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その22



 じくじくとした痛みが左の頬を襲う。痛みで覚醒したリテアだが体が思うように動かず、けれどとても我慢できない痛みにようやく手を伸ばすが、指の先でほんの少し触れただけで激痛が走った。


 「うぅっ……」


 喉がからからで唸り声も上手く出ない。目が覚めたせいで痛みが増し、狭い場所を束ねた針で幾度も強く押しつけられたかの痛みが頬から頭部全体に広がる。いったいどうしたのだろうとようやく瞼を持ち上げ、のぞいた瞳は薄暗い周囲をゆっくりと霞の中から炙り出した。


 「どこ?」


 知らない部屋だ。狭くはないが特別広いという訳ではない、一般的な部屋。薄く色付いた壁紙は白なのか黄色なのか朱を帯びているのか上手く認識できないが、所々に染みや破れがあって清潔とはいえなかった。壁には一つだけ窓がありカーテンが引かれているが外は明るい様だ。硬い寝台に寝かされているようで、痛む頬に手を添え起き上がろうとしてようやく異変に気付く。左の手首、そして右にも鎖が付けられ寝台の端に伸びていた。


 「いったい……何?」


 アグネーゼに呼ばれて話をしていた筈だ。途中で睡魔に襲われたのを思い出し、寝かせてくれたのだろうかと思うがそれならどうして拘束なんてされているのだろう。何か知らぬ間に失敗してしまったのだろうかと状況を把握しようとしていると、扉が開いて身なりの良い男が一人入って来た。年頃は二十代中頃だろうか。ゆるくうねる金髪に青い目の鼻筋が通って見目の良い、身なりから貴族と解る青年。


 「もう目が覚めたのか。」

 「あの、わたしどうして……」


 訳が分からず問うが、起き上がり口を動かすと頬が痛んで下を向く。すると男に両腕を取られゆっくりと寝台に寝かされた。 


 「うわぁ、さっきより酷くなってる。かなり痛いよね、可哀想に。」


 同情の言葉を吐き出しながら楽しそうに口角を上げた男を前に、リテアは全身に悪寒を走らせた。綺麗な青い目をしていたが、歳の割に無邪気そうで何処となく危険な雰囲気を醸し出している。


 

 「あの、どうしてわたし、こんな事に……」


 視線を絡めとられ脅えから体が小刻みに震える。すると男はさらに嬉しそうに笑みを深め、男性にしては艶やかすぎる唇を楽しそうに緩めて顔を寄せて来た。


 「知りたいのはその傷、それとも、これかな?」


 男がゆっくりとリテアの手を持ち上げると、冷たい鎖がじゃらりと音をたてる。頬の痛みもあるが恐怖で声が出せないでいると、男はくすりと笑ってじっとリテアを見つめ続けた。


 「火傷はね、私が貰った時からついていたよ。綺麗な君に嫉妬してアグネーゼがやったんじゃないのかなぁ。鎖は私の趣味。」


 この痛みは火傷のせいなのか。鏡を見なければ確認できないが、じくじくずきずきと鋭い痛みを発する様子からかなり酷いものだと想像できる。けれど今のリテアは顔に傷が残るとかの心配などしていられなかった。まだ何かされたわけではない、けれど確実に何かされる。視線や態度からまっとうでない相手だと瞬時に悟らされ、今まさに未知の恐怖が目前に迫っているのだ。


 「もっ……もらった、って?」


 どうしよう、どうしようと頭で考えるが、突然迫った恐怖にどう対処していいのかまったく浮かばない。足は自由なようだが腕を拘束されている。どうやって逃げ出せばいいのか。対処できる武器もなく、けれど黙って怖い目に合うのは嫌で考えようとするが、恐怖が先走り呼吸が浅くなっていた。


 「君を好きにしていいって、アグネーゼがくれたんだ。」

 「アグネーゼ……エーリアル伯爵夫人がどうして―――」

 「時々ね、彼女の邪魔になる女を滅茶苦茶にしてあげているから、そのご褒美じゃない?」


 ふふっと笑った男は線が細く魅力的な姿をしていた。けれど向けられる視線は執拗に恐怖じみて、助けを呼びたくても喉がつまって声を出すのもやっとだ。泣き叫べば外に聞こえるだろうか。けれど相手は貴族だ、女を一人閉じ込めて口の自由を奪っていないのだからそれなりの対処をしているに違いない。それでも足掻きたいが、肝心の悲鳴が上げられなくて喉から細い息が出るばかりだった。


 「まだ何もしてないのに凄い脅えようだ。そんなに怖がらなくていいのに。」


 くすくすと笑った男の指先がリテアの傷に触れる。激痛が走り顔を背け体を捻ると呆気なく男が上から退いたが、どこから取り出したのか手には細身のナイフが握られていた。恐怖で目を見開くリテアを楽しそうに眺め、この男は本当に頭がおかしいのだと解って更に恐怖が増した。


 「君、名前は?」


 問いながらナイフの先でリテアが身に纏う衣服をゆっくりと裂いていく。怖くてぎゅっと目を瞑ると再度傷に触れられ痛みに目を見開かされた。


 「名前を教えて。あ、もしかして声が出ない? それなら可愛らしい舌なんていらないよねぇ。」


 傷から指が離れるとそのまま顎を捕らえた。必死で頭を振り声を振り絞る。


 「リテアっ、リテア=フロスクです!」

 「そんなに大きな声を出さなくても聴こえるよ。祭りでこの階に人はいないけど、出来るだけ声は出さないで。邪魔されたら嫌だからね。」


 身勝手な理由で声を押さえるよう言われ、大きな声を出せば逃げ出せるだろうかと考えるが、常に向けられるナイフの切っ先が怖くて、みっともなく震える身を押さえるように奥歯を噛み締めた。けれどその間にも慣れた手つきで衣服が切り裂かれていく。先の見えた状況を何とか変えたくてリテアは息を吸い込んだ。


 「おねがい、止めて下さいっ。」

 「服はいらないから。肌は傷つけないよ、大丈夫。」


 優しく穏やかな物言いだがやっていることは別物だ。言葉の通り着ていた服は裂かれ綺麗に剥ぎ取られた。残されたのは膝丈の白い肌着だけだ。


 「ああ、やっぱり。とても綺麗だね。」


 男は芸術品でも見るかの如く目を細め感嘆の声を上げる。薄暗い室内で曝されたリテアの姿は丸裸ではない。けれど見下ろす青い目は狂気じみて安心できる要素は何処にも存在してくれなかった。男が伸ばした指先がリテアの細く白い足先に触れると、肌の感触を楽しむようにゆっくりと上に辿る。行く手を阻もうと腕を伸ばすが男の動きは止められず鎖がリテアを阻んだ。


 「やだっ、やだやだっ!」

 「何て肌理きめがこまかい、まるで赤子の肌のようだ。」


 逃れようとばたつく足を押さえつけると顔を寄せて赤い舌を覗かせる。内腿をなぞられ濡れた生ぬるい感触に虫唾が走った。


 「ひっ!」

 「静かに。」

 「やっ!」


 叫びそうになる声を無理矢理抑え込む。穏やかな声色に騙されそうになるが、男が握るナイフがリテアの白い太腿をなぞり、浅く裂かれた皮膚からぷくりと赤い血が浮かび上がった。


 「ほら、君が動くから。こんな綺麗な子は初めてだからゆっくり楽しみたいんだけど。」


 アグネーゼに感謝しなくてはと男の指が肌着の中に滑り込み、足の付け根を探られ引き攣る様な痛みを感じてリテアは唇を噛んだ。ぐつりと男の指先がリテアの体に入り込む。


 「あれ、凄く硬いけどもしかして未通?」


 するりと指が抜け意外そうに目を丸くした男の青い瞳がリテアの怯える茶色の瞳を覗き込む。促され声も出せずに震えに任せ頷けば、それはそれは楽しそうににたりと微笑まれた。


 「淫売だって聞いたけどアグネーゼの単なる嫉妬か。嬉しいね、暴くのが楽しみだよ。」


 男の指が無遠慮に頬の傷を押し忘れていた痛みがリテアを襲う。抉られるような強烈な痛みに堪えていた悲鳴が上がるが、掌で強く口を覆われ押し止められた。


 「うぐぅっ!」  

 「痛い? いたよねぇ。ははは、なんて可愛いんだ。素敵だよ。」

 

 全身で痛みを訴え暴れるが、上に押し乗られ体の自由は奪われてしまう。逃れられない痛みにのたうち、塞がれた掌に悲鳴を押さえ込まれながらも溢れた唾液が隙間から流れ出た。一通り楽しんで気が済んだのかようやく傷を抉るのを止めてくれるが、ずきずきと疼く痛みは頭部だけではなく全身に巡る。やがて痛みにのたうっていた四肢は力尽き、だらりと投げ出され、それでも流れた涙が傷に刺激を与え続けていた。


 「ふっ……ふっぅ……」


 焼かれるような刺激に暴れたくても体が動かない。アグネーゼと話をしていて意識をなくし、目覚めた途端にこれなのだ。与えられる痛みと精神的な衝撃に体が麻痺して恐れが全身を這いまわる。綺麗な顔に似合わぬ舌なめずりをした男が首筋に噛みついたせいで、固定されていた顔が動き、無事だった右の頬をナイフの刃が傷つけ血が流れた。


 「ほら、動くなっていってるのに。」


 君が悪いんだよと喉の奥で笑われるが、左頬に走る激痛がナイフで傷つけられた右頬の痛みを消し去ってしまう。このままこんな場所で殺されるのだろうか。綺麗な形に猟奇的な感情を隠しもせずやりたい放題の男を前に、リテアの体が恐怖でがくがくと震え出した。男は構わずに笑って唇をリテアの柔らかな肌に這わせる。


 「血と汗と、それから石鹸かな。大抵の女は香水臭い、勿論アグネーゼも。でも君からはいい匂いしかしない。貴族じゃないね。でもアグネーゼの目に止まるのだから、どこか良い所のお嬢様かな?」


 答えを求められるが応じる余裕はなくなっていた。怖くて怖くて、こんな所で死にたくないと上がらぬ悲鳴が喉から漏れ続ける。逃れたくて暴れたせいで手首の皮は剥がれ、滲む血の間から肉が見えていた。


 「ほら、答えないなら可愛い舌を削いでしまうよ。」


 貪る肌から唇を離し、リテアの口に指を突っ込んで促す男に首を振って抵抗を見せる。顎を捕われ最後の促しがされると、リテアはカチカチと奥歯を鳴らしながらなんとか声を出した。


 「助けて、助けて怖い。ウルリック様たすけて……」

 

 耳を寄せようやく聞き取れるような弱い音に男は首を傾げる。


 「ウルリック? 何処かで聞いたような名だけど思い出せないな。父親、それとも恋―――」


 触れる程近くに顔を寄せた男が『恋人か』と問う声は永遠に紡がれる事はなかった。弾けるような音がしたかと思うとリテアの視界いっぱいに色鮮やかな赤色が広がり、男が己を支えていた力を失って首から下だけでリテアの上に倒れ込んでくる。


 驚き目を見開くリテアの目と口の中に入り込むのは、たった今まで顔を突き合わせていた男の残骸。粉々に弾けて粒となった血潮が行き場を失い降り注ぎ、咽るように濃厚な臭いとなり一気に襲い掛かる。何が起きたのか分からず、けれどたった今、目前で弾け飛ぶ男の頭部を至近距離で目撃したリテアは、口の中に流れ込む血や細かな肉片、そして眼球を濡らす血に反応して目と口を閉じるのも忘れ凍り付いた。


 驚きに止まっていた息を吐き出すと、口内に溜まった血が飛沫となって溢れる。喉に詰まった欠片が咽頭反射を引き起こし、胃の中に残ったものと一緒に全てを吐き出させた。


 「うっ、うげっ―――!」


 体を捻れば上に乗っていた首を失った男がずるりと落ちて行く。嘔吐えずくまま下を向きその場に嘔吐おうとを続け、吐くものがなくなっても吐き気は治まらず口元を押さえる。そこでようやく手首を拘束していた鎖がないのに気付かされた。

 

 何が起きたのか。状況を把握しようと何とか目を開いて顔を上げた先に黒い塊を認める。それが人だと解り更に顔を上げると、死人と勘違いするほどに顔色の悪い男が無表情でリテアを見下ろしており、それが誰かを知るや否や残った力の全てを使って腕を伸ばした。


 「ウル……」

 

 伸ばした腕は届かず崩れ落ちる。けれど赤く濡れた寝台に沈む直前に伸ばされた腕がリテアを捕らえ、血の海と化したその場から引き摺り出して強く抱きしめてくれた。安心できる場所を見つけたリテアは逃げ込むように顔を寄せ、その胸に縋り付いて安心できる匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


 「たすけてウルリック様―――」


 助けてと、言葉を残してリテアは意識を手放す。ウルリックは腕の中で力を失ったリテアを強く抱き込み、無表情のまま血濡れた髪に頬を寄せ瞼を落とした。


 「遅くなってすまない。本当に、本当に私は―――」


 意識のないリテアを抱き寄せ耳元で囁く。贖罪の声は咽るような血の臭いに紛れた中であまりにも不釣り合いだった。

  


 



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