満天の星
ズボンの裾を折っていたため、背の低い枝が彼の脛を切る。それも気に留めず、彼は渾身の力を奮ってサーニャを追った。
これ以上誰かを死なせる訳にはいかない。サラとアニーの断末魔が脳裏にこだまする。
森は仄暗く、総てを飲み込むような雰囲気を醸し出していた。額に流れる汗を雑に拭いながら、ライアンは異様な空気が漂う闇の淵を駆ける。
「サーニャ...!!どこだサーニャ!!」
何度も叫ぶが返事はない。空を見ると薄い藍色が広がっていた。このまま捜し続けるべきか。
しかし川にはエマを残している。川の水位が増していたら?他の動物が彼女を襲っていたら?言いようのない不安と焦燥が彼の足を止める。
「くっ...神様...いないのか...?いるなら救ってくれよ...見てるだけかよ...」
神は最悪の選択を彼に迫った。少女を見殺しにしなければならないのだ。
その子は娘の親友、サーニャ。
皮肉を言い合いつつも、決して弱音は吐かずにエマを気遣ってきた。
何故、無垢な彼女がこんな目に遭わなければならないのか。
「元はと言えば神様...あんたのせいだ...あんたのせいで俺らはこんな...小さな幸せすら摘まれてしまうんだ...!!!」
土に膝を着いて嘆くライアンを、嘲笑うかのような生温い風が吹いた。
神は悪くない。何故なら神はいないのだから。総て人間が創造したものでしかないのだから。
『神はいるが、神はいない』
森羅万象には名前が付随してある。
机、椅子、瓶、腕、口。名前が無ければ、それは存在しないのも同然だ。
神もそうだ。神は必ずしも人の形をとらない。
何かの奇跡が起きた時、人は口々にこう言う。
「これは神のおかげだ」と。
人間の作った虚像は人間によって曲げられ、人を傷つける道具と化した。
神はいない。
人は人を信じて生きなければならないのだ。
...
......
.........
「流れ星...流れないかな」
隣で横になっているエマが空を眺めてそう言った。
サーニャを見棄てなければならない旨を話した時、泣いていたのはライアンだけであった。
自分の不甲斐なさと無力さを懺悔するかのようにエマの前で膝を着いた彼に対して、エマは茫然自失といった表情であった。
ライアンは一言も話せず、今夜の寝ぐらを探し、リュックを枕にしてエマを横にしていた。
こんな時にも関わらず、夜空は満天の星を散らしている。
「どうして...?」
声が涙で枯れている。親友を失ったエマは今どんな気持ちなのだろう。どうして泣かないのだろう。
まるで哀しみの代わりに怨みを詰めたような感情のように、全てを達観しているようにエマは平常心を装っていた。
「神様はね...私達のことをよく見るために空に穴を開けるの。それが星なの。でもね、もっとよく見ようと時々空に切り込みをいれるの。それが流れ星。だから流れ星にお願いごとをしたら神様が見てくれてるんだよ。本で読んだ」
「見てくれる...か」
「パパ...?」
ライアンには、娘が何か大切なことを言おうとしているのを勘付いた。
「私ね、サーニャが居なくなっちゃったことは凄く悲しい。私も死んじゃいたいくらい悲しいよ?でもね。パパが生きていてくれるから私は泣かないの...私は泣かないの...!!」
最後のほうは鼻声だった。
今まで我慢してきた感情が、エマの中で涙と共に溢れ出し、彼女はライアンの胸に飛びついた。
「私...生きていたい...!!...死にたくないよぉぉお...!!!」
涙が零れた。
彼女はずっと耐えていたんだ。
絶望している自分とは違い、常に希望を目指し、それを信じて歩いていたんだ。
自分の胸の中で嗚咽を漏らす彼女をライアンは強く抱擁した。
もう大丈夫、絶対に護ると心に誓いながら。




