序章 カリーとファフニールとマシュリーおばさん、あとチャーリー
みなさん初めまして、菅原みなみと申します。
不定期ですが、なるべく短いスパンで投稿していきますので、みなさんよろしくお願い致しますm(_ _)m
基本的に一話一話完結していくように話を作って行こうと思っています。ただし、カリーの隠された過去や、ファフニールとの出会いなど、ちょこちょこと伏線を散りばめながら、またそれを回収していくような形で考えています。イメージ一話完結の海外ドラマみたいな感じですね。
因みに、小説の中で出て来る聖書の一節や連祷は、実在するものを少しだけ改編しています。気に障る方もいるかもしれませんが、フィクションだと思って楽しんで頂ければ幸いです。
それでは、みなさん気軽に読んで行ってくださいノ
「いや~、これは完全にいますね……」
「いるって!? やっぱり、主人がいるんですか?」
机を挟んで真向かいのソファーに腰掛けるマシュリーおばさんが、小さな身体を小刻みに震わして涙ながらに聞いてくる。
「うん~、これは亡くなったご主人の幽霊というより、悪魔の部類に入りますね……ほら、あれを見てくださいマシュリーさん――」
カリーは、薄暗い部屋の中でチクタクと不気味な音を立てているガラス張りの大きな振り子時計に目をやりながら、それを人差し指で指示し、視線を細める。恐慌としたマシュリーおばさんの、息を呑むのような小さな吸気が聞こえてきた。
「時計の針が物凄い早さで逆回転してトンでもないことになっているでしょう。ああ、恐ろしい……あの時計は完全に取り憑かれていますね。悪魔による仕業で間違いありませんよ!」
「そんな……でも……」
「見たところ相当古い物のようですし、恐らく大戦前、いや……もしかしたらそれ以上前に作られた物かもしれません。いろいろな人に回り巡って最後に行き着いたのがご主人の手元だったのでしょう。その間のどこかで、悪魔が住み憑いたに違いありません。もしかしたら、ご主人の死もこの時計に取り憑いた悪魔が関係しているのかも……」
「あの――」
「みなさん勘違いされている方が多いんですけどね、悪魔ってのは人間だけじゃなくて物にも取り憑くものなんですよ。まあ言わば、何でも食べる雑食みたいなものでしてね――っいて」
こめかみに何かが当たり、カラン、とした乾いた音を立てて机に転がり落ち、置いてあった雑誌の傍で止まる。よく見れば、それは机に立て掛けられていたはずの万年筆だった。
「はっはっはっ、どやら私の正体を知った悪魔が敵意を向けて来たようですね」
「――あの!」
「え!? あ、はい……何でしょう?」
「あの時計はつい先日、主人が死んだ後に孫がマーケットで買って来てくれた物で、まだ新品のはず何ですが……」
――まずい!?。
「い、いや~そうでしたか、……まあでも、悪魔が憑いていることには間違いないですから、その~、どうやって悪魔祓いを――っあ見てください! 振り子の重りが取れましたよ!!」
一瞬間を置いた後、ガシャン、という大きな音を立てて、振り子の重りがガラスを打ち破って外に飛び出してきた。
「――っきゃああああああああああ!!」
悲鳴上げて勢いよく飛び跳ねたマシュリーおばさんの体勢が崩れ、机の上に倒れ掛かりそうになるのを何とか受け止める。
「おっと、大丈夫ですかマシュリーさん!? 落ち着いてください、私がいる限り悪魔には手出しさせませんよ」
「――お願いですから、あの時計をどこかにやってください! 孫には悪いけど捨ててしまえばいいんですよ!!」
いや、それではこんなド田舎まで来たかいがなくなる。
「マシュリーさん、ただ捨てるだけではだめなんですよ。悪魔というのは移り症の激しい奴らでしてね、一つの物に執着する悪魔もいれば、次々と取り憑く対象を変えていく悪魔もいるんですよ。この悪魔は買ったばかりの時計に憑いたぐらいですから、恐らく移り症の激しい奴なんでしょう。……捨てたところで、マシュリーさんのお宅にある他の何かに乗り移るだけですし、何よりもお孫さんが買ってくれた時計を捨てるなんて、っあ! ――ほら、あれを見てください!」
今度は部屋の隅にあるテレビを指差してマシュリーおばさんの注意を引く。しかし、変化が表れたのはテレビではなく後ろの壁で、白く塗られた壁に真黒な染みがどんどん広がっていく。――これはちょっとやりすぎだ。
マシュリーおばさんは目を丸くして震え上がると、両手で頭を抑えながらカリーの胸に潜り込む。
「あぁ、お願いです! お金はいくらでも出しますから、何とかしてください!!」
思わず顔がニヤケそうになるのをすんでところで抑え込み、抱きつくマシュリーおばさんの身体を引き離すと、いかにも心痛な面持ちといった感じで怯える顔を覗き込む。
「しかし、これ程の悪魔になると、いかんせん使用する悪魔祓い呪具も高価な物を使わざる負えないので、必要経費だけでもかなりの額になりますが……大丈夫ですか?」
「二週間前に死んだ主人の生命保険と年金があるので心配いりません! 何でもいいから早くしくださいな!」
「分かりました、……そういうことならありったけの呪具を用いて、この家に巣食う邪悪な悪魔を祓ってみせましょう!」
カリーはソファーの下に置いていた革製の茶色いアタッシュケースを取り出して机の上に置くと、パチン、と短い音を立てて留め金を外し、その余韻に神経を研ぎ澄ませる。
急にガタガタと家中の物が小刻みに揺れ動き、憔悴したように呆然と辺りを見渡すマシュリーおばさんの左手がカリーの右腕に伸びてくる。
しかし、カリーはその手は取らずに、視線だけをマシュリーおばさんに向けた。
「悪魔が怒りで戦慄いていますね……マシュリーさん、すみませんが危険なので家から出ていてもらえませんか? 何かあってもあなたを守り切れるか分かりません。私は悪魔祓いに集中しなくてはなりませんから……」
外した留め金にはまだ両手を掛けたまま、カリーは視線を落として表情に影を作ろうとした。
「は、はい。分かりました……でも、独りで大丈夫なんですか? まだ若いのに……やっぱり、神父さんにも来てもらった方が――」
「心配はいりません! 若く見えるかもしれませんが、これでも十八です」
「それは十分若いんじゃ……」
「私は慣れてますから! それに、自分の手に負えないと分かればすぐ逃げ出しますよ……安心してください」
カリーは笑顔で語りかける。それで納得したのかしていないのか、マシュリーおばさんは首を傾げながらもう一度部屋の中を見渡して、――そうですか、と言って、ゆっくりと玄関に向かって行った。
「それじゃあ、気を付けてくださいね。くれぐれも無理しちゃいけませんからね」
遠くで聞こえるマシュリーおばさんの不安気なその声が、玄関の扉が閉まる音で唐突に途絶える。
それとは対照的に、依然として部屋中の物という物が揺れ動いていて、時計、テレビ、ソファー、机、観葉植物、棚、食器、など数多の物が不気味な音を立てている。それらを見渡して、カリーはどこともなく宙に向かって呼び掛けた。
「おーい、……もうやめていいよ。いつまでも馬鹿みたいにポルターガイストの真似事をしなくても」
「真似事だと!? これは立派なポルターガイストだろうが!」
「何が立派なポルターガイストだよ、ただ手足で触れて揺らしているだけだろう」
「ッケッケッケ! お前にポルターガイストの何が分かるってんだ。それに、俺は手足を使っているんじゃない。触手を――」
「ああ、やめろよ! お前の気持ち悪い身体の構造なんか知りたくない! それより、いい加減揺らすのをやめて姿を現してくれ。――もちろん、まともな姿でだからな! この前みたいに脅かすのはなしだぞ!」
「かー、人が身を削って真摯に働いてやっているというのにその言い草は何だなんだ! 気味の悪い部屋で薄暗いなか我慢して、あのばあちゃんを脅かそうとお前の下手糞な演技と急な振りに応えてやっていたというのに、少しの感謝の言葉も出てこないばかりか、俺の信用を疑うのか!?」
「――はぁ、いろいろツッコムところはあるんだけど、まずお前は人じゃないだろう」
「っふん、これでもか――?」
カリーの目の前に突如として女性が現れ、そのヘンテコな姿に思わず目を背ける。
「何で裸なんだよ、髪の毛もないし、脚が短すぎないか?」
「おっと、――よし、これでどうだ!」
不審に思いながらも視線を戻すと、先程の女性が見覚えのあるブロンド美女に姿を変えていた。記憶に新しいその姿を確かめようと、机の上に視線を這わして雑誌に目が止まる。
「モデルのクレメンティーナか。悪くないけど……その恰好は目のやり場に困るよ、ファフニール?」
依然として裸のまま、クレメンティーナそっくりに変身したファフニールは仁王立ちして、無表情な顔でカリー見つめている。
「しょうがないだろう、力を使い過ぎたんだ。燃料補給しなきゃ服までは作れない……まあ、お子ちゃまのカリー坊やには少々刺激が強すぎるかもな……よし、下着ぐらいならできるだろう――」
クレメンティーナの身体から、……いや、ファフニールの身体から下着が浮き出して上と下を隠す。
「うん、まぁそれならいいよ。それで、ここまでいい感じに事が運んだわけだけど、あと十分ぐらいしたら外に出よう。それまでにできるだけ部屋を荒らして、蝋燭立てたり呪文とか適当に書いて、後はいつもの手筈で頼むよ」
「了解した。ただし、宝石があれば俺がもらうからな、……お前は手を出すなよ、絶対にだぞ! もし、俺様に隠れて手を出していたら、お前の内臓を抉って血を吸い取った後に、お前の身体に潜り込んで裸でタップダンスを踊ってやる!」
「――はぁ、分かってるって。お前の大事な食料を奪いはしないよ……ご自由にどうぞ」
すぐさまファフニールが部屋を飛出し、二階に上がっていく。あらかじめ目星を付けていたのだろうか、迷いなく階段を駆け上がって行くその足音がうるさく響く。
カリーはアタッシュケースの留め金に掛けていた手を離し、中を開けて覗き見る。中には大小それぞれ五つの赤い蝋燭と、黒と白のチョーク、それから十字架はもちろんのこと、様々な種類の聖書やアミュレット、タリスマンも揃えている。その他にも、旅をする中で各地から仕入れた魔術めいたものがこのケースにはたんまりと詰め込まれている。――まあ、中にはインターネットで買った物もあるけど……。
カリーは蝋燭を取り出して、大小それぞれセットになるように家の東西南北に設置して火を灯していく。最後に家の中心に位置する先程の部屋に戻り、机の上の物をどかすと、中央に五つ目の蝋燭を設置した。
それから、今度はアタッシュケースの中から白いチョークを取り出して、机の上に置いた蝋燭を中心に六芒星書き、星の角に七惑星の内、土星、木星、金星、月、水星、火星のシンボルを順番に時計回りに記していく。最後に中心にある蝋燭の周りに円を書いて太陽のシンボルを記し終えると、カリーは手を止める。
「よし、これくらいでいいだろう。あとは適当に荒らしながら護符でも貼って行けば……ああでも、一応聖書を読んでおくか」
カリーは再びアタッシュケースに近寄ると、薄暗い中で目を凝らしながら聖書を探す。何冊か取り出して迷ったあげく、マルコの福音書に決めて、手元に広げながらパラパラとめくり、適当にいい箇所がないかと探してく。
「うん、ここでいいかな――」
そう頷きながら、胸元から十字架のペンダント取り上げて口づけすると、開いた箇所読み始める。
「斯て彼らに言ひたまふ『全世界を巡りて凡の造られしものに福音を宣傳へよ。信じて洗礼を受くる者は救はるべし、然ど信ぜぬ者は罪に定めらるべし。信ずる者には此等の徴、ともなはん。即ち我が名によりて惡鬼を逐ひいだし、新しき言をかたり、蛇を握るとも、毒を飮とも、害を受けず、病める者に手をつけなば癒えん』語り終へてのち、主イエスは天に擧げられ、神の右に坐し給ふ」
最後に、アーメン、と言い残して胸の前で十字を切ると、もう一度十字架のペンダントに口づけした。
すると、どこからともなく、パチパチパチと気怠そうな拍手が聞こえてきて、気になって辺りを見回した。しかし、誰も見当たらない。
「馬鹿、こっちだよ――」
聞こえるその声に反応し、カリーが時計の方に目をやると、先程見た時にはいなかった謎の老紳士が立っていた。綺麗に仕立ててあるスーツに身を包み、頭には古臭いシルクハットを乗せている。
「……ファフニール?」
「当たり前だろう。家の中には俺とお前以外、今は誰もいないだろうが。それより何なんださっきのは、――我が名によりて惡鬼を逐ひいだし、だって? 笑わせるなよ全く、そんなんで俺のような崇高な悪魔がやられるわけないだろう」
「うるさいな、ちゃんとしたエクソシストがやれば効果はあるんだよ。それに、お前でも十字架は苦手なんだろ?」
カリーは右手に持った十字架をファフニールに向けて掲げる。
「――っちょ、馬鹿お前! やめろやめろ、冗談じゃすまなくなるぞ!」
ファフニールの慌て様にカリーは苦笑する。
「ああ、悪かったよ。それで、君が変身しているその人物は誰なんだい?」
カリーが十字架を下げると、落ち着きを取り戻したファフニールが悪態をつきながらこちらに向き直る。
「これか? これは、あのばあちゃんの元旦那だよ。今はあの世に行ってるけどな……地獄だか天国だかそのまたどこかにな……」
目の前の老紳士が口角だけを吊り上げて、笑っていない目を不気味に光らせる。
「はいはい、じゃあ準備は出来たってことだよな? 俺も後は適当に荒らして護符貼るだけだから、ファフニールも手伝ってくれ」
「っふん、本来お前の仕事だが、まあいいだろう。今日は収穫が多かったからな、気前よく手伝ってやろう」
「なんだ、そんなにたんまりあったのか?」
「おおあったぞ、ダイヤにルビーに金銀にダイヤにそれにそうだな、やっぱりダイヤだな。まあ、いくつか紛い品もあったがな」
ファフニールが大声で笑う。こいつの大好物はダイヤモンドだ。一番エネルギーが付くし、甘い香りと口の中で弾ける光が堪らない、と豪語している。もちろん、カリーには理解できない。
「はあ、お前が食べるのをやめてくれたらもっと稼ぎが増えるんだけどな」
「それじゃあ、俺がお前に協力する理由が無くなるだろうが」
またファフニールが笑う。しかし、目は笑っておらず、声もどこか機械的で抑揚がない。
「ファフニール、笑うときは目元を細めた方がいい、それと声の調子も今回は合ってないから、締めの時は喋らないようにしてくれ……ちょっと不気味だよ」
「む……こうか?」
ほとんど目を瞑っているようにしか見えなかったが、それでも、さっきよりはましだった。
カリーは頷くと、アタッシュケースから護符を取り出し、ファフニールに背を向けて歩き出す。
「ファフニールもちゃんと手伝ってくれよ、……もう残り時間が少ないだろう?」
「心配するな、ダイヤを食えたおかげでいくらか時間に猶予がある。あともう十分くらいは大丈夫だろう……」
それならば、いつもより多く収入を得るチャンスということだ。金欠で今日までろくにご飯を食べれてないし、宿も安くて汚い所ばかりだった。――残金は十二ポンドしかない。
カリーは仕事終わりに贅沢三昧をするのを思い浮かべながら、出来るだけ本日の稼ぎを増やそうと、キビキビと身体を動かした。
「それで、……悪魔は祓えたんですか?」
玄関から出てきたカリーにマシュリーおばさんが駆け寄り、開口一番そう聞いてきた。心配そうにこちらを覗き込み、カリーの左腕を掴んで揺らす。
「それが、困ったことになりました。悪魔を追い出すことには成功したのですが……あれを――」
カリーは庭先でマシュリーおばさんの背後に立つ一人の老紳士に手を振る。老紳士は古臭い帽子を脱ぎ取って、小さくお辞儀をした。
「そんな、……あんた、あんたなのかい!?」
顔を上げた老紳士がぎこちない笑みを浮かべ、そして頷く。
「ああ、チャーリー――」
マシュリーおばさんが両手で顔を覆いながら泣き崩れる。カリーはすかさず支え起こしてやさしく背中を擦り、少しだけ痛む自分の心に鞭を打って、口を開く。
「マシュリーさん、どうやらご主人はずっと悪魔と戦っていたそうなんです、あなたを守るために……」
哀号するマシュリーおばさんが瞳を震わせながら顔を上げ、チャーリーを見つめる。
「でも、もう疲れたそうなんです。これ以上は限界といったところで、私たちが駆け付けたということです……本当に運がよかった」
「私たち……?」
マシュリーおばさんが首を傾げて振り返る。
「あ、いえ――っおほん。チャーリーさんは私にこの家を、いえ……愛する奥さんのことをいつまでも安心して暮らせるようにしてもらいたいと望んでいます。そのためには、あの……これなんですが――」
カリーは懐からペンダントタイプのアミュレットを取り出して、マシュリーおばさんに差し出す。アミュレットは六芒星が描かれた合金製のメダルで、インターネットで簡単に手に入る。
「……これは?」
「これはお守りです、マシュリーさん。このアミュレットが悪魔や悪霊からあなたを守り、二度とこんな恐ろしい体験をしないよう、常にあなたを天からの聖なる御光で満たしてくれます」
マシュリーおばさんは震える手でアミュレットを受け取ると、咽ぶ身体を上下に揺らしながら、それをただ呆然と眺めている。
普通だったらそんなの嘘だと一括されて終わるのだが、今のマシュリーおばさんにそんな疑念は微塵もないだろう。なんせ、死んだご主人が本当に目の前に立っているのだから。――まあ、ファフニールなんだけどね。
カリーはマシュリーおばさんを連れてチャーリーに扮したファフニールの前まで行くと、そこで立ち止まり、マシュリーおばさんの両手をアミュレットごと包み込むように両手を添える。
「いいですかマシュリーさん、よく聞いてください。このアミュレットは、このままでは何の変哲もないただのペンダントです。ですからこれから、何の変哲もないこのアミュレットに命を吹き込みます。マシュリーさんもその手助けをしてください」
「……はい。主人がそれを望んでいるのなら、私は何でもします。……あなた」
マシュリーおばさんが手を伸ばして、寂しそうにチャーリーを見つめる。その手を止めて、カリーは首を振る。
「マシュリーさん、……すみませんが、ご主人に触れてはいけません。もし触れてしまえば、ご主人は二度とあの世に行くことができなくなってしまいます」
これは本当の話しで、ファフニールによると、死者と生者の直接的な交わりは、如何なる理由があろうと神がそれを許さないのだそうだ。もし交われば、死者は永遠に地上を彷徨うことになり、生者の寿命はその死者が地上にいる限り急速に減り続けるという。夫婦のどちらかが死ぬと、その後を追うようにして、すぐにもう一方もこの世を去っていくとよく聞くが、それはどうやらこれが原因らしい。――もちろん、悪魔はその限りではないのだが……。
「そうですか……でもいいんです。もう一度この人に会えただけで、私はそれだけで幸せですから。――あなた。ああ、チャーリー……愛していますよ。私はいつまでも、これからもずっとあなたのことを愛し続けますよ。だから、どうか安らかに眠ってくださいな」
「マシュリーさん、今からご主人に連祷捧げます。マシュリーさんもどうかご一緒にお願いします。あなたの声にご主人の魂が反応し、このアミュレットに命を吹き込んでくれます」
マシュリーおばさんが無言で頷き、再びチャーリを見つめる。
カリーはアミュレットを握ったマシュリーおばさんの両手をやさしく開き、その手を支えるように下から自分の両手を重ねると、目を瞑って歌い始めた。
「主よ、私たちを顧みてください。キリストよ、私たちを顧みてください。主よ、私たちを顧みてください。キリストよ、私たちの祈りをお聞き入れください。キリストよ、私たちの祈りをお聴き入れください。神の御母、私たちのためにお祈りください。私たちがキリストの約束にふさわしい者となりますように。恵み豊かな父よ、慈しみを私たちの心に注いでください。主よ、我らみまかりし者の霊魂のために祈り奉る。願わくは、そのすべての罪を赦し、終りなき命の港にいたらしめ給え。主よ、永遠の安息を彼に与え、絶えざる光を彼女の上に照らし給え。御言葉が人となられたことを天使によって知った私たちが、聖母の祈りに支えられ、御子の苦しみと死を通して永遠の福楽を与え給わんことを。私たちの主イエズス・キリストによって。アーメン……」
カリーはマシュリーおばさんと共に歌い終わると、顔を上げてチャーリと視線を合わせ、軽く頷く。
すると、チャーリーの身体が白く輝きはじめ、溢れる光りの波が外に押し出されていった。その波は竜巻のように渦を巻いて収束していき、マシュリーおばさんの掌に乗るアミュレットへと注がれていった。
突然の出来事に少し驚いた様子で、マシュリーおばさんは一歩後ずさる。
「……これは!?」
「マシュリーさん、ジッとして、……動かないでください」
収束し、注がれる光がだんだんとおさまりを見せる中、チャーリーの身体が眩い光の中に霞んでいく。
「あなた……」
今度は逆に近づこうと、歩み寄ろうとするマシュリーおばさんの身体を抑え留めてカリーは首を振る。そうしてから、マシュリーおばさんの気持ちを感取して居た堪れない思いで何度も頷くと、カリーはチャーリーを見つめる。
「チャーリーさん、これからもマシュリーさんをどうか見守ってあげていてください。あなたの愛はマシュリーさんにとって永遠の命に等しく、それは光りでもあり、生きる糧ともなり、その魂に刻まれるでしょう。……あなたが安らかに眠り、天国で平穏な日々の中、常に笑顔で溢れていることをここに願います」
カリーは深く頭を垂れて、その時を待った。眩い光が一瞬だけ強まり、カリーの足元の影を打ち消すと――っす、とどこかにいってしまった。月明かりに沈む家の庭が、深い悲しみを労わるように静かに佇み、静寂の中で独り泣くマシュリーおばさんを邪魔する者は誰もいなかった。
カリーは姿勢を正して遠くを見つめた。チャーリーはもういない。跡形もなく消えている。
マシュリーおばさんはチャーリーが消えたところを見ていただろうか? しっかりと見ていたのなら、チャーリーがおぞましい悪魔に一瞬だけ姿を変えたのを目にできるのだが、この様子ならたぶん大丈夫だろう。
――それにしても、こう泣かれたままでいられると、請求するもんも請求できないな……。
気後れする思いを胸に抱き、それが少し抑えきれそうにないもんだから、カリーは目をしかめて月を見上げる。そうして、大きな溜め息をついた。
「はあ……」
――どうしよう……。
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序章と第一話に関し、いくつかの文章を修正して改稿致しました。物語の流れには変わりありませんので、読み返さなくても大丈夫です。今後も改稿することがあった場合は、その都度お知らせ致します。また、できるだけ物語の流れを変えるような改編はしたくないのですが、もしそのような編集があった場合、その文を添えて、こちらの後書きにてお知らせ致します。拙い文章ではありますが、今後ともみなさんよろしくお願い致しますm(_ _)m