脱走
「……知らない天井だ」
「アリシア、目を覚ましたの!? どこか痛いところはない!?」
本当はちょっと前に目を覚ましてたけど、今の状況を確認するために黙ってたんだよ。だって私が起きたことに気づいたらお姉ちゃんは絶対に騒がしくなるってわかってたから。
それにこんな状況だったら普通に怪我がないか心配するよね。わかってたけど今はそれが困る。
あの時、石をぶつけられたところが痛いから、もしかすると腫れているかもしれない。
正直に言ったらなんとかしてあげようと、姉はより騒がしくなるから言うのに悩む。どうしようか悩んでいる間、体を触って確認しているし……。
「お姉ちゃんは心配しすぎ。今はここなら逃げ――っ!」
「アリシアどうしたの? もしかし今の場所、怪我してるところ? 正直に言って」
「……うん、多分だけどはれていると思う」
正直に言うか悩んだけど気づかれてしまった以上言わないとより心配するだろう。
骨が折れているわけじゃないから腫れている今より痛くないし。できるならここから逃げたいところだけどきっと扉に鍵もかかってるだろうからな……。
ん? お姉ちゃん、扉に近づいて何をする気、凄い嫌な予感がするんだけど。
そして姉は扉を数回叩いて声を上げた。
「すみません! 桶と布をください! アリシアの手当てをしたいんです!」
「お姉ちゃん!」
止めてほしくて声を上げてみるが姉は止まらず、さらに何度も扉を叩いて声を上げる。同じことが三度繰り返されたあたりで、扉の向こうから乱暴な足音が聞こえてきた。
乱暴な足音が部屋の前で止まると扉が乱暴に叩かれ、あまりの音に姉の肩がビクリと震えた。
さすがに私のことがあるとしてもビビるよね。ビビらなかったら驚いたけど……。
「うるせえぞ! てめえら静かにしてろ!」
「アリシアが怪我をしているんです! お願いします、手当てをさせてください!」
「ちっ! 静かにしてろと言ったのがわからねえのか!」
「お願いします、手当てをさせてほしいんです! 最悪、桶だけでもっ!」
「だ、か、らっ! 静かにしろって言ってんだろうが!」
怒鳴り声のあとに扉が蹴破られかねない勢いで開き、部屋の外から怒りをあらわにした男が入ってきた。男は扉の前にいる姉を睨み片手を掲げる。
その手に短い棒が握られているのを見つけた瞬間、悪い予感が全身を駆け巡った。
「危ない!」
咄嗟に体が動いて姉を突き飛ばしていた。
私の突然の行動に男は目を見開いていたが振り下ろし、私に当たる寸前の棒を止めることはできない。そのまま棒は私の頭部を打ち今まで感じたことのない痛みが襲う。
打たれた衝撃で体が床に叩きつけられて床を転がる。
「アリシア? アリシア! アリシア!」
「クソッ! 死んだら売れねえし、頭になんて言うか」
硬く冷たい床の感触と、縋りついてくる姉の柔らかく温かい感触に挟まれながら私は…………意識を失うどころか意識がハッキリしていた。
それに、この程度の出血で自分が死ぬはずがないと今ならわかる。でも、殴られた礼はしないといけない。たとえそれで私の記憶が一部とはいえ思い出せたとしてもだ。
「お姉ちゃん、ちょっと離れて」
「え? アリシア、大丈夫なの!? 怪我は?」
「なっ」
あの程度の体の怪我ならとっくに治っている。
そんなことより、ここから出るための行動をしないと。思い出した記憶と怪我が治った理由を考えれば、確かである可能性は高いが、試さないといけないだろう。だって、ここを出る時に目の前の男以外と戦わないといけないかもしれないんだから。
それなのに、もしかしてという予想での行動は死にかねない。
だから私は思い出した記憶。ゲームで使っていた自分の相棒といえる剣の名前を口にする。
「来てサングィス」
「なんなんだその剣は、もしかしてお前、才能持ちか」
その呼びかけに応え私の手の中に現れた剣は、私の身の丈ほどの黒い刃を持つ大剣。だけど記憶にあるのより小さい気がするが別にいいか。考えるのはあとだ。
それにこの剣を呼んだのだって、ゲームのアビリティがちゃんと使えているか確認するためだし。確認が済んだ以上、のんびりしている暇はない。
大剣をから手を離して消えるようにイメージすると溶けるように消えていった。
これだとイメージするだけで大剣が出せそうだ。まあ、とりあえず今は……。
「クソが、あいつら……なんて化物を――」
「うるさい。これ以上騒がれると気づかれるし、逃げられたら困る」
背を向けて走り出した男の体に何本もの氷の矢が突き刺さる。その内の一本は喉を貫いたし、これで叫ばれることなく死んでくれる。
……殺した感触はないけど、殺すのは気分のいいものではないな。身を守るためとはいえ。
それより今は感傷に浸ってる場合じゃない、逃げないといけないんだから。
「アリシア、あの――」
「お姉ちゃん。今のうちにここから逃げよう」
「それはわかったけど……」
「お姉ちゃん! 今は逃げるのゆうせん」
姉が何か言いたそうにしているが今は聞いていられるほど余裕はない。
他の盗賊たちに気づかれる前に逃げないと……。
私たちの脱走は気づかれなかったが、とても困った問題があった。
★ ☆ ★
私たちの立っている扉の向こうから男たちの楽しそうな声が聞こえる。本当ならこの部屋を通らずに逃げれればいいのだが、出口があるのはこの部屋の向こうなのだ。
部屋の中にいる盗賊の半数は少し酔っているようだけど、それでも十人近くの盗賊がいる。
中には私を攫った人がいた。それより問題はこの部屋を抜けないといけないことだ。でも彼らが寝静まるの待つほどの余裕はない。
彼らの寝る場所は今私たちがいる奥の方のようなのだから。
「アリシア……」
「お姉ちゃん。私たちがいたあの部屋に隠れてて、終わったら呼ぶから」
「待ってアリシア。お姉ちゃんの話を聞いて」
「……急がないといつあの人たちが見に来るかわからない」
「わかってる。だから少しだけでもいいから聞いて」
「…………わかった」
「そんな辛そうな顔をしないで、お姉ちゃんは感謝してるよ。だから辛くなったら言って」
「ありがとう。行ってくるから隠れててね」
「うん。アリシア、ちゃんと生きててね」
「お姉ちゃん。私はとっても強いから、心配しなくて大丈夫だよ」
ちょっと人を殺すのに考え過ぎたかもしれない。ここは日本じゃないんだから。
生きているには戦わないといけない。だから人を殺すことにわずかなためらいがあってはいけない、それで死ぬかもしれないんだから。でも人殺しに慣れるわけにはいかない。
何より今から戦う盗賊には負けるわけにはいかないんだ。死にたくないし……私を気にしてくれるお姉ちゃんが酷いことをされないように。
「ベイクの奴、遅くねえか。ガキ二人を怒鳴るだけだろ」
「お姉ちゃん。早く部屋に向かって!」
私が声を上げた瞬間、扉の向こうの空気が凍りついたのを感じる。私が普通に動いている時点で、私たちがさっきの男を倒したことがわかるのだから。
そのまま扉を破壊し、その先にいる何人かを殺るためにイメージを浮かべる。
話は変わるが生活魔法には誰も疑問に思わなかった特徴がある。
大人と子供が火の生活魔法を使った時、二人の作る火の大きさは異なる。これは年齢や性別が違うなどの問題ではなく、入れる器の大きさに違いがあるからだ。二人は自分の手に納まる大きさで考えるから火の大きさが変わる。なら子供がかまどに火をつけようとしたらどうなるか、それは単純にかまどの大きさに適した大きさの火が作られる。
そういうことならイメージの仕方を変えれば、魔法での攻撃として通用するのでは、そういう考えで使う魔法は。生活魔法とは言えない。これは想像魔法とでも言うべき魔法だ。
花畑の時は記憶が戻ってなかったから、慣れた火と風の種類しか使えない欠陥のあるものだけど、今はとある事情で十分使える魔法だとわかっている。
問題は強化魔法ができるのかどうかだけど、使えるかというより使ったあとが心配だ……。
まあ、今は目の前にいるだろう盗賊たちが相手だ。
「おい、なんであのガキ共が部屋から出ているんだ!」
「ベイクの奴、不意打ちでガキにやられたか?」
「それでもガキにやられるのはおかしくねえか。とにかく捕まえるぞ!」
ごちゃごちゃ話していた盗賊たちの話がようやく決まったようだ。でも、こんな狭いところで戦いたくないし帰ってもらおう。盗賊が扉を蹴破りかねない勢いで入ってきたし。
こいつらは通る度に扉を壊そうとするのか。まあ、どうでもいいしとっとと追い出そう。
入ってきた盗賊が何か言う前に竜巻を作り扉の奥、その部屋の壁に叩きつける。部屋の奥から盗賊たちの息を呑む気配を感じた。
仲間がいきなり竜巻を受けて吹っ飛ばされてきたら驚くよね。
「まさかあのガキ、魔法使いなのか! あの歳で!?」
「クソッ! 魔法使い相手じゃ分が悪いぞ! どうするんだよ!?」
「マリクスさんを呼べ! 魔法使いには魔法使いだ!」
魔法使いには魔法使い、ということは魔法使いがいるのか?
魔法使いがどういうものか知れるのはいいだろうけど、魔法使いにはちょっと思うところがあるから会いたくはないな……。そんなことより今は優先しないといけないことがある。
「意外と思っていた以上に広い。これなら試すのに丁度いい」
第一の目的であるアジトからの脱走と、第二の目的である……。
ゲームのアビリティがどこまで使えるのかの確認だ。
まあ、ついでだけどアビリティは調べておかないと、あとから困るかもだしね。