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その23



 レオナルドがそこに辿り着いた時には既に辺りは闇に包まれていたが、裏から一つ越えた通りからは祭りの喧騒が漂ってきていた。


 収穫祭のパレードを終え皇帝よりも先に帰城した皇太子は、街が祭りに踊る中にあっても片付けなければならない仕事が山積みで、その一つである魔法を使っての開拓や干拓を含めた土木工事について説明を受けていた。皇太子より直接依頼され魔法の利用法を楽しく開発しているウルリックは勿論、魔法使いたちを説得に当たる役目を担う事になる魔法使いたちの最高責任者であるレオナルドも同席していたその時だった。ウルリックに変化が起きたのは。


 「どうしたウルリック、具合でも悪いのか?」

 

 軽快に話を進めていた声が止まり、じっと探るように何処ともない虚空を見つめるウルリックの視線。全てを遮断し呼びかける皇太子の声にも反応を示さず、異変に気付いたレオナルドが止めようと腕を伸ばした瞬間。ウルリックは『リテア』と呟き忽然とその場から姿を消してしまった。


 状況が掴めない皇太子に対し、レオナルドはこれから起こる惨劇を予想して席を立つ。リテアに何かが起きたのは明白で、あの虚空を漂う視線は戦場に立った時に見せていたものだ。何の感情も抱かずに目の前に立ち塞がる敵を葬る姿は皇太子は勿論、そこに参戦していた味方ですら戦慄を抱く。


 「何なのだレオナルド、ウルリックはいったい……」

 「止めなければ、死人が出ます。」


 突然の言葉に『まさか』と皇太子は訝しげに眉を寄せる。普段のウルリックの様子から突然そのような奇行に走る男でないのは知られていた。十代の頃より戦場に立ち、他者の追随を許さない魔法で敵を薙ぎ払う残虐性を持ってはいるが、それは戦場に立ち役目を果たしているからであってウルリック自身が狂気じみている訳ではない。それが役目であるから遂行するだけで、いかに多大なる功績を収め望まれようと、地位や権力といったものにはまるで興味がなく、静かに引き籠っていたい穏やかな性格なのは皇太子も、そしてレオナルドも十分に理解しているのだ。けれど一つだけ、あの日に受けた告白が例外があるという事をレオナルドに教えてくれた。


 ウルリックが魔法に目覚めた瞬間に何が起きたのか。その告白を受けたレオナルドは今も信じられない事が一つある。それは『母親を殺したのは後悔していないし、生きて目の前に現れたら再び同じように殺すだろう』という、けして冗談ではない告白だ。幼いウルリックが目にした光景は彼のトラウマとなり、やがて女性を守るために己を縛る拒絶反応として現れるようになった。ウルリックにとっての大切な安らげる唯一の場所、それが母親の恋人に強姦された挙句に嫉妬に狂った母親から奪われてしまった。その永遠に失った腹違いの姉の代わりとなったのが養い子であるリテアなのだ。


 リテアに何かが起きたのだ。最悪死人が出る。それを止めなければと走り出した先で妻の侍女が手掛かりを叫んだ。エーリアル伯爵夫人はウルリックに辱めを受けたと吹聴する元ヴィヴィツ侯爵令嬢だ。エーリアル伯爵は狡猾で出世欲が強く、後妻として迎えた彼女を皇太子の愛人にしようと目論んでいる。そのエーリアル伯爵が皇太子の覚え目出度いウルリックにつながるリテアに手を出すとは思えない。そうなるとこの件は伯爵夫人の独断か。ウルリックは間違いなくリテアのいる場所に向かっている筈である。再び大切な人の命が奪われるような事態になれば間違いなくその場にいる人間を手にかけるだろう。それだけは阻止せねばならずエーリアル伯爵家を訪ねると、夫人のアグネーゼは生きており妖艶に微笑んでいた。


 そこからが大変だった。リテアをどうしたのか簡単に吐くような女ではない。レオナルドが詰め寄るも貴族女性特有ののらりくらりとした言い回しに爆発しそうになった時、ついて来ていた第二隊の騎士であるクリスがアグネーゼの侍女を誑かしでもしたのか手がかりを掴んで耳打ちした。


 「ペシェル伯家の三男アルブレヒトに引き渡したそうです。」

 

 耳打ちされた内容にレオナルドは目の前で微笑む女狐を殺したい衝動にかられた。ペシェル伯爵家のアルブレヒトといえば愛想がよく綺麗な顔をしており社交界でも常に女性に囲まれているが、特別な関係の相手はおらず紳士的だというのが表向きの評価。けれどその実態は加虐性欲者であり、女性の肉体を傷つけながらことに及んでうっかり死に至らしめる事すらあるという性癖が密かに噂されていた。アルブレヒトの性癖や犠牲者が出ているのが事実かどうかは知れないが、リテアはそんな輩の手の内にあるという事なのか。ウルリックが無表情で虚空を見つめていた姿からも、アルブレヒトの性癖は事実である可能性が高い。


 クリスが得た情報ではペシェル伯家の馬車にリテアを押し込んだという。そこにはアルブレヒトがおり、その後の行き先は不明だ。ペシェル家を訪ねたレオナルドは脅しも加えてアルブレヒトが行きそうな場所を聞き出し手当たり次第に探して回る。こんな事ならレオナルド自身もリテアもしくはウルリックに追跡魔法をかけておくのだったと後悔しても遅すぎた。辿り着いたのは表通りから一つ入った通りに面した宿屋で、目的の部屋の前に到着するがしんと静まり返り、中からは物音ひとつする所か気配すらなかった。それでも漂う血の臭いに何事もなければというレオナルドの希望的観測は打ち消される。ついて来ていた騎士たちが剣に手をかけるのを横目にしながら扉を押し開けると中は真っ暗で、咽るような血の臭いだけが漏れ出してきた。


 魔法で灯りをともすと、寝台には頭部のない成人男性とみられる遺体が転がっていた。寝台の上は固まりかけの血が赤黒く浮かび上がり、部屋の辺り一面に飛沫の跡がついている。床に視線を落とすと座り込んだウルリックが剥き出しの四肢をだらりとさせた娘をきつく抱きしめていた。


 立ち入るのも躊躇される血の海に足を入れると、リテアの首筋に顔を伏せていたウルリックがゆっくりと頭を持ち上げる。


 「無事か?」


 なんと声をかければいいのか分からなかったが、腕に抱かれたリテアは血だらけでぴくりとも動かない。生死を確認すればウルリックの視線がレオナルドを通り越して後ろにいるクリスへと固定された。


 「綺麗だよ、大丈夫。この子は何処も穢されていない、綺麗なままだ。」


 感情のない声が無表情で漏れる。リテアの無事と純潔を保証する言葉を貰っても、クリスは惨劇の場に凍り付き返す言葉がない。こんな時にいったい何を言っているんだこの男はと、戦場に立った経験のないクリスはウルリックが何を訴えたいのか全く理解できず、それでも硬く抱きしめられている血だらけのリテアが心配で、動かぬ体から息を吐き出しようやく声を出すのに成功した。


 「彼女は―――生きているんですね?」

 「勿論生きているよ。私は間に合った。」

 「ウルリック……」


 この場で唯一ウルリックの過去を知るレオナルドは、大きく息を吐き出し傍らに膝を付いた。


 「お前は大丈夫か。」


 この状況で間に合ったなどけして口にする男ではないのに。明らかに反応も受け答えもおかしくいつものウルリックではない。おかしくなるのも当然だろうが、こんな状況でリテアの純潔をクリスに訴える、その異様さに不安を覚えた。


 目の下に刻まれる濃いクマだけではなく返り血も浴びて不気味だ。それをさらに感情を宿さない無表情が危険な人間の筆頭にみえてならないが、戦場ではいつもこんな顔をしていたのだとレオナルドは昔を思い返し不安が増す。


 「気なんて狂っていない、全部わかっていてやった事だから。悪いなレオナルド、殿下にも。迷惑をかける。」


 いかなる理由があろうとも庶民が貴族を傷つけることは許されていない。まして殺人など、戦場ならともかくこの場では何があろうとけして許されない行為なのだ。理不尽であろうとなかろうとそれが決まりであり、ウルリックも解っていてやったのだ。

 世界一の魔法使いであり帝国に多大なる貢献をするウルリックである。それでも彼は貴族ではない。しかもウルリックはそれを全てわかっていて殺したのだ。捕縛する力もあったのに、己の感情に任せ貴族の子息を殺めた。たとえリテアと引き裂かれることになろうと、大切な彼女に手を出した輩がこの先も生きることを許さなかったのである。


 「これは―――ペシェル伯家の三男アルブレヒト殿で間違いないのか?」


 一度寝台を振り返って顔を戻せば、ウルリックもつられたように首なしの遺体を一瞥した。


 「三男の名前は知らないが、ペシェル伯家の人間だというのは間違いない。伯と一緒にいるのを目撃したことがあるからね。ああ、確かにこれじゃあ解りにくいな。顔じゃなく首から下を吹き飛ばした方がよかったようだ。」


 大切なものを傷つけた、その輩に対する慈悲は微塵もなかった。常日頃は弱者を思いやる心を持っているのにその片鱗すら宿さぬ物言い。背後で状況を見守る騎士たちが息を飲むのを感じる。戦場に出た経験のない若い彼らにとっては衝撃的な光景だろうに、更にウルリックという魔法使いの人間性を疑う言葉をも耳にさせられたのだ。女嫌いで引き籠りの魔法使いに対する印象が一変する瞬間であるに違いない。


 さてどうしたものか。これほどの惨劇を隠し通すのは不可能だ。レオナルドは意識のないリテアに手を伸ばしかけるが、しばし迷い手を引く。彼女の髪が血と細切れにされた肉片に穢れていたせいではなく、ウルリックがじっとレオナルドの手の行き先を窺っていたからだ。


 「彼女は無事とは言い難い怪我をしている。放っておくと感染症になるぞ。」


 浴びたのは首を失ったアルブレヒトの血だろうが、抱き止められるリテアの頬には切創と挫創のような傷が見られ、挫創は小さいものの周囲が腫れているようだ。実際には熱傷なのだが、アルブレヒトに抉られいたぶられたせいで一目では判別できない状態になっていた。魔法で癒すのは可能だがそれだと自然治癒力が薄れ、繰り返すことにより最後には失ってしまう。命に係わる傷でないなら医師の診断を受けるのが最善であった。レオナルドの言葉にリテアを抱くウルリックの腕に力が籠る。


 「解っているのだけどね、手放したくない。このまま私が抱いて連れて行くのを許してくれないか。」


 本当なら集う騎士らに貴族殺しの罪で拘束され冷たい牢に入れられなければならない。ウルリックがこの場に留まり続けたのは罪から逃れるつもりはないという意思表示であり、同時にリテアの側にほんの一瞬でも長くいたいという気持ちの表れでもあった。

 

 血に濡れ傷を負ったリテアを抱きしめ何を思い続けたのか。見つけられるのを待ちながら、その瞬間が少しでも遅ければと願い続けてに違いない。レオナルドが頷けばウルリックは「ありがとう」と礼を言い、深くしっかりと頷き返した。


 「家に戻るよ。リテアを綺麗にするから医者を寄こして欲しい。」

 「いいだろう。皇太子殿下にも話を通しておく。もし―――」


 逃げたければリテアを連れて逃げろといいかけ口を噤んだ。リテアの為にもウルリックが逃げないというのは解り切っている。逃げるつもりがほんの少しでもあるならとっくにこの場から立ち去り、レオナルドでも追えないような場所に移動して綺麗さっぱり消息を絶っていただろう。


 大事そうにリテアを抱きしめたまま、目の前から忽然と消えるウルリックをレオナルドは悲しみに満ちた表情を隠しきれず、現実から目を背けるように俯いたままで見送った。






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