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その15


 

 出勤した魔法師長室でレオナルドを待っていたのは、南の果てにいるはずのウルリックだ。正確には待つのではなく倒れているに近い状態でだったが。


 相変わらずどころか今まで見知る以上に悪い顔色で長椅子の上でぐったりしている。帰還の知らせは受けておらず、レオナルドは目の前の男が勝手に戻ってきたのだと理解して盛大に溜息を吐いた。


 状況を察するに魔法による転移で勝手に帰って来たのだろう、リテアの元に。そして彼女が目を覚ます前に気付かれないよう再び転移して、けれど南の地まで移動するまでの力は回復しておらず、取りあえずいいわけできる範囲としてここへ移動して来たに違いない。


 「リテアから逃げて来たのか。それで、殿下への言い訳はどうする?」

 「工事現場で重傷を負った男を助けてね。昨夜はその妻がえらく感謝して抱き付いて来た。そのせいだって言ってくれると助かるよ。証人もいるし。」


 リテアに会いたかったからだと素直に認めればいいものを。心の内で悪態を吐きながらもレオナルドは、魔法の使い過ぎで力尽きている友人を残し王太子の元へ向かう。向こうからウルリック脱走を理由に更に面倒な仕事を言いつけられては可哀想という思いと、心に大きな爆弾を抱えている友人を案じての行動だ。


 それにしてもどうしたものかとレオナルドは現在の状況を頭に思い描く。

 今回の件を招いたウルリックの力の暴発、それは全てリテアに関することだ。初潮を迎えた時もそうだし、大人になり手放す時が近づいているという思いから再びそれは起きた。そのどちらもリテアが大人になったからではなく、失う恐怖で引き起こされたものだ。ウルリックがリテアに抱く感情が何であるのか、正確にはレオナルドにも解らない。けれどこれが異性に向ける恋情であったならこの先どうなるのだろう。すでにリテアは恋人と呼べる存在を手に入れている。レッグスの話しによるとその騎士は特別素行が良いわけではないが、騎士として信頼できるし女性遊びに精を出してるわけでもない。捉え方によっては嫌う人間もいるだろうが、どちらかというと信頼できる男で、自分の娘が結婚したいと言ってきても反対するような輩ではないという。重い過去を抱えたウルリックと比べると、リテアにとっては望ましいと言える相手である。


 「嫁に出せるのか?」


 手放す事はするだろうが、問題はその後だ。

 ウルリックもリテアにとって自分が最良の物件でないのは悟っているだろう。恐らくリテアが望むなら反対せずに嫁に出すに違いない。だがその後はどうなるのか。レオナルドはウルリックが女性不振となった原因を正しく聞かされ、今もなお抱え続ける心の闇に直面させられた。ウルリックはリテアに対してすくなからず依存傾向にある。彼女を手放して今までのように平穏にやって行けるのだろうか。


 「第二にやったのは間違いだったのかも知れない。」


 ウルリックだけを考えるとそうなるだろう。だがリテアの母親の死に責任を感じているレオナルドとしては、ウルリックだけの事を考えてはいられない。どうしたものかと立ち止まり、結局は外が手を尽くしてもどうにもならないのだろうと再び歩き出した。




 *****


 朝目覚めたリテアの鼻孔を慣れ親しんだ香りが擽る。ゆっくりと瞳を覗かせると、二度三度と瞬かせながら覚醒するうちに、懐かしく待ち望んだ匂いが誰のものであるのか気付いて飛び起きた。


 「ウルリック様!」


 寝台から飛び降り、足をもたつかせながらウルリックの部屋に辿り着く。名を呼びながら扉を叩いて反応を待つが返事はない。勢いよく扉を開くと、長い主の不在を感じさせる冷たい空気がリテアの全身を撫でた。


 やっと帰って来たと喜び勇んで駆けつけた先はもぬけの殻で、そこにいたであろう形跡も何もない。家中を探して回ったが求める存在は何処にもなく、最後にはぺたんと床に座り込んで放心状態だ。


 がっくりと肩を落として出勤すれば、落ち込んだ様子に周囲が心配してくれる。笑ってごまかして仕事に戻るも、幻覚ならぬ幻匂に惑わされこれ程落ち込む我が身に大人になり切れない、何時までも甘えたままの我が身を思い知らされた。この様子だと幻覚を見るのもそう遠くないだろう。


 「だめだわ、しっかりしないと。」


 近頃は独り言も増えている気がする。一人になりたいときに訪れる古ぼけたベンチに腰を下ろして青い空を見上げていると、視界に被せるようにしてクリスが顔を覗かせた。


 「気配がないです。」

 「驚かせたならごめん。」


 少しも悪いと思っていないだろう笑みを浮かべたままリテアの隣に腰を下ろす。騎士の特徴なのか、草を踏む音さえさせずにこっそり近寄られる事が度々あってリテアはその度に驚かされていた。大抵落ち込んでいる時なだけに、クリスも解ってやっているのだろう。度々やられる子供っぽい悪戯の繰り返しのお蔭でいつも想いを馳せるウルリックから意識が反れる。

 

 「昨日は楽しめた?」


 アブリルに会うというのは話していた。会えて嬉しかったが楽しかったとは違うので少し答えに悩む。


 「まぁまぁです。クリスさんは夜勤明けですよね?」

 「明日の昼まで空き。やっと眠れる。」


 ベンチに背を預け体をほぐす姿に穏やかな日常を感じる。昨日クリスは午後からの出勤だったが徹夜による街の警護担当だったのだ。近頃は大きな戦争はないが、要人の護衛に街の治安維持、災害時の派遣に騎士としての訓練とクリスも忙しい毎日を送っている。


 「お疲れですね。宿舎に戻られてお休みになってはいかがですか?」

 「そこは膝を貸しましょうかだろ?」


 薄緑の目が反応を窺うように向けられるが、リテアは至って真面目に答えた。


 「昼休みはもうすぐ終わりなんです。」

 「ああ、もうそんな時間か。じゃあ代わりに夕飯食いに行こう。約束してくれるならこのまま帰って寝る。」


 何が代わりでどうして約束しなければならないのか。仕事に疲れて休む時間になっているのだから大人しく宿舎に戻り睡眠を貪ればいいのにと、誰もが思うようなことを思い浮かべ口にしかけたリテアだったが。これではどこにでもいる友達だ。ふいに昨日の決意を思い出し言葉を飲みこんだ。


 ウルリック不在時の夕食は帰りが遅くなるのを理由に断っていた。けれどこれではいけないのだ。アブリルの言葉もリテアの背中を押す。


 「そうですね、わかりました。それじゃあクリスさんは帰って寝て下さい。」

 「え? は? それって行くってこと?」


 誘っても断られるのは解り切っていた。それでも挨拶の言葉の様に繰り返してきた文句だが、いつもと異なる答えが返ってきてクリスは空耳かと目を瞬かせる。


 「そうですよ。だからちゃんと休んで疲れを取って下さいね。」

 「本当に俺と行くのか? 二人でだぞ、何かあったのか?」


 あまりにも訝しむのでリテアは思わず吹き出してしまう。その通り、変化を恐れて内に籠るのではなく外に出る勇気をもってみた。この先に何があるのか分からないが、好意をもって側にいてくれる人を受け入れる努力くらいはしてみるべきなのだ。

 

 仕事を終えたリテアは簡単に身支度を改める。と言っても一度家に帰ってなどではなく、乱れた髪をとかしてまとめ直し、衣服に皺や埃がないかといった程度のものだ。これまでクリスと二人でどこかに出かけた事はなく、初めてのデートというものになる。緊張して硬くなる体を深呼吸で解して待ち合わせの場所へ向かうと、騎士服から普段着に着替えたクリスが待っていた。


 つれて行かれたのは大衆食堂に近い感じの、硬くならずに済む居心地の良い場所だった。料理はおいしくてお酒を勧められたが断りを入れると、クリスも遠慮したのか水を飲んでいた。食べる量はさすが体を使う仕事だけあって豪快だ。普段食事の場所をウルリックと同じにしていたので、基本的に事務職に値する人たちしか知らない。リテア以上なのは当然だが、ウルリックが食べる倍の量を次々と口に入れて行く様には思わず釘付けにさせられる。驚かされたがとても新鮮な感覚だった。クリスからすればウルリックも小食の類に入るだろう。


 「リテアはあんまり食べないんだな。」

 「そうですね、さすがにクリスさんと比べると少食ですね。しかも今夜は見ているだけでお腹いっぱいになりかけてます。」


 それでも残さずに食べた。近頃は食欲がなかったので久しぶりにお腹いっぱい食べすぎてしまう。食べ物や互いの子供の頃を語り合い、騎士団の話などをして楽しい時間を過ごすことができた。クリスは慣れているのかもしれないがリテアは初めての経験だ。意外にも簡単にこなせたとほっとする。全てはクリスのお陰なのだがリテアは満足していた。


 食事の後はゆっくり歩きながら家まで送ってもらう。一人で帰れると断りを入れたが、付き合っているのに何を言い出すのかと叱られた。正直に慣れていないのだと謝罪すると分かっていると笑ってくれ手を繋がれる。剣を握る手は大きく掌は硬くて指は太い。ウルリックの骨ばった指も男性の物だか、クリスの手はとても男性的でどきりとした。


 「どうした?」

 「とても緊張します。正直恥ずかしいです。」

 「嫌じゃないんだろ、上手くやって行こうな。」


 さらりと吐かれる押しの強い言葉なのに押しつけがましくない。強引でもどこかに逃げ道を作ってくれるから安心できるのだろう。大きくて背の高いクリスの隣に並んで歩き、手を繋いで直接体温を感じる。最後にウルリックがこうして手を引いてくれたのは何時だっただろうか。やっぱり会いたいなと感じてしまう。こんなので自立できるのか、ウルリックから離れて行けるのかと不安になるが、とにかく一歩ずつ前に進んでいくしかないのだ。俯いたリテアは黙って見つめる薄い緑色の視線に気付けなかった。


 家まで送り届けられリテアは腰を折って丁寧な礼を述べる。送ってもらうのは度々あったので何時もの様にこれでお別れと笑顔を向けると、クリスは別れの挨拶ではなく、真面目な顔つきで一歩リテアに近づいた。そして腕を伸ばしリテアの腰へまわしてぐっと引き寄せ頤に指が触れる。


 腰に回された腕を引きはがせないのは彼が鍛えられた騎士だからではない。頤に添えられた指も拘束力はないのに、まるで金縛りにでもあったかのごとく身動きできなかった。高い位置から顔を寄せる動きをリテアは息を飲んでただじっと見つめ受け止める。


 そっと重ねられた柔らかさに、塞がれた唇が震えた。一拍おいてゆっくりと離れ、驚く茶色の瞳に薄緑のそれが交わる。心の内側を窺うように絡んだ瞳は同時に熱も宿している。溶かされるように見つめられ鼓動が跳ねたが、それは淡いときめきではなく経験による恐ろしさによってだ。


 リテアの体に湧いた緊張を察したクリスはそれ以上踏み込まない。見つめたままゆっくりと細い体を開放し、頤から指を離すと、最後に親指の腹でリテアの下唇をなぞる。


 「おやすみリテア。戸締りを忘れるな。」


 笑って手を振るクリスにリテアは何も答えられなかった。




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