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その11



 「クリス=アルファードって、黒髪に薄い緑色の目をした騎士だよね。」

 「そうです。ウルリック様はクリスさんと面識があるんですか?」

 「ないよ。でも全員覚えている。」

 「―――そうなんですか。」


 第二隊のほとんどの騎士とは面識はないが、リテアが第二部隊に配属されると決まってから全員の名前や経歴、そして人相は全て確認済みだ。いつ誰と何処へ出かけるかとなった時に頭に思い浮かばない相手がいては危険と、ウルリックは保護者としての役目を徹底して果たそうとしていた。一歩間違えばストーカーと言われてもおかしくない行動だが、表立って動いてはいないのでレオナルドにすら知られていない。リテアは特に深く考えず納得するとちぎったパンを口に運んだ。


 「楽しんでくるといい。遅くなりそうなら迎えに行くよ。」

 「ありがとうございます。遅くならないように気をつけますけど、場所は確認してお伝えしますね。」

 「―――うん、そうだね。頼むよ。」


 リテアの居場所などあらかじめ聞いておかなくても知ろうと思えばすぐに解る。けれど探査魔法を仕掛けているのを知られるのはなんとなく後ろめたくて、何年も秘密にしたままになっている事柄だ。自分は保護者なので特に了承を得る必要はないと思っていたが、間もなく成人の年齢を迎える女性に対してやっていい事ではないと最近になって思うようになっていた。


 そう、ウルリックはリテアがちゃんと大人の女性に成長しているとの認識を持っているのだ。けれど初潮を迎えた時の様な動揺はなく不思議と無事にすんでいる。


 あの日以来、少しずつ成長を遂げる少女の姿を恐れながらも悲しい想いを抱きつつ眺めていたが、どういう訳かリテアに触れても拒絶反応はまるで起きず、惨劇の過去を思い出すでも、蕁麻疹が全身を駆け巡るわけでもなく平穏で健やかな日々が通り過ぎていた。その不思議に首を傾げながらも、美しく成長を続ける養い子を見守っている。女性が相手だと名前を聞いただけでその姿が思い出され、醜悪で豊かな胸やきつい香水の臭いが記憶の中でより強調されて不快に支配されるというのに、同じ屋根の下に暮らし続けるリテアが相手ならそうはならない。


 恐れていたのはリテアを拒絶し別れなければならない未来だった。けれど何処でどう狂ったのか、今はリテアの方から離れられる未来に恐れを抱いている。レオナルドがリテアを騎士団に配属させた理由も理解しているのだ。親を亡くした養い子とはいえ、血の繋がりのない成人する若い女性を何時までも手元に置いていてはいけないと解っていた。自分が幼女趣味とか男色とか噂されるのは構わないが、成人した未婚の男女が同じ屋根の下で暮らしつづけるなんてのは世間が許してくれないのだ。いずれリテアはウルリックの愛人として不名誉な噂を流され、嫁の貰い手もなく人に後ろ指刺されながらひっそりと生きて行くしかなくなってしまう。そうなる前に優しく穏やかで、心からリテアを愛してくれる男を見つけて添い遂げさせるべきであるのに。去って行かれる瞬間を思うと心に冷たい風が吹き込む感覚に襲われる。


 食事を終え仕事に戻って行くリテアの背中を見送ったウルリックも自室へと戻った。リテアは夕方にもう一度やって来て、ウルリックに食事をさせてから出かけるのだそうだ。見送るのは許されても手を伸ばし引き止める権利はない。寝食を忘れ打ち込む研究にも身が入らず窓辺に立った。建物と樹木が並ぶ向こうではリテアが仕事をしている筈だ。覗こうと思えば彼女が今何をしているのか、いつだってその姿を脳裏に描き出すことは可能だ。探ろうとして、やめた。自ら女性に縋るのはいったい何時振りだろうかと暗く苦笑いが漏れる。



 ウルリックはロバール帝国の北の端にある寂れかけた炭鉱の街で生まれた。父親違いで七歳年上の姉と、美人で男好きな母親と三人、時に母親の恋人を入れた四人で生活をしていたのだ。母親は未婚のままで姉とウルリックを生み、そのどちらの男にも逃げられている。同じような事を繰り返しながら常に男に媚びる母親に子供の面倒など見る能力はなく、ウルリックが物心ついた頃には姉が母親代わりとなっていつも側で手を引いてくれていた。


 男に頼る生活で貧しかった。姉も仕事をしていたがウルリックも近所の御用聞きから始め、八つの頃には近くのお金持ちの家へ下働きに入るようになっていた。子供でも朝早くに仕事に出て陽が暮れてから帰って来る。時々帰宅途中に姉と出くわし、出店の売れ残りを安く買って家へ戻るのが楽しみの一つだった。貧しくて薪も買えず寒い家だったが、姉と手をつないで帰れる日はとても心が温まったのを覚えている。寝台も二人で一つしかなかったが、寄り添い眠る姉の温もりは幼いウルリックに安堵を与えてくれたのだ。

 それが幼少期の中で唯一記憶に残る幸せな時間だった。

 けれどその日、家に戻ると母親の恋人がいた。ウルリックも姉もその男が大嫌いだった。力仕事をしている男は大きな体をしており、寒さに強いのか冬でも裸で狭い家を歩き回る。姉を見る目が母親の尻を見る目と同じで、子供ながらにウルリックは危険を感じて姉を守るように二人の間に立つようになっていたのだが。この日は母がまだ帰宅しておらず、姉は男の視線に怯えていた。男は姉の様子に面白そうに笑ったかと思うと腕を伸ばして姉を捕らえたのだ。

 

 離せと男の腕に噛みついたのは覚えている。けれど振りほどかれ壁に頭をぶつけて気を失った。どのくらい意識を失っていたのか、目が覚めたウルリックの灰色の目に映ったのは、姉の足の間で腰を振る大きな男の姿だ。冷たく薄汚れた床には血痕があり、裸に剥かれた姉は力なく項垂れ虚空を見つめていた。助けなければと立ち上がろうとしたが、投げ飛ばされ壁に体を打ち付けた拍子に背中や腕の骨を折ってしまったようで激痛が走る。ちょうどそこへ母親が帰宅し、事態を察した途端に金切り声を上げて台所から持ち出した包丁を握り締めて舞い戻って来た。驚いた男は姉から飛び退き、やっと救われたと安堵したウルリックの目の前で、母親は手にした包丁で姉の胸を突き刺したのだ。


 『あたしの男に色目使ってんじゃないよっ!』


 その瞬間だ、ウルリックの体に眠り続けていた魔法が目覚めたのは。気付くと辺り一面血の雨で、天井からは細切れになった肉片と赤い液体がぽたぽたと滴り落ちていた。男は下半身を露出したまま絶叫し、母親は骨に至るまでが小さな欠片となってそこいら中に散らばっていた。


 夕闇に向かい赤く染まる空と過去の記憶が重なる。あの日からだ、女というものに憎しみを持つようになったのは。姉を犯した男ではなく、母親を手にかけた理由は今もはっきりと解らない。けれどウルリックがたった一つだけ持っていた安らぎの場所、母親としての役目を果たしてくれていた大切な姉を奪ったのは実の母親だった。衝撃をきっかけとして魔法が目覚め、その瞬間に母親を小さな肉片と変えたことを今も後悔してはいない。大切な人を奪われた憎しみは今も心の奥に重く伸し掛かっている。同時にその憎い女性を母親と同じ目に合わせてしまう恐怖もあった。何時しかその恐怖がウルリックの体に女性不振という拒絶反応として現れるようになる。拒絶しなければすり寄られた途端に母親に重ね、姉が奪われた瞬間を思い出し何の罪もない無抵抗な相手を殺してしまいそうになるからだ。


 いつかリテアも母と同じ女になる日がやって来る。そう思っていたのに現実は違った。リテアは『女』ではなく大切な『姉』になったのだ。親を失った哀れな少女は、遠いあの日に守れなかった大切な温もりとしてウルリックの心に入り込んでしまっていた。


 姉は死という形で失った。けれどリテアは違う。小さな少女は美しい大人の女性へと成長し、羽を広げてウルリックが敷き詰めた真綿から飛び立つときがくる。それも遠くない未来に、リテア自身が恋をして選んだ男の元へ飛び立っていくのだ。けれど渡したくない、羽をもいでしまおうかとの思いが生まれてしまうのは何故だろう。リテアは姉ではないのに、同じ目に合わせたくなくて、母に代わる存在をこの世から抹殺してしまいたい衝動に駆られる。


 「ウルリックっ!」


 突然耳元で名を呼ばれ肩を揺すられた。何事かと瞳を瞬かせれば額にびっしょりと汗をかいて切羽詰まった表情のレオナルドが目前に迫っている。過去より思考が反れ、どうしたのかと感じた瞬間にウルリックは己の仕出かしている状況をようやく察した。


 「あ、しまった。」


 どうしようと呟いた声は爆音に呑まれ誰にも届かなかった。





 *****


 そろそろ約束の時間だ、片づけをしてウルリックの所へ向かおうとしていた所で建物が震える。


 「地震?」


 窓の外へと視線をやると、遠くで何かが爆発するような音がして白煙が上がった。


 「なんだぁ? あれは魔法棟の方だな。まさか敵襲じゃないだろうな。リテア、お前はここで待機だ。」


 特に慌てた様子もなく呟いたレッグスだったが、素早く指示を出しながら部屋を出て行く。魔法棟といわれ嫌な予感が過った。ここ最近は大きな争い事も起きていないし、敵襲というのは大袈裟だろう。けれどいつ何が起こるか分からないものだ。ウルリックは大丈夫だろうかと、レッグスの命令に従い、リテアは一人建物の中で立ち尽くしていた。


 騒動が起きて小一時間ほどした頃にクリスが顔を覗かせる。何が起きたのか分からなくて不安だったリテアはようやく状況が分かると駆け寄った。


 「何があったんですか?」

 「城の中の事は第一隊が主体となるんでよく解らないんだが、どうやら魔法棟で爆発が起きたらしい。敵襲じゃなく事故らしいんだが、念のために監視が強化されることになったんで、残念だけど今夜の歓迎会は中止だな。」

 「魔法棟―――行ってはいけませんか?」

 「行っても検分中だから入れないよ。ウルリック殿が心配?」

 

 素直に頷くとクリスはふっと笑って眦を下げた。


 「ウルリック=バンズは格が違う。俺も直接知ってるわけじゃないけど、あの人が戦場に立つとね、辺り一面が焼け野原になるって話だ。そんな人があの程度の事態に巻き込まれたとしても傷一つ負わないさ。それに今の所は怪我人の報告もないよ。」


 戦場に立ち好き勝手やらせてしまうと辺りは滅茶苦茶になる。加減をしてくれている時ならいいが、我を忘れたウルリック=バンズは危険だ。余程でなければ最前線になど出せやしない。それが同じ戦場に立った騎士たちから伝え聞く事実なのだが、一緒に生活しているリテアがそれを聞いても理解できる訳がなかった。何しろ一人でまともに食事もできないのだ。研究に熱中しだすと止まらなくて耳も聴こえなくなる。放っておけない大きな子供のような人というのがリテアの知るウルリックなのだから。


 「ウルリック様は確かにすごい魔法使いです。でも他は普通の何処にでもいる人と何ら変わらないんです。もし怪我でもしていたら―――」

 「自分で治すだろうね。何しろ偉大な魔法使いだ、治癒の力も神がかり的と聞く。」

 「そう―――かもしれませんけど。」


 それでも心配なのはしょうがない。眉を寄せるリテアの眉間をクリスが声を出して笑いながら指先で解した。


 「君の中はウルリック=バンズ一色なのか。願わくば俺が入り込める隙を与えてくれると嬉しいんだが。」

 「えっ?」

 

 一瞬、間合いを詰めたクリスがリップ音を鳴らしてリテアの頬にキスをする。


 「えっ?!」

 「送ってやれないのが残念だが気を付けて帰れよ。」

 「えっ、あのっ、クリスさん?!」


 抗議の声を上げる間もなくクリスは手を振って部屋を出て行く。突然の出来事に驚き狼狽えながらも何も言えなくて。リテアは赤くなった頬を両手で包み込んだまま、クリスが出て行った扉を何時までも眺めていた。

 

 



いつも読んで下さりありがとうございます。

以後、不定期更新となります。

更新の際は20時に致しますので、宜しくお願いします。

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