その1
作中に女性に対する暴力や、その他にも流血などの残酷な表現が含まれます。
空想と現実を分けて考えられない方や、そのような表現に気分を害される方にはお勧めできない作品となっておりますので、なにとぞご了承下さい。
ここに一人の魔法使いがいる。名をウルリック=バンズ、齢二十二。ロバール帝国において魔法使いとしては最高の力を持ちながら、個人的な理由によりいかなる役職にも就かず平の魔法使いとして働いていた。一番下っ端の地位におかれているものの実際には粗雑な扱いは受けない。周りが彼の力を恐れてけしてそのような扱いが出来ないというのが一番の理由だが、彼自身どんな扱いを受けても文句は言わないだろう。ウルリックは穏やかな性格で、戦場で我を失いうっかり大魔法を使って大地を焦土に変えてしまうようなミスは極稀にあるものの、普段は本当に穏やかで気の小さな青年だった。
灰色の髪のウルリックはひょろりと背が高い青年だ。髪と同じどこにでもある灰色の瞳に、目の下には万年ぐまが色濃く刻まれているうえに猫背。猫背の原因は背が高いだけではなく、苦手な女性から身を隠すようにしていたらそうなってしまったという経緯もある。そんな見た目のせいで実年齢よりはるかに年を取って見える彼は今、お世辞にも身ぎれいとは言えない衣服に上等ながらもほつれのある古臭いマントを纏って、貧民街中心の広場を見渡せる場所に立ち崩れかけた壁に背を預けていた。
本来なら魔法使いの長となるべき実力のある彼が何故こんな場所にいるかというと、彼の代わりに魔法師長を勤める友人からの命令のせいだ。戦争が落ち着き平和になってからは陰気な部屋に閉じこもって魔術の研究に励むしか脳のないウルリックを心配した友人は、彼を外に出す為に貧民街の治安を守る役目を命じたのである。
貧民街では頻繁に犯罪が起きるが、その取り締まりは騎士団の仕事であってけして魔法使いの仕事ではない。穏やかではあるが気が小さく人と話すのが得意ではないウルリックには不適任極まりなかった。それでも命じられたのは友人が彼の将来を案じての事。特に妙齢の女性に対して免疫のない彼が女性に慣れるための第一段階としてである。
若い青年でありながら陰気に見えるウルリックに通常ならば誰も声をかけないだろうが、現実に彼はとても有名な魔法使いである。
使い道がないせいでお金もたんまりもっているし、功績により得た領地やその他諸々が湯水のようにあり過ぎた。それに目を付けた女は数知れず、ウルリックを目に止めようものなら誘惑に走るというのが常で、女性が苦手な彼からすれば辟易を通り越して恐怖心しかない。
しかしながら貧民街で汚い姿をしていれば誰もウルリックに声などかけない。もともとの見た目が彼をこの世界に馴染ませ景色に一体化させていた。そんなウルリックには貧民街の女性も得を見出せず、体を武器に言い寄って来るような事態にも陥らないのだ。第一段階としては女性を観察し、時に犯罪に巻き込まれた女性に接して純粋な感謝だけを向けられ慣れさせようと彼の友人は考えたのである。
そんなウルリックの前に一人の女性が立った。いや、女性というには若すぎる、ウルリックが恐れない類の少女だ。年は十歳前後だろうか。貧民街ではまともな部類の服装で、焦げ茶色の髪は綺麗に梳かれていてしらみが沸いているようでもなく肌も汚れておらず清潔に保たれている。汚れて擦れてはいるが靴も履いていてすらりと伸びる手足は細いが極端な栄養不足にも見えなかった。茶色で大きすぎず形のよい純粋そうな瞳が背の高いウルリックを見上げている。ウルリックがじっと観察すると身に着けているものはもともと良い品であるようにも見受けられた。働き手をなくしたり家が破産したりして貧民街に流れてくる者も多い。そのうちの一人だろうかと黙って見下ろしていると少女が口を開く。
「ウルリック=バンズさん?」
名を呼ばれ知り合いだったかと記憶を手繰るが、一度見た人間は忘れない質なので違うようだ。そうなると相手が一方的に知っているだけだろう。この状態で気付かれたのは始めただと思いながらウルリックは、少女と話しやすいように僅かに身を屈める。
「そうだけど君は誰?」
女性は苦手だがこの年頃なら普通に話せるので余裕だ。だが少女が発した次の言葉にウルリックは身を凍らせる羽目に陥った。
「リテア=フロスクといいます。どうかわたしを一晩買ってくれませんか?」
「……え?」
きちんと丁寧に紡がれた少女の言葉に返事が出来ない。だがもう一度同じ言葉を言われてウルリックは眉間に皺を寄せながら少女と同じ目線になるようさらに腰をかがめた。
「意味が解って言っている? 一晩買ってくれないかって、君は裸になって私のいいように扱われるという事だよ?」
貧民街の少年少女が体を売るのは珍しい話でもないが、こうして自分が誘われる日がこようなどとは夢にも思っていなかった。すると少女は恐れることなく深く頷く。
「どうして私を誘ったの?」
「ウルリックさんはお金持ちだし幼女趣味って聞いたから。わたしでは年が行き過ぎていますか?」
「えっと……私は幼女趣味ではないけど、そんな噂があるの?」
少女は頷きウルリックは溜息を落とした。まさかそんな噂が立つなんてと落ち込む。女性の誘いを断り続けたせいで男色の噂を流されたことは知っているが、まさか幼女趣味の不名誉までとは。触れられて悲鳴を上げたのがいけなかったのか、それともあられもない姿で迫って来た女性に吐き気がしてそのまま嘔吐してしまったのがいけなかったのか。
「ごめんね、私では君を買ってあげられないよ。」
「そんな……そうですか。わかりました、ごめんなさい。」
がっかりしながらも丁寧に頭を下げて踵を返した少女の背をウルリックは、子供の売春は犯罪だというのに取り締まるのも忘れて見送ってしまった。きちんと教育を受けた節が窺える少女の背を見送りながら、幼女趣味と噂されている現実に衝撃が抜けない。もともと悪い顔色をさらに悪くして遠くなる少女を見送っていると、そこそこ身なりのよいでっぷりとした男が少女に話しかける様が目に映った。無意識で男の口の動きを注視し話を読む。男の提案に少女が頷くと白い手が引かれ、ようやく状況が飲み込めたウルリックははっとして咄嗟に駆け出した。
金額のやり取りがなされ少女が了承したのだ。その際に男は少女の純潔を確認し金額に色を付けている。少女が身を売るのが初めてと知りようやく我に返ったウルリックは、何をしに自分がここにいるのかを思い出すよりも早く、健全な大人としての常識に従い少女と男を引き離した。
「彼女はわたしが買います!」
「え?」
「何だとっ、儂は5万ペスも払うんだぞ!」
だから自分にしろと憤慨し怒鳴りつける男からウルリックは少女を自分の背に隠す。
「すみません、違いました。買うというのは無しです。」
「貴様っ、儂をおちょくっているのか?!」
買わないなら寄こせと腕を伸ばす男の手を魔法で弾くと男の顔色が一瞬にして変わった。
「私は貴方の様な人を取り締まる為にここにいるのでした。そういう訳で拘束させていただきます。」
魔法で動きを封じられた男は更に青褪め、目を吊り上げて唾を飛ばす。
「なっ……儂は何もしていない。そいつが言い寄って来たから可哀想で恵んでやろうとしただけだ!」
「申し訳ありませんが貴方と彼女の会話は読ませていただきましたから筒抜けです。彼女からの証言が後押しにもなるでしょう。」
「おい、娘っ。貴様は何もしゃべるな。そうすればもっといい暮らしをさせてやるからなっ!」
「リテア、誘いに乗って頷いては駄目だよ。この男と私の証言、信用されるのは私だと決まっているのだから。」
子供でも偽証は罪を問われる。しかも少女の方からウルリックに声をかけた経緯もあるのだ。
「なにおぉ、儂はガイアズ商会の会長だぞっ!」
貴様が魔法使いであっても身分も権力もこちらが上だと豪語する男に、これは困ったことになるとウルリックは眉を寄せる。その様に男は余裕を見出したのか口角を上げ、拘束を解くよう怒鳴り声を上げた。
ガイアズ商会は国内で最も大きな商会であり王宮との取引も昨日今日始まった間柄ではない。その会長が少女買春など商会にとって大きな痛手になるだろうが、さすがは会長を名乗るだけあってもみ消すつもり満々らしい。恐らくそれは可能だ、ここにいるのがウルリック=バンズでなければだが。
「後を継がれるご子息はとても出来た方なだけに残念です。」
「はん。魔法使い如きがでかい口をきくな。さっさとこの戒めを解かないか!」
「残念ながらそれはできません。私は貴方が何者であろうと公平な裁きを望みます。」
「なんだとっ、貴様何者だっ。後で地べたに這いつくばって謝罪しても絶対に許さんぞっ!」
「これは名乗りが遅れて申し訳ない、ウルリック=バンズと申します。ガイアズ商会会長フローズン=ガイアズ殿。」
「なっ?!」
ウルリックの名に男は息を飲み言葉を失う。ウルリック=バンズの顔を知らずとも彼の名を知らない者は存在しない。彼の逆鱗を恐れ王ですらご機嫌を窺うという世界最強の魔法使い。彼を失うならどんなものでも差し出すのが国のやり方だが、実際にウルリックが無理難題を押し付けた過去は一度もなく、それ故に『公平な裁きを望む』との言葉が無視されることなど有り得ないだろうから。
「それではガイアズ殿、捕縛の騎士が現れるまでここでお待ちください。さあリテア、君はこっちだよ。」
「あの……」
自分も裁きを受けるのだろうかと青くなる少女にウルリックは滅多に見せない笑みを浮かべた。目元には濃いクマがあり顔色も悪いせいでまるでゾンビが笑っているようだが、少女はウルリックを恐れ悲鳴を上げるよりも罰を受ける方に恐れを成している。
「何か事情があるみたいだね、悪い様にはしないからついておいで。」
躊躇しながらも素直に従う少女にウルリックは頷くと騎士団が街に置く詰所へと連れて行く。そこまでが自分の仕事だと、貧民街に拘束した男と少女に起きた出来事を報告して早々に立ち去った。騎士団には女性も所属しているのでなるべくなら接触したくない。今日は女性騎士が不在で運が良かったとすっかり日が暮れた中、家ではなく本来の仕事場である城におかれた魔法使いの集まる棟を目指した。
ウルリックの口添えがある限り大商人といえど無罪放免にはならないし、犯罪を揉み消せはしない。力ない少女だけが不条理を得ないよう成り行きだけには注意を向けるつもりで散らかった部屋に籠り研究に励む。昼間を無駄にした日は徹夜すると決めて没頭しているとあっという間に夜明けだ。睡眠所か食事もとらず本来の勤務時間を迎えると、出勤してきた友人であり上司でもある魔法師長レオナルド=クレフが訪ねてきた。
「ガイアズ商会から苦情が来ているぞ。」
「だろうね。でも目を瞑る気はないよ。」
「そういうだろうと思ってね、私の方で話は付けてきた。」
友人の言葉にようやく仕事の手を止め顔を上げたウルリックの顔色があまりにも酷くて、レオナルドは一瞬言葉を詰まらせる。帝家御用達の商会会長を魔法で拘束し捉え貧民街に放置した時点で、後の処置はレオナルドが上手くやってくれるだろうと期待していたのだろう。ウルリック自身が動くのは最後の最後だ。話し合いの場に妙齢の女性がいては挙動不審で話も出来なくなる我が身をよく理解しての放置。その辺りは友人もよく理解しているので文句はなかった。ウルリックが少女を見捨てなかったのはレオナルドからすると光明だ。
「会長には隠居してもらう事になった。二度とこのような恥をさらさせないとご子息から確約を貰っているから監視でも付けるんだろうな。次があれば遠慮なく晒し者にさせてもらう約束だし、君の魔法で拘束されている間に色んな人間に見られたもんで様々な噂が流れてもいる。幼女趣味疑惑は尾ひれをつけて噂を流させてもらったからしばらくは外を歩けないだろう。」
一息ついたレオナルドにウルリックは「それで?」と話を促す。
「リテア嬢には口止めと賠償を含め相応の金額を準備させるが、なにせ子供なんで秘密が守れるとは限らないし、味をしめてまた客引きに立たれるのも困りものだ。家庭に事情があったので賠償は遠慮なく払わせるとして、客引きをした彼女の処遇だが―――」
見た目から貧しい家庭なのだと解るが、きちんと教育されているのも解っていた。言い聞かせれば素直に頷くだろう少女の姿を思い出しながら、ウルリックは黙ってレオナルドの報告に耳を傾ける。
「彼女は学校に行くために金が欲しかったそうだ。一年ほど前までは両親がヴィヴィツ侯爵家の下働きとして住み込んでいたらしいが、父親が死んで母親が侯爵の愛人になり、それが侯爵夫人にばれて追い出されたらしい。」
「よくある話だね。でも、あれ?」
何かに引っ掛かりを覚えたウルリックは首を傾げ、レオナルドはあの侯爵家だよと口添える。
「ああ、確か何年か前に大臣の誰かに頼まれて仕方なく受けた見合いの―――」
「そうだ、その中の一つがヴィヴィツ侯爵家のご令嬢で、君はそのご令嬢の豊かな胸に嘔吐して怒らせたんだったよな?」
「―――あの妙な噂は彼女が出所か?」
リテアはウルリックが幼女趣味と聞いていたから声をかけて来たのだ。なるほどとウルリックは当時を思い浮かべ身震いした。
豊満な肉体を持ったうら若く美しいご令嬢は侯爵の何番目かのお嬢様だったはずだ。半分が丸見えの大きな乳をウルリックの体に押し付け、本気で気分を悪くしたウルリックは全身に発疹を浮かべると同時にご令嬢の豊かな胸に胃の中の内容物を全てぶちまけてしまったのだ。そして謝る所か『そのでかくて気持ち悪いおっぱいをどこかへやって下さい』と懇願したのである。ご自慢の胸を穢されただけではなく色仕掛けで迫った事が世間に露見してしまったご令嬢は大変立腹し、以来ウルリックへの見合い話が極端に減ってくれたのでこちらとしては諸手を上げてご令嬢に感謝していたのだが。まさかそんな噂を流されていたなんて。事情を知る友人は罪の一端はお前にもあると、リテアが客引きをするに至った経緯を知らしめた。
「君を街で見かける度に声をかけようかと葛藤していたらしいが、どうしても学校に行きたいとの想いが強くて身売りを決意したらしい。侯爵家にいた時にご令嬢からリテアなら高く買ってもらえると揶揄われたのを真に受けたようだな。」
「でも今回の賠償で学校には行けるんじゃないのか?」
そのくらいの額は商会にとって痛くもかゆくもないだろうし、友人もそこを気にかけない筈がないのは解っている。
「勿論賠償額に問題はない。だがガイアズ商会としては彼女がきちんと秘密を守れるのが条件で、それなりの監視役をと求めている。」
「そういうのは母親でいいんじゃない?」
「いかなる理由があったとしても侯爵の愛人になるような下働きの女だ。ちゃんとした人間が彼女の後ろ盾について商会の名誉が守れるなら、賠償の他に家族の生活資金も出していいと言っている。」
「あの子を見ていると母親はちゃんとした部類のように感じたけどね。まぁいいや。君に任せるよ。」
「―――本当に?」
「君なら適任だし、悪い様にはしないだろう?」
「それはよかった。」
友人に任せてしまえば何も問題はないと頷いたウルリックだが、妙な微笑みを浮かべたレオナルドを前に嫌な予感が過る。リテアは可愛らしい少女だったがレオナルドにはもうすぐ結婚する婚約者もいるので幼女趣味という性癖もない。きっと彼なら立派な後見人になってくれるだろうと不運な少女に訪れた好機を喜ばしく思うものの、どういう訳だか嫌な予感がしてならなかった。
「何か企んでる?」
不審な目を向けるウルリックにレオナルドは「まさか」と微笑みを消さない。
「それより研究もいいがちゃんと食事をしろ。どのくらい食べてない、今にも倒れそうだぞ?」
注意を受け思い返すが食事をした記憶がない。昨日はしたかな? と首を傾げるウルリックにレオナルドは心配する言葉を残し、足の踏み場もない程に散らかった得体の知れない物を踏みつけないよう注意しながら部屋を出て行った。