1.誇り高き鳥たちは翼を失う
新連載、はじめました。
もう書ききっているので完結までさくさく更新します。
鳥が空をかけ上がるように上へ上へと昇っていく。
高く、
高く、
誰よりも高く。
速く、
速く、
誰よりも速く。
少年は誇りを背負い、誰よりも自由に空をかける。
輝く太陽に目を眇め、突き抜けるような青空を見据える。雲一つない空はどこまでも青い。きっと、この景色を見られる者は多くないだろう。翼ある者にしか許されない絶景だ。
全身で風を感じながら、彼は背に生えた翼を羽ばたかせる。
その姿は人でありながら鳥。
羽ばたきに合わせ、彼の瞳と同じ色をした鳶色の羽根が宙を舞った。ひらりと落ちていく一枚の羽根を、もし地上の者が見たならば鳥のものだと思うのだろうか。
「おいっ、カイト!! 一人で先に行くなって!」
大声で友人に呼び掛けられた少年――カイトは翼を動かしたまま空中で静止し、足下に顔を向けた。彼を呼び止めた友人は止まることなく、ぐんぐんと上昇を続け、彼の方へ向かって飛んでくる。
「っ……は、はあっ……」
「お前、遅すぎ」
ようやくカイトのところまで辿り着き、肩で息をする友人に、カイトは呆れたように言った。
「おまっ、はぁ……っ、はあっ」
友人は言い返したそうに口をパクパクと動かすが、彼の口から零れるのは荒い息だけだ。
カイトが彼の言葉を待っていると少しは呼吸が落ち着いたのか、彼は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「うっ、るせえ。俺がっ、遅いんじゃ、ねぇよ」
「俺よりは遅いだろ」
カイトがしれっとそう答えると友人は嫌そうに顔をしかめた。
即座に口を開いて何か言い返そうとしたが、とりあえず呼吸を整えようと思ったのか、大きく深呼吸してから憮然とした表情で返す。
「……この王都でお前に敵う奴なんていないっての」
友人の言う通りカイトは誰よりも速く空をかけ、誰よりも高く空を飛ぶことができる。事実、王都で年に一度催される大会でカイトはまだ年若いにも関わらず優勝という栄誉を勝ち取っている。
かの大会は数か月前に行われた。おそらく、目の前で悔しそうにしている友人は大会で負けたことをまだ根に持っているのだろう。実際のところ、優勝者であるカイトと初戦で敗退した友人ではその技量は比べ物にならないのだが。
「優勝はまぐれだって言ってるだろ。先の戦で負傷してなきゃ、いつも通り殿下が勝ってたはずだ」
「……ま、殿下が“至翼”の持ち主だってことは知ってるけどさー。つか、殿下の怪我、かなり酷いって噂ホントかな?」
“至翼”とは、最も速く高く飛べる翼を持つ者に贈られる称号だ。昨年まで毎年優勝していたこの国の王子のものだったが、今年はカイトに与えられた。
本来なら、未だ王子が名乗るべきものだとカイトは思っている。王子は、カイトにとって十ほども年の違う好敵手だ。いつか超えたいと、超えてみせると思う反面、自分より上をいく相手だと認め、尊敬の念を抱いていた。
「さあな。ただ……また神聖王国がいつ攻めてくるか分からねえし、早く治ってほしいとは思うけど」
「そういや、神聖王国って……、……っ!?」
「!?」
突然、空の上まで響いてきた爆音に、友人の言葉が途切れた。二人は同時に音が聞こえた方へと振り返る。
「……っ!!」
視線の先に広がる光景に、思わず息を飲んだ。
「城が……っ!」
焦ったような声はどちらのものだったのか。
遠く見える黒煙は、この国の王城から上がっていた。
真っ直ぐ、王城に向かって二人は空をかける。
程なくして到着した王城には見覚えのある……しかし、この国のものではない軍服に身を包んだ忌々しい兵士たち。そして、その兵士に拘束されている数多くの同胞たち。
「嘘だろ……。城が、制圧されてる……っ!」
周りの兵士に見つからないよう背の高い木の影に隠れたカイトの声は彼らに聞こえないよう小声だったが、動揺で微かに震えていた。
「カイト、あそこ!」
友人が焦ったような声で指差す。
他より一段高い場所には、まるで他の有翼人なに見せつけるように、翼を掴まれ、地に押さえ付けられている青年がいた。
青年が顔を上げる。
「……っ!!」
その青年が自国の王子であると気付いた二人は呆然と目を見開いた。咄嗟に声を上げそうになったカイトの口を、彼より先に我に返った友人が慌てて自分の手で塞ぐ。
「どうして、殿下が……っ」
カイトの口を押さえたまま、友人はギリッと唇を噛み締めた。
有翼人は数が少ないゆえに同族意識が強い。王子に目をかけられているカイト程ではなくとも、彼も敬愛する王族を拘束され、怒りに燃えていた。
憤怒に打ち震える少年二人を嘲笑うかの如く、事態は彼らにとって最悪と呼べる方へと進んでいく。
「よく見ていろ、ケダモノ共!」
王子の翼を掴んでいる兵士は高らかに言い放つ。
戦勝に酔うように顔を歪め、嬉々として大声を上げる兵士はまるで醜悪な化け物のようだ。彼らがケダモノと呼び蔑む有翼人たちより、よほど醜く卑しい。
「我らが国王陛下の慈悲をもって、貴様らの王子を“人間”にしてやろう!!」
そう言って剣を構えた兵士は、確認するようにチラリと背後を窺った。彼の後ろに泰然と佇む人物――おそらく、神聖王国国王だろう――は、兵士の視線に頷き、一瞬だけ王子に目をやる。
そして、彼ら曰く慈悲に溢れた顔で嗤う。
「やれ」
国王の許可を得て、剣は何の躊躇いもなく振り下ろされた。ギラつく刃は嫌な音を立てて王子の翼に食い込み、羽根を散らしながら翼を切り落としていく。
「……っ、…………っっ」
翼を切られる痛みにも王子は声を立てない。
拘束された有翼人たちの怒りに、悲嘆に、恐怖に満ちた目を受け止めるように、王子は最後まで一切悲鳴を上げなかった。
「殿下……」
ポツリと漏らした友人の声には反応せず、カイトは無言でその光景を見つめる。ただ、時折聞こえる囃し立てるような兵士たちの声と罵倒の言葉に、拳を握り締めた。
「…………っ!!!」
程なくして、血に塗れた翼が地に落ちる。
兵士が手を離すと同時に、気絶したらしい王子は地面に倒れ込んだ。
「陛下、この獣の証はどうしますか?」
兵士は切り落とした翼を指して尋ねる。赤黒く染まった翼に視線を落とした国王は顔をしかめた。
「汚らしい……。捨てておけ」
それを聞いた兵士の顔が、良いことを思い付いたというように愉しげに歪む。
兵士は有翼人たちに翼が見えるように蹴って移動させ、呆然とする彼らに嘲笑を向けながら、王子の翼を踏みつけた。
血に染まった純白の翼が踏みにじられる。
「貴様、よくも……っ!!」
カイトは怒りで視界が赤く染まるのを感じた。
カイトにとって王子は、年の離れた好敵手であり、いつか越えるべき相手であり、尊敬し守るべき王族。そんな相手の誇りを汚されて黙っていられるはずもない。翼の切断を阻止できなかった自分への苛立ちも、その怒りを強めていた。
「!? 待て、カイト……っ!」
友人の制止も聞かず、翼を広げ猛スピードで壇上に向かって飛ぶ。
「何っ!?」
「なっ、まだいたのか!?」
全ての有翼人を捕えたと思い油断していた兵士たちは、獲物を狩るハヤブサさながらの速さで向かってくるカイトを見て、泡を食ったように叫んだ。
上官らしき兵士の鋭い声が響く。
「弓兵、矢を構えろ!!」
弓を持った兵士が慌てて弓を構える頃には、もうカイトは王子の翼を踏みつけていた兵士を蹴り飛ばしていた。
「!?」
「遅い」
「……ぐあっ!!」
何が起きたか分からないまま地に伏す兵士の手から剣を奪い、未だ意識のない王子を連れて行こうとしていた兵士たちに斬りかかる。
「くそっ、ガキ一人に何をしている! さっさと捕えろ!!」
孤軍奮闘するカイトを助けるように、どこからか放たれた矢が彼の死角にいた一人の兵士を射抜いた。
友人の援護に感謝しつつ、カイトは王子の方へと近付いていく。神聖王国が王子をどうするつもりなのかは知らないが、ここに置いておけるはずもない。
「っ、まだいるのか!?」
「どこだ、どこにいるっ!!」
伏兵に混乱する兵士たちの一人が空を指差した。
「隊長、あそこにもう一匹います!」
「よし!! 弓兵、放て!」
彼らの言葉で友人が見つかってしまったことを知ったカイトは俄かに動揺する。……友人は矢を射かけるのは上手くとも、矢を避けるのは下手なのだ。
友人に気をやったカイトに僅かな隙が生まれる。
「うわ……っ!?」
その隙を衝かれ、翼を掴まれた。そのまま、地面に引き倒される。……友人がどうなったのかは、分からない。
「ハッ、こんなデカブツ付けて何しようってんだ。恨むんなら、ケダモノに生まれた自分を恨みな」
そう言い捨て、兵士はカイトの背中に剣をあてた。これから何をされるか察したカイトの顔が思わず強張る。
――翼は、有翼人の誇り。
「やれ」
国王の無情な一言がやけに大きく聞こえた。
「やめろっ!!!」
叫びは聞き入れられることなく、振り上げられた剣が下ろされる。
「俺の翼に……っ、俺の誇りにっ、触れるなあぁぁ!!!!!」
カイトはなおも叫んだ。その叫びに何を思ったのか、薄っすらと嗤う国王が視界に映る。
「……うっ、あああぁぁぁぁっっ!!!」
何かを失うような、何か大切なものがガラガラと音を立てて崩れ去ってしまうような、そんな感覚。
背に走った耐え難い痛みと深い喪失感を最後に、カイトは意識を失った。
◇◇◇
なぜ、誇りを踏みにじられねばならない?
なぜ、こんな目に遭わなければならない?
――なぜ……なぜ、自分たちは翼を失わなければならなかった?
その問いに答えはない。神聖王国の蛮行に正しき理由など存在しないのだから。
翼をもがれ、永遠に空を失った有翼人たち。
悲嘆にくれる彼らのなかに、兵たちが去った方角を暗い瞳で見つめる一人の少年がいた。
いったい誰が悪いのか?
それは有翼人たちでは有り得ない。誰か一人に罪があるとしたら、それは――。
少年は目を閉じた。
瞼の裏には兵士を引き連れて去っていく一人の男の姿。あの男から向けられた侮蔑の眼とあれだけのことをしておいて興味をなくしたように呆気なく向けられた背中を、少年は忘れない。それはあのときの屈辱と同じだけの強さで彼のなかに焼き付いている。
(絶対に許さない…………っ!!)
かつて青い空を映し輝いていた鳶色の瞳はいつしか暗い炎を宿し、その屈辱と喪失感を埋めるために一つの感情に囚われた。
「俺の誇りに触れるなっ!!」
奇しくも昔の自分と同じ台詞を言った少年を前に、あの日の記憶に蓋をするようにカイトは一瞬だけ軽く目を閉じる。屈辱の記憶は今もなお褪せることはない。
「恨むなら、獣の証を持って生まれた己を恨め」
わざと、あのときの兵士の言葉を引用した。
沸々と湧き上がってくる憎しみを表に出さず、カイトは少年の耳を引っ張る。犬に似た、人間のそれとは明らかに違う耳を持った少年は、耳を引っ張られた痛みに小さく悲鳴を上げた。
「いっ……っ、うわああぁぁっ!!!」
無感動に剣を振り下ろすと、甲高い絶叫が室内に響く。
他の兵士とは違い、カイトは耳以外を傷付けないよう細心の注意を払ったが、少年がそれに気付くこともなければ、それを優しさだと認識する日も来ないだろう。
(……別に、それで構わない)
カイトでも、他の兵士でも、神聖王国そのものでも、好きなものを恨めばいい。
憎しみは生きる糧になる。……カイトが自分の名を変え憎悪する国で地位を得たように、行動するための力になる。
「隊長、こちらは全て終わりました」
「……そうか」
声を掛けてきた部下に頷き、カイトは血の匂いが充満し“人間にされた者たち”が床に転がる凄惨な部屋を後にした。
復讐心をちらつかせることなく、淡々と任務をこなしていくカイトが副団長の座に就くのは、僅かこの二年後のこと。
相方に“犬耳が誇りとかウケるww”と言われたんですが、人間から蔑まれる部位を敢えて誇りと呼んでいるって設定なので、ウケ狙いではありません。……まあ、翼が誇りっていうとカッコいい気がするのに、ケモ耳が誇りっていうとビミョーなのは何となく分かりますが。