一匹の魚
「魚だぁ...!」
空の光を反射する川と睨めっこしていたサーニャが言った。反射的な速度でライアンが反応する。
それは至極当然のことである。饑餓の可能性が予見されるこの状況で、良質な白身は重宝するべきだ。
「どこだ...?」
「ほらっ...!薄っすらと...!」
彼女の指差す先を追うが、太陽光の反射でやけに見辛い。
「エマも来てよ!」
「ちょっと待って...裸足だと動きにくいんだから...」
エマは手を左右に伸ばしてバランスを取りながらサーニャのもとに歩く。
(流れがあるから冷たい...)
途切れなく揺れる川の流れを皮膚に感じながら、エマとサーニャははしゃぎながら魚を追った。
微笑みを浮かべつつも彼女らよりも少し下流に行って流された時に助けられるようにするライアン。アニーやサラ、デイビッドを喪った意味を無にしてはいけない。
ここまで来ると、ライアンにとって宗教とは、もはや悪、そして穢れたモノとなっていた。何かに託けて犯罪を正当化する神託を得て、人々を恐怖に陥れる。
神とは何なのか。
日々を必死に生き、小さな幸せを見つけては微笑する。そんな繊細な心を持つ無実の人々を廃に埋もれさせるのが神なのか。
もしも、
もしも神様がいるのであれば、あの純粋無垢な少女達だけは救ってください。
ライアンは揺れる水面を目を細めて眺めながら、そう祈るのであった。
暫くすると、魚を獲るのに疲れた2人は、再び岩の陰にちょこんと座った。
ライアンも試しに手掴みを試みるが、やはりそう上手くはいかない。
これ以上の体力の消費は望ましくない。ライアンも2人の横に腰を下ろす。
「あの子たち、頭に目でも付いてるのかしら?」
不貞腐れたサーニャが言った。先ほどまで爛々と輝いていた青い瞳が、今は煤のような色になっている。
「人の影が来るとわかるらしいよ」
「ま、生きるためだものね」
ライアンは肘と膝をくっつけて手の上に顎を乗せるサーニャの顔色を伺う。
「そろそろ行こう...川を越えて少し歩いたら街に出られるはずだ」
「うん...ねぇパパ」
エマがライアンの手を見て改まったような表情で言う。
「どうした?」
「んーん、何でもない!」
次に出てくる言葉を飲み込んで、彼女は作り笑顔を見せる。
「そっか、上流に行くと他の魚がいるかもしれないな!」
「やった!...行くよサーニャ!」
(散々私と汚い会話してたのに今更猫かぶってる...)
彼女の豹変ぶりに呆れるサーニャであったが、自分もまた、別のベクトルで彼女と同様なことに気づいた。
(お父様とお母様...大丈夫かな...)
天気は打って変わって晴天。
濡れた服も乾き、同時に3人の体力はじりじりとすり減らしていった。
そして雨のすぐ後に晴れることで、森林は猛烈な湿度を保っていた。
息をするたびにムワッとした空気が肺に流れ込む。
「空気中の湿気を全部飲んでやりたい気分...」
エマが舌をペロンと出しながら言った。
「ハハッ...それ最高」
せっかく洗ったブロンドの髪も再び湿気で縮れパサついてしまう。サーニャの日常ではあり得ないことだった。
「帰ったらさぁ...読んでない漫画何日もかけて一気に読もうよ」
「いいわね...お父様に頼んで高級なジュースを傍にね」
2人は顔を見合わせて笑った。
「たまにはパパとも遊んでくれよ」
冗談めかしにライアンが言うと、エマが
「コーヒーはないかもね」
と返した。自分の席はないということか。
「自分で持って行くよ。淹れるのは得意なんだ」
引き下がらないライアン。どこまで娘達と遊びたいのだろうか。
「いいわ。ですが、ライアンは少女漫画に興味があって?」
「愛読書も持参するよ」
((じゃあ何のために来るんだろう...))
2人の考えがシンクロした瞬間であった。もう娘達しかいないライアンはとにかく誰かがいる空間にいたいのだろう。
まだ親友が生きている2人にとって、その気持ちはなかなかわからないことでもあった。




