やがて時間がたつと堰を切ったように声を上げて泣きだした。




 女性の住処を訪ねるウルリックを心配したのだろう。暫くするとレオナルドが姿を現し、ウルリックに抱き付いて嗚咽を漏らす少女と、寝台に横たわる母親の亡骸を認め状況を察して唖然とする。

 

 戦場では多くの人間が命を落とし、それに係わって来たのが事実だ。けれど平和な世界で人がこれほど簡単に息絶え、誰知られずに時間が過ぎるというのを目の当たりにして罪悪感を抱く。


 一般的な人々と異なり魔法使いの肉体は強靭だ。解っていたが軽くも考えていた。このような状況は広い世界でよくあることで、けれど自分たちの手元で起きた事に罪悪感と共に衝撃までもが襲い来る。これが話に聞くだけならこれ程ではなかったろうが、関わりを持った十の少女に降りかかった不幸となると話は別だ。二人の魔法使いは己を責め、幸薄い少女に手を差し伸べる。親を失い孤児となる子供は少なくないが、手の届く範囲にいる少女に罪悪感を抱く彼らが必要以上の手を差し伸べてしまうのは仕方のないことだろう。


 魔法使いの長ではあるがレオナルドは人を使わず自ら動き、少女の母親を埋葬するために必要な事柄をすべて整え処理をした。その間ウルリックは常に少女の手を握り続ける。けして離さぬよう、少女がこれ以上の不安を感じぬようにと握りしめた手はとても小さくて、ウルリックはこの数日をひたすら呪い後悔した。


 「私と一緒に暮らそうか?」


 たった一人になったリテアを一人置き去りにすることはできなかった。後見人という役目以前にウルリックはリテアに強い罪悪感を感じていたのだ。


 「でもウルリック様は女の人が嫌いで―――」

 「それでも君の事は好きだよ。それに君はまだ子供だ、大丈夫。大人の女性になったらなったでその時にどうするのかを考えるではいけない?」

 「ウルリックの言う通り、君には保護してくれる大人が必要だ。なんなら私の所にくるか?」


 レオナルドの提案に首を振ったリテアはウルリックの手を取った。それでいいとレオナルドは頷き、贖罪に動く心にウルリックは罪悪感を深くする。リテアを守ることで罪から逃れようとする我が身を醜いと感じ、厭いながらも他にどうすれば良いのかが解らなかったのだ。


 





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