第一話 ❸「エイダ~呪われた家からの希求」
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「ここがエイダの家か……」
カリーが見上げたその家は、赤い屋根の錆びれた家で、赤茶けたレンガ造りのコンビニが隣に建っていた。
「そうみたいだな、何だか田舎らしい古びれた家だが、窓に鉄格子があるところを見ると、何かを警戒しているようにも見えるな」
耳元からファフニールのささやき声が聞こえてくる。ファフニールの言う通り、この家の窓だけ真新しい鉄格子が付けられていた。他の家にはそんな物はなく、長閑な田舎町にしてはこの家だけがいささか不可思議な様子だった。
玄関前で佇むカリーは、声の主に小声で語りかける。
「こんな田舎で何を警戒するんだ?」
「ん~例えば家の中に宝を隠しているとか、悪魔から身を守っているとか、ガキのセールスのお断りとかかな」
「おい、最後のは僕のことを言ってるのか?」
ファフニールが厭味ったらしく笑う。
「冗談さ、それよりあれを見てみろよ」
カリーの頭が自分の意思とは関係なく強引に引っ張られ、家の前に止められた一台の車に向けられた。
「お、おい――!」
「あの車、……さっきお前を轢き殺しそうになった車だぞ」
路肩に止められているその車は、確かに黒のセダンだった。
「なんで分かるの? あんな車どこにでもあるタイプだろ」
「臭いで分かるんだよ……酷い死臭がしたからな。何だか雲行きが怪しくなってきたぞ……」
「怖がらせるのはやめろよ……」
カリーは表情を固める。
「ともかく、家の中に入れてもらおう。――ファフニールはちょっとの間黙っててくれ」
はいよ、と耳元で返事があると、ファフニールの気配がどこかへ消えた。
カリーがチャイムを押すと、しばらくして中年の女性が訝しげにドアの隙間から顔を覗かせた。丸い顔の厚化粧なおばさんだった。
「どうも初めまして、わたくしカリー・フェントンと申します」
「セールスなら返って、家にそんな金はないから――」
おばさんがすぐにドアを締めようとして、カリーは慌てて足を踏み入れた。
「っいて――あ、ちょっと待ってください!」
「何なんよあんた!」
「いえ、あのちょっとだけでいいので話を聞いてください! 私はそちらのお宅のエイダちゃんから電話で依頼を受けて来たんです。どうやら困ってることがあるようでして――」
おばさんが目を丸くする。
「ふざけるのも大概にして!――警察を呼ぶわよ!!」
「え!? 落ち着いてください奥さん。私は怪しい者なんかじゃないですよ」
「そんなふざけたこと言われて落着けるわけないじゃない! エイダなんて子は家にはいません、いいから早く帰って! 帰らないなら本当に警察を呼ぶわよ!!」
「わ、分かりました、すいません……」
おばさんの迫力に気圧されてカリーが下がると、バタン、と勢いよくドアが閉まった。
「何なんだよまったく……」
カリーは項垂れて、その家を後にした。
時刻は七時を回り、今夜はこの町に泊まることにしたカリーは、昨日に引き続きまたしても安宿に泊まることとなっていた。
カリーはマットレスの上に飛び乗ると、思いのほか硬かったそれに舌打ちしながら、左腕で両目を覆い、吐出すように呟いた。
「いたずら電話か~、新聞に広告を出すのもデメリットが多いなぁ……」
エイダと名乗ったあの少女、何者かは知らないが、恐らくはカリーが出していた広告を見て、面白半分に電話してきたのだろう。
この稼業を始めてから半年ほど経った頃、自分から詐欺の対象を探すのではなく、相手から連絡して来てくれた方が何かと事が運びやすいのではと気づき、それ以来定期的に広告を出すようにしている。
おかげで仕事は増えたのだが、それからというもの、好奇心に駆られた子供や馬鹿な大人たちから冷やかしの電話が掛かってくるようになった。何せ広告の内容が、『霊能力者カリーの何でも相談センター。悪魔や悪霊、その他の超自然的で非科学的な現象にお悩みのそこのあなた! カリー・フェントンがあなたの恐怖を取り除きます!』だから無理もないけのだけど。
それにしても、エイダに嘘をつかれたというのが何だか納得いかない。あの子の声は本当に震えていたし、怯えていたのだ。とても演技しているようには思えなかったし、エイダのか細い声からは、人を騙すような陰湿な雰囲気はまったく感じられなかった。
「大体、ファフニールがいけないんだぞ! 俺は最初は乗り気じゃなかったのに、お前がどうしても行くって言うからついて来たんだ」
ファフニールからの返答はない。小さい部屋の中にカリーの声が静かに抜けていく。
「無視かよ――」
カリーはうつ伏せになって枕に顔を埋めた。
いつの間に寝ていたのだろうか? 枕にべっとり涎を垂らし、うつ伏せに眠っていたカリーの耳元に携帯の着信音が鳴り響く。
――ヘルプ! アイニードサムバーディ、ヘルプ! ノットジャスエニバーディ……。
「ん~誰だよこんな時間に……」
時刻は午前二時二十分。枕元に置いていた携帯の液晶には、見覚えのある番号が映し出されていた。
「はい、もしもし……」
「お兄ちゃん!? お願い早く助けに来て――」
――またか……。
カリーはすぐさま着信を切ると、そのまま電源を切って携帯を右手で握りしめたまま再び枕に顔を埋めた。
こんな夜遅くに電話してくるなんて、教育が行き届いてないなと眠気眼にそう思う。新聞広告はしばらく掲載しないでおこう……。
カリーは携帯を薄目で眺めながら、一度冷めてしまった眠気を深い闇が引き寄せるように、瞼がどんどん重くなっていくのを感じていた。
――ヘルプ! アイニードサムバーディ、ヘルプ! ノットジャスエニバーディ……。
再び鳴り響くそれに、カリーは表情をしかめる。携帯のライトが点滅し、お馴染みの曲が流れるのをしばらく見つめていた。
電源は切ったはずなのに、……いや、切り忘れたのだろうか? その可能性は否めない。
しかし、携帯の液晶には何の番号も表示されておらず、非通知の文字もなかった。それだけでなく、通常あるはずの時間や電池残量の表示もない。
着信を知らせる携帯のライトエフェクトがカリーの横顔を照らし、ビートルズが歌い続けている。
「はい……?」
「――カリー!」
聞き覚えのある声にカリーは驚く。
「ファフニール? お前なんで電話なんか――!?」
「説明は後だ、お前今どこにいる?」
「どこって、……宿で寝てたけど」
「まだ町にいるのか?」
「ああいるよ、お前こそどこにいるんだよ。てっきり一緒にいるのかと思ってたんだけど」
「俺は……今あの家にいる」
「は!? どうやって入ったの?」
「滑り込んだんだよ」
「でも、悪魔って招き入れられなきゃ他人の家には入れないんじゃなかったのか?」
「だから、招き入れてもらったんだよ」
「誰に? まさかエイダとか言わないよな?」
「違う、別の奴だ――いや、そんなこと話している余裕はない。ともかくお前も早く来い!」
「来いって、今からあの家に? 嫌だよそんなの、今何時だと思ってるんだ」
「嫌でも何でも早く来い! 俺はもう限界だ。こんな家来なければよかったと正直後悔しているが、予想外の事態が起きた」
「どうしたんだよ」
「暗いんだよ、めちゃくちゃ!」
カリーは呆れる。
「何だよ、そんなことかよ……、だったら早く家から出ればいじゃないか」
「それができないからお前に頼んでいるんだろ! この家には呪いが掛かっている」
「……呪い?」
「ああ、――それより頼む……早く助けに来てくれ」
珍しくファフニールが塩らしい。
「分かったよ、じゃあ支度するから待っててくれ」
「お、おい! 怖いから電話は切るなよ……」
ファフニールの声が震えている。
「お前それでも悪魔かよ」
「うるさい、悪魔にだって苦手な物はあるんだ」
「はいはい――」