転-11.最期の願い
“諦めないで! 生きて下さい! 朔さん!!”
ヒナタさんの声が聞こえ、自分の前に現れた気配を感じて何事かと閉じた瞳を開く。
普通の人間では有り得ない事が、私の目の前で起こっていた。
一秒にも満たない時間の中をヒナタさんは移動し、私の顔を安心した表情で見つめていたのだ。
私は、夢を見ているんでしょうか?
そんな事を考えていたが、優しくヒナタさんに抱き締められたと同時に、彼女ごと後ろへと吹き飛ばされる。
そうだ、私には命を奪うものが迫っていた――――
彼女の体を強く抱き締め、地面の衝撃を全て自分が受けた。
腕の中の彼女は一言も話さず、ピクリともしない。
全身が凍り付くような感覚が駆け巡り、震える唇で名を呼んだ。
「ヒナタ……さん?」
「……」
「ヒナタさ――――――」
名をもう一度呼びながら体を起こそうとした時、“ヌルリ”と彼女の背にまわしていた手が滑る。
「……あ、かい」
黄昏の中で不気味に光る私の手――――紛れもない、彼女の血だ。
背中を深く切り裂かれ、血で染まるヒナタさんは意識を失っていた。
そんな彼女を唖然として見ていたのは私だけではなく、目の前にいた椿も同じであり、紅く濡れた自分の爪とヒナタさんを交互に見ている。
「朔――――――っ!」
「っ!」
完全に思考が停止していた中で煌が木々の間から飛び出し、瞬時に動けなかった椿を蹴り飛ばした。
そのまま綺麗に着地すると、私に駆け寄って来る。
「朔、無事で…………」
煌の安心した表情はヒナタさんの姿を見た瞬間凍り付く。
「朔……そいつ、死んでないよな……」
「……」
何も答えられず唖然としたまま動かない私の肩を掴み、煌は激しく揺さぶった。
「しっかりしろよ!! 朔!」
「っ!」
その声に私の頭はようやく動き出す。
傷を塞がなくてはと手を伸ばしたが、ピタリと止まる。
……無理だ……深いうえに傷口はかなり大きい。
かなりの出血もしていて、ヒナタさんの息はかろうじてある程度。
「どうしたんだよ朔? 何かしら出来ねぇのか!?」
煌の焦ったような表情に私は首を振った。
「ヒナタさんを救うには、治癒の力以外ありません。今の私には、何も出来ません……」
「マジ、かよ? 堕ち人と違ってこいつは生身でここに来たんだぞ……このまま死んじまったら終わりだ」
ヒナタさんが死ぬ。
自分の時は、これで昴様に対して忠誠を貫けると安堵していたのに、私を庇った彼女の命が今まさに消えようとしているこの状況は恐怖でしかなかった。
「ヒナタさん……っ!」
彼女の血で私の服が汚れるのも構わず抱き締める。
「……朔、お前――――泣くほど……」
煌の力ない声で、自分が涙を溢している事に気付きはっとする。
――――私の想いはそこまで大きくなっていたのだ。
紛れもない彼女に対しての想いに、戸惑いを隠せない表情で煌も黙っていた。
しかし、突然拳を構えて私とヒナタさんの前に立ち背を向ける。
視線の先には――――怒り狂う椿がいた。
髪を振り乱し、女の悲鳴と怒鳴り散らす男の声を入り交じらせ、何かを叫びながらこちらに突進してくる。
「屑が!! 屑共があぁぁっ! 渡せえぇぇ――――!! ヒナタを渡せえぇぇ!!」
「ふざけんな! もう、奈落の民とか破滅の神とか関係ねぇ! お前マジでブッ飛ばす!」
煌が飛び掛かろうとした時、気配もなくひらりと二人の間に白い影が舞い降りる。
煌はとっさに立ち止まったが、椿はそのまま突っ込んで勢いよく弾かれた。
「!?」
漆黒の着物に咲いた彼岸花が風に揺れている。
ゆっくりと煌の方へ向くと、後ろにいたヒナタさんと私を見つめた。
黒髪に深紅の瞳。
荻の一件で姿を現した奈落の長・朧が目の前にいた。
後ろでは弾かれた椿が恐ろしい形相で、現れた人物を睨み付けている。
「朧っ! 邪魔をするなぁぁっ!」
椿の怒声が響くが、朧は無表情のままそこに立っていた。
「――――椿。このままではヒナタが死ぬ。……いいのか?」
朧の透き通るような声が聞こえたかと思うと、椿の声が完全に二つに分かれ、女の声がか細く聞こえてきた。
「……嫌、よ。こんなの望んでないわ……。ヒナちゃんが死ぬなんて嫌よ……」
「やめろ! 邪魔をするな!」
「いいえ、もう出ていってちょうだいっ! 私にはもう貴方の力は必要無いわ!」
「ぐっ! ここまできて簡単に手放すかぁああっ!」
椿は何かに抗うように頭を抱えて激しく揺さぶり、朧を見れば“今のうちだ”と言うかのように真っ直ぐ私を見ていた。
「……」
ゆっくり内ポケットに手を入れ、冷たい玉の感触を指先に感じ、“この玉の扱い方で全てが決まる”と実感する。
そのまま取り出そうとした時、視界の端で何かが動く気配に気付いた。
「朔――――――」
「睡蓮!?」
意識を取り戻した睡蓮が、倒れたままの状態で顔だけをこちらに向け、何かを伝えようとしている。
「……朔、心せよ。一つだ……使える力は一つだけ。その力以外は考えてはならん……少しでも迷えば望む力ではなくなり、また、蛍の時のように代償が戻る保証もない……最悪、力を使った瞬間命を落とすだろう」
「……一つだけ」
決断しなくてはいけない。
今、この場で。
命か、忠誠か――――――。
昴様のサポートには、ナイフの能力や高い身体能力を選ぶべき……。
それでも、ヒナタさんの言葉が脳裏をよぎる。
“私は私のやり方で朔さんを守ります”
「そうですねヒナタさん……私も貴女と同じ想いです。私は、私のやり方で助けてみせます」
内ポケットから手を引き抜き、中から白紫の玉を取り出す。
その動作に煌が息をのむのがわかった。
「……」
「すみません、煌。もしもの時は、後を頼みます」
「……あぁ」
煌の返事を聞くと同時に、白紫の玉に強い願いを込めて握り締める。
――――ヒナタさんを死なせはしません。
“パキリ”と小さな音と共に淡い光に包まれ、何かが体を満たしていくのを感じる。
もう、恐れはない。
優しくヒナタさんの背中に腕をまわして抱き起こすと、浅い呼吸を繰り返していた彼女の瞳がうっすらと開いた。
ヒナタさん……この瞬間、貴女の瞳に私の姿が映るのが、こんなに嬉しいものだとは思いませんでした。
これで悔いを残す事もありません。
「これが最期の願いになるかもしれません。命尽きる瞬間まで、私の傍に居て下さい――――」
願いを伝えた瞬間、一気に私の中から満たされた力が解き放たれた。
辺り一面を先程の光とは比べ物にならない輝きが包み込み、何も聞こえない真っ白な光の中で彼女のぬくもりだけを感じる。
“私は死ぬのか”
“ヒナタさんは助かったのか”
どちらも分からない状態だというのに、私は何故かとても幸せだった――――。




