その2
レオナルドの忠告を無視して仕事を続けていると視界が霞み息が上がって来た。ずっと何も口にしていないせいで体が脱水と低血糖を起こしていたのだ。しょうがなく立ち上がるがふらついてその場に倒れ込む。ちょうどそこへ現れたレオナルドが散らかった床に蹲るウルリックを見つけ呆れたように溜息を落とした。
「こういう事になるから気を付けてもらいたい。」
言葉はウルリックに向けたものではない。レオナルドの後ろから「はい」と素直に応える幼い、聞き覚えのある声がウルリックの耳に届く。
「甘い菓子と水を持ってきてくれ。」
「わかりました!」
耳鳴りの向こうで少女の声がした。幾度経験してもこの状態からの復活は魔法を使っても難しい。暫くすると口に焼き菓子が押し込まれたので咀嚼し、飲み込むとコップがあてがわれ遠慮なく喉を鳴らした。そのまま待つとすぐに体が回復して状況が飲み込めてくる。見慣れた友人と、その傍らには心配そうに瞳を揺らす少女―――リテアが城勤めのお仕着せを着て座り込んでいた。
「えっと……もしかして嫌な予感が当たったのかな?」
「こんな可愛らしい女の子が世話をしてくれるっていうのに、本当に君は困った男だ。」
仕事に熱中するせいで部屋に籠り寝食も忘れて倒れるを繰り返すウルリックの為に、友人は時に彼を外に追い出し、時間を見つけては様子を窺いにやって来る。こうして倒れているのを発見するのも日常茶飯事だ。自分を心配してくれる友人が何を企んでいたのかようやく察したウルリックは、迷惑をかけているのは自分なので文句を言えないのは解っているのだが。
「彼女を巻き込むのはよくないよ。」
なにせリテアは学校に行きたくて問題を起こしたのだ。賠償金で学費とある程度の生活費が賄えるなら学校に行かせてやるべきなのに、どうしてお仕着せなんて着せられているのか。権力者が学びたいと望む子供の意欲を奪ってどうするのかと、ウルリックはらしくない友人の行動に眉を顰めた。
「こうでもしないと君が人らしく生きてくれないからな。城内で餓死なんてやめてくれ。それに彼女にとっても悪い条件じゃない。午前中は学校で君の世話は午後からだ。君が従えば彼女の仕事も減るし、空いた時間で自主学習も出来る。勿論予習や宿題の解らない所は君が教えてあげるんだ。学力が伴い真面目に勤めれば城での就職も夢ではない。当然君は彼女の未来を阻害するような真似はしないだろうね?」
ウルリックにとってもリテアにとってもこの上ない条件だと嘘くさい笑顔を見せる友人に、ウルリックはあきらめるしかないなと溜息を落とした。
魔法使いは普通の一般的な人間よりも頑丈な作りをしている。怪我も病気もしにくいし、多少摂取を怠っても倒れたりはしない。だがウルリックは魔法使いの肉体を持っているにもかかわらず頻繁に倒れて命の危険に曝されるのだ。研究に没頭するあまりに生きるのに無頓着となってしまう。妻とは言わず恋人などの大切な人を得れば少しは自分に気を使ってくれるのではとレオナルドが考え手を尽くしても、過去の出来事が原因で女性嫌いは一向に治らない。最近では妙齢の女性が近づくだけで動悸息切れを起こし蕁麻疹を発生させていた。ヴィヴィツ侯爵令嬢の件の後はしばらく寝込んで大変だったので無理矢理女性を押し付けるような事は出来なくなったが、そこにリテアという少女の事件が舞い込んできたのだ。
レオナルドの企みにリテアは完全に巻き込まれた状態だ。小さな少女だが女である。けれど妙齢の女性になるまでにはまだ時間があり、少女が側にいてもウルリックに拒絶反応は起きない。レオナルドは対処を任された少女を逆に利用してウルリックに責任を持たせることを考えついた。何よりもリテアを保護したのはウルリックだ。ガイアズ商会が求める後見人となる資格は十分すぎるほど持ち合わせているし、ウルリックの能力なら少女を城勤めの文官に仕上げるだけの力はある。後はやる気があるかどうかの問題だが、そこに他人の将来がかかっているとなれば無視はできまい。少女にどこまでできるかは未知数だが、努力すれば女性でも出世はできると匂わせればそれを正しく理解したリテアは元気に頷いた。馬鹿ではないようでレオナルドも気に入った次第だ。
リテアに与えられた仕事は三つ。ウルリックの部屋の掃除と食事をとらせる事。そして傍らで勉強し、ウルリックに研究以外に意識を向けさせる努力をすることだ。それ以外は特に何をしてもいいと言いつけてあるが、出勤してきて真っ先にするのは二人で昼食をとり、帰り際には必ず夕食を取るために食堂へつれて行くのだけは守るよう指示を出している。それにウルリックが異を唱えるなら『首にされる』と脅すように言いつけていた。庶民の間では城勤めは最大の出世、それを取り上げる行為を真面目なウルリックも出来ないだろうとレオナルドは睨んでいる。
「どうするウルリック。彼女の未来を阻むか?」
「―――いいよ、最初に声をかけられたのは私だ。ちゃんと面倒をみるよ。」
幼い少女が真っ直ぐに向ける瞳に拒まないよと意味を込めて笑いかける。この年齢なら普通にしていられるのに、いつか少女が大人になる過程で彼女を恐れるようになるのだろう。その日を思うと申し訳なさでいっぱいだ。ウルリックも恐れる相手がけして悪いのではないと知っているのだ。それなのに妙齢の女性というだけで毛嫌いして、ウルリックの態度のせいで相手が嫌な思いをしたり不快に感じるのはよくわかっているのに。けれど幼少期に受けたトラウマが原因でどうしても苦手意識は払拭しきれなかった。
「レオナルドに聞いているかもしれないけど、私は女性が怖いんだ。小さな女の子や老齢の女性には恐れを抱かないのだけど。だからいつか私が君に嫌な態度をとったとしても君が悪いわけでも君を嫌っているわけでもないから。それを覚えていてくれると嬉しい。」
「えっと、あの―――わかりました。」
ちらりとレオナルドを見上げた少女はウルリックと視線を合わせて頷く。聞いてはいたのだろうが意味はよく解っていないようだ。現在はどうあれきちんと教育された少女の後見人的役目になるのだからと、ウルリックも相手が子供であっても誠実に対応する。忠告しておけばその時が来て少女が忘れていたとしても心の何処かに留め置き思い出すだろう。少女が大人の女性となったときに、目を見て態度の急変を釈明するだけの余裕がないだろうというのはウルリックが誰よりも解っている。そうやって沢山の人を傷つけた経験もあってウルリックは情けなく眉を下げた。
リテアが通うようになった学校は、多くの庶民が通う一般的な学校で午前中には終わってしまう。ガイアズ商会を少し脅せば貴族と同じかなり高等な教育を受けられるが、リテアの生まれでそんな場所に放り込めば友人の一人も出来ないで終わってしまうだろう。それならとウルリックやリテアを取り巻く環境を短時間で調べ上げレオナルドが下した判断は正解だ。リテア自身がもっと学びたいと願えばウルリックが教えればよいだけと、引き籠りの友人を案じた結果がこれであった。
彼らにとってリテアは忠実な働き手となった。午前中に学校を終えたリテアは寄り道もせずやってくると、ぐずるウルリックを引っ張りきちんと食堂へつれて行く。ウルリックが昼食を抜けば必然的にリテアも食べそこなうとあっては仕方がないとウルリックも重い腰を上げた。だが慣れてくるとウルリックは今回だけだからとリテア一人で昼食に行くよう指示を出す。実験が上手く行きそうだから手を離したくないというウルリックの言葉にリテアは頷き部屋を出た。
ウルリックは魔法を使った道具の研究をしている。魔法は戦争に使われる危険な面もあるが、上手く使えばとても便利なものなのだ。その恩恵を魔法を使えない人たちにもと考え、ウルリックは様々な道具を考案していた。だが一般に出回るような品を作り出すには至っていない。魔法の力を籠める品物が硬度のある石でなければならないという難点があるからだ。選ばれるのは金剛石など希少価値が高く高価な石ばかり。その辺に転がっている石でも使用できるようにしなければ普及は難しいだろう。
透明に輝く宝石の塊とその辺で拾ってきた掌サイズの石を前に頬杖をついて考え込む。足元には魔力を注ぐのに失敗して粉々に破壊された屑が散乱している。扉が開いたのでリテアが戻ってきたのだとわかり、散乱する塵を片付けるのだろうなと足でごみを避けて気持ち掃除を手伝うつもりになる。すると二つの石を凝視する目前に何かが差し出された。
「え?」
「ウルリック様、あ~ん、して下さい。」
「え?」
「だから口あけて、あ~ん!」
一口大にちぎったパンをリテアがウルリックの口元に差し出していた。口を開けろと言われるまま開けばパンが押し込まれ咀嚼する。すると今度はスープの入った椀をもってパンを浸すとそれを差し出し「あ~ん」と真剣に言われてしまい、ウルリックは素直に再び口を開いた。しばらく無言のまま時間が過ぎる。その間リテアは甲斐甲斐しくウルリックに食べ物を差し出し、ウルリックは差し出される食べ物を小さな子供がされる様に口に運ばれ続けた。
「はい、これでお終いです。お水飲みますか?」
「ああ、うん。いただくよ。」
するとリテアはコップを口元に運んでくれ、零さないよう注意しながら真剣な顔でウルリックに水を飲ませてくれる。されるがままを受け入れるウルリックは最後に口元を拭われ食事を終了した。
「……ごちそうさま。」
十歳の少女に両手を怪我したわけでもない大人が介護よろしく食事を与えられるなんて。唖然としながら全てを受け入れた己に驚くが、リテアは何も気にしていないようで一仕事したと言わんばかりに額にかかった前髪をはらう。
「食器を返してきますね。」
「うん。あっ、君は食べたの?」
「えっと……返したついでに頂いて来てもいいですか?」
「勿論だよ。その……申し訳なかったね。」
「いいえ、これが仕事なので!」
元気に笑顔で部屋を出るリテアを見送り、ウルリックは明日からは注意しようと心に誓った。
子供ながらリテアはよく働く。朝から学校に行きその足でウルリックの元にやってきて、小間使いの様に掃除に雑用をこなし空いた時間で自主学習に励む。疲れを見せないのは楽しくやっているからだろう。素直で働き者、そしてウルリックの仕事の邪魔をしない少女を彼はとても気に入っていた。そしていつか必ずやって来る現象に心を痛める。こんなにいい子なのに、リテアが大人の仲間入りをした途端に拒絶反応を見せてしまうであろう己が嫌でならなかった。なるべくなら傷つけたくない、その程度の情が湧いていたのである。
そうして月が過ぎ、冬の季節が中ごろまで進んだある日。いつもは元気なリテアが沈んだ表情で机に向かっていた。どうしたのだろう、学校で何かあったのかと気にしていると時折小さな咳をしている。
「風邪ひいた?」
「ごめんなさい、うつしたら大変ですね。」
「こう見えても私は頑丈なので心配はいらないよ。でも君は違う、具合が悪いなら休んでも構わない。必要なら医者に診てもらってゆっくり休みなさい。今日はもういいよ、元気になったら出ておいで。」
「ごめんなさい―――」
目の下に万年ぐまを刻み細身で今にも倒れそうな形をしていてもウルリックは頑丈だ。魔法使いというものは頑丈に出来ているらしく一般人と比べて病気になり難いし怪我をしても直りがはやい。近頃は摂取を怠り倒れることもなくなったウルリックは、相変わらず顔色の悪さはあるが元気いっぱいだ。純粋にリテアの体を心配して誤解を招かないように言い含めれば、リテアは素直に従い早々に仕事を切り上げた。
ウルリックの言葉に従ったのか、翌日は昼を過ぎてもリテアは姿を見せなかった。医者にもかかるようにすすめていたし、前と違って医者にかかるお金もあるはずだ。心配はしたが良くなれば姿を見せるだろうと、ウルリックはリテアがいないのを良いことに昼食抜きで仕事に打ち込み、気付けば夜も更け夕餉の時間などとっくに過ぎて朝食の方が近い時刻になっていた。そのまま徹夜で仕事をして次の昼を迎えても手を止めないウルリックの部屋を友人が訪れる。レナルドはあるべき少女の姿を認められずに眉を寄せた。
「彼女はどうした?」
「風邪で休んでいるよ。」
「―――リテアがいなくなった途端に昔に逆戻りか?」
レオナルドの言葉でようやく食事をしていないのを思い出す。彼女と話したのはいつだったかと思い出し、昨日からだからまだ平気だと答えると睨まれた。
「今から行こうと思っていた所なんだ。ああお腹が空いたなぁ。」
「白々しい。」
疑いの視線を向ける友人を前に仕事の手を止め食堂へ向かおうと腰を上げる。仕方なしといった感じの様に、レオナルドは溜息を吐きながらリテアの回復を心から望んだ。