第六章 学校生活
――――蠢く。
肥大していく、肉質を持った壁は大きく脈動し、屋根の元から伸びている『実』は、ゆっくりと揺れていた。血管が大きく膨らんでいたが、其れはやがて縮小し、『実』に向かって、何かを送り込んでいく。
揺れている『実』から零れ落ちた液体は、地面に染み込んでいく。そこから生まれ出てくる『影』は、地面を這っていった。
――――跳ねる。
『実』が大きく揺れ、変化が起きる。赤い実に四本の縦線が刻まれ、そこに沿うように、『実』の肉が盛り上がった。
――――揺れる。
一気に変化した『実』と違い、そこは恐ろしいまでに静かだった。
『実』の線だけが、僅かに膨らみはじめた。それとほぼ同時に、空間を燈していた明かりは消え、壁の動きが止まる。
そして、闇に包まれた空間の中で、『実』が、堕ちた。
グシャ、という生々しい音が鳴り響き、『実』が砕ける。その『実』が僅かに揺れ、ごろんと、転がった。
そこに現れたのは、どこまでも白い肌だった。そして、燃えるように赤い眼と、水分を含んでも艶が存在しない、漆黒の黒い髪を持つ其れは、一見すると人のように見えた。
其れは、静かに立ち上がると、辺りを見渡す。しばらく見渡した後、それは小さく笑った。
「………ふふ」
小さく笑ったそれに、床から迫り出した『影』が、近寄ってきた。その『影』が、それに耳打ちするように、体を伸ばした。
何かを耳打ちする態度を取る『影』を、それが唐突に、振り払う動作を見せた。
次の瞬間、『影』は弾け飛んだ。その存在を証明する何かすら残さない其れを、視線も向けずに、それは言葉を発した。
「調子に乗るな、愚図が。下についたつもりも無ければ、誰のために動くつもりも無い」
そういい、其れは嗤う。楽しげに、愉快そうに。
「ああ、自由にさせてもらうよ。全て、自分で用意したからね」
其れは、そう呟くと、姿を消すのであった。
そして、それが消えた瞬間に、その空間は、存在を消し去るのだった。
英光は、噴水広場にある出張店で、コーヒーを飲んでいた。
最初に恭介と一緒に飲みに行った場所で、そのときとは違い、オリジナルコーヒーを頼んでいる以外、特に変わった事は無い。
別に格好つけているわけではなく、待ち合わせである。
恭介では、無い。恭介が何か話したがっていたが、新入部員は上級生が来る前に、何か用意があるらしく、さっさと出て行ってしまった。
では何故待っているのか――――答えは、簡単だ。
護衛を待っているのである。しかし、今日は少し事情が違った。
朝は、登校は島崎、下校は琥河と聞かされていた。今日は真っ直ぐ帰ることになると考えていた英光だったが、昼休みの会話で、少し予想外の事が起きたのだ。
話の流れで、琥河が生まれて一度もゲームセンターに言ったことが無いと言う話題が出たのだ。
その事を聞いて、英光が何気なしに提案した。
「なら、今日行ってみるか?」
英光自身も意外なことに、それが採択されてしまった。
無論、予定もあった。
島崎は今日、学園内の見回り組だったのだが、琥河と二人でさっさと終わらせるという。
『噴水公園ならそれなりに安全だから、そこで待ってなさい』
という、琥河の申し出で、待つこと30分。
ようやく、二人が噴水広場に現れた頃には、学校が終わった生徒で溢れかえっていた。
一緒に、ではなく、ほぼ同時に来たと言う上、肩で息をしているところを見ると、どうやら手分けして見回っていたらしい。
「お、おいおい! 大丈夫かよ!」
コーヒーカップを持ったまま、慌てて駆け寄る英光。
その英光に、琥河は肩で息をしながらも右手を上げて答え、島崎は無言で座り込んでいた。しかし、二人は肩で息をしており、あまりの疲労困憊振りに、英光は慌てる。
(たしか、学園内って言ってたな? って、町ひとつを30分で回ったのか!?)
高天学園の有名なところは、なんと言ってもその広大な敷地だ。流石に端から端まで、ということは無くても、高等部だけでも広い。
驚いて言葉をなくしている英光を見て、肩で息をしていた琥河が、コーヒーのカップをひったくる。ストローと蓋が一緒になっているものを捨てるように外すと、中身を飲み干した。
次の瞬間、琥河は噴出した。
文句を言おうとした英光の顔面に其れは直撃し、琥河は咳き込む。涙目になりながら、叫んだ。
「な、何これ!? 苦ッ!?」
「ぐああああああッ!? 痛い! 眼が痛い!?」
コーヒーに眼をやられ、地面を転がる英光へ、琥河が叫んだ。
「何でこんなに苦いのを飲めるのよ! 馬鹿じゃないの!?」
「う、うるせぇ! 人の好みだろうが!」
コーヒーはブラックで飲むタイプの英光に、琥河は大きく舌打ちする。転がっていた英光へ、島崎がヨロヨロと近寄ると、ポケットからハンカチを取り出し、声を掛けた。
「はい」
「す、すまん」
彼女の差し出したハンカチを左手で受け取り、眼を拭く。未だに涙が出るほどしみているが、それでも幾分かマシになると、彼女へ礼を言った。
「助かったよ。後で洗って返すから」
「そう?」
顔を拭き、今度は鞄からタオルを取り出すと、髪の毛を丁寧に拭く。しかし、ハンカチならともかく、タオルで髪の毛を綺麗に拭けるわけも無い。なにより、片手だけなのだ。
苦戦していると、島崎がおずおずと声を掛けてきた。
「私がやろう、か?」
「あ、ああ、頼む」
此処でどうこう言っていても埒があかないので、素直に頼む。
椅子に座った英光の髪を、島崎が丁寧に拭いていく。それに身を任せていると、琥河がいないことに気付いた。
あたりに視線を向けると、彼女はどうやら出張店のほうに向かっていたらしく、英光のコーヒーカップを持ちながら、戻って来ていた。
「やっぱ、コーヒーは甘くないとね♪」
「って、何で俺のを飲んでいるんだよ!?」
琥河が持っているのは、間違いなく英光のものだった。
此処で店を開いている出張店は、学生向けのサービスが多いためか、空になったコップを持っていけばオリジナルブレンドのコーヒーを用意してくれる。
非難の声を上げた英光に、何故か誇らしげな琥河が、胸を張った。
「ふふん、あんな苦い泥水飲んでいるから馬鹿になるのよ」
琥河が持つコーヒーは、もはやカフェオレと呼ぶべき色になっていた。
「よし、全世界の珈琲党に対する喧嘩だな? このお子様………ッ」
ピキッと、眉間に皺を寄せた英光の睨みを、明後日の方向を向いて避ける琥河。その視界に入ろうと追いかけるが、追いかけたら追いかけただけ、彼女は回転した。
仕方ない、とコーヒーを諦め、英光は左腕で髪の毛を掻いた。どうやら二人とも息は整ったようで、出かけるには良い頃合だろう。
「じゃ、行くか。近くの商店街でいいだろ?」
「ええ、いいわよ」
琥河の言葉に島崎は頷き、英光は二人を先導するように、歩き出した。
彼を一目見て、私にそっくりだと思った。
意見を外に向けるのが苦手で、自分の殻に篭っている。少しだけ開いた隙間で付き合う人を決めて、他の人とは関われない。
そんな人だと、思った。
麻衣は、私と同じ境遇で、唯一無二の親友だ。其れは間違いない。
でも、その人が『キマイラ』に襲われていた時、違うことに気がついた。
『てめぇッ! 何してくれんだッ!』
その表情を「視」て、私はほんの少しだけ、この人の見方を変えた。
頭に血が上りやすくても、腕を折っている相手に対して一歩もひかない覚悟に、驚いた。
そして、何より驚いたのは、ヘリの中での一言だった。
「そんなことを聞いてるんじゃねぇ!!」
大声。少なくとも、あそこまで怒るような説明じゃなかったと思っていた。
でも、すぐに分かった。
「異次元生物の襲撃とか、戦争とか、隠して良いもんじゃねぇだろ! 何も知らないでこの島に来た奴等が、命の危機に陥っているのに、てめぇらは何をしているんだ!」
彼は、事実を隠していた軍に対して、怒っていたのだ。
其れは、自分が『フォディスト』だということが分かったときに、自分も抱いた感想。そして、叫んだ言葉そのものだった。
そして、彼が言ったのは、『自分』のことではなく、『島に来た奴等』だという事。
つまり、自分が怪我を負ったことより、現状について怒っているのだ。
凄い、と思った。右腕が折れているのに、他の人のために怒れるなんて、私には難しい事を、やってしまったのだ。
その後も、私や麻衣のことを、恐れているようには見えなかった。自分で言うのもなんだけど、私達に宿っているのは、破壊の力―――普通の人なら、距離をとりたがると思う。私なら、多分取っていた。
《ジクス》を出して、差し出しても、拒絶することはなかった。それが、少しだけ、嬉しかった。
少しだけ、脅えているのは、まぁ、仕方ない。生まれて初めて触るわけだし。
ただ、こんな事もあった。
『あ~、島崎さん? 何なら、俺少し前に行こうか?』
それは、私にとっては衝撃的だった。彼は、他の人と違って、距離をとる人ではないと、勝手に思い込んでいたのだ。
確かに、思い込みだった。何か色々言っていたけど、失望した私には届かなかった。
でも、彼は距離をとった。だからだろうか、勝手に期待して、勝手に失望した私の口から、こんな言葉がこぼれてしまったのは。
「一緒にいるのは、おかしいの?」
――――ああ、私のダメな性格が出てしまった。小さすぎて、彼には聞こえていない。
ダメだ。聞きたい事は聞かないと、絶対に後悔する。もう何回も、後悔してきた。
『は?』
いきなり返された、その言葉に、私は意をけっして叫んだ。
「一緒にいるのは、おかしいの?」
ああ、ダメだ。本当に変わっていない。叫んだぐらいのつもりだったのに、声はほとんど大きくなっていなかった。
でも、彼は、聞こえていたらしい。慌てて首を振ると、こういった。
『いや、一緒にいるのはおかしくないけど、ほら、恥かしくないのかって話だよ。こ、恋人とか誤解されるんじゃないか?』
………確かに、彼と言うより、他の人から見れば、これは、その、いわゆる、その、こいびと、に見える、かも? あ、ああ、ちょ、と、予想外だった。
顔が赤くなるのが、分かる。その私の顔を真っ直ぐ見て、彼は言った。
『別に、一緒にいるのはおかしくないさ。島崎さんが気にしなければ、俺は気にしなんだけど』
そう、言ってくれたのだ。
凄く、嬉しかった。素直に、そう思えた。
多分、彼には見えていないだろう。嬉しくて、恥かしくて、顔なんか見られない。
でも、こういえる。
「なら、大丈夫」
大丈夫。問題無い。
麻衣だけじゃなくて、私のことを気に掛けてくれている彼を、助けたいと思った。
「行こう?」
そう、彼に語りかけたのだ。
まだ、話していないことはたくさんある。口下手だけど、話せればいいと、思う。
助けたい。そう、考えていた。心の奥底で、決めたのだった。
ただ、その思考の隅で、小さく痛む胸の痛みだけは、無視して。
「――――じゃあ、二人は同じ中学なのか。能登半島出身なのか?」
「ええ。あの辺からこっちに来るのも、珍しくないし」
出身地の話をしながら、高天ヶ島駅前のほうに歩いていく。学区エリアに程近く、同じ制服を着た生徒が、ちらほらと見えた。
其れよりも多いのは、スーツ姿の大人達。オフィス街として発展してきた此処だが、やはりと言ってはなんだが、学生向けのお店も多い。
駅前に在るビル街の一角にあるゲームセンターも、主に学生向けだった。
入り口に足を踏み入れた瞬間、迎えるように耳を叩く、一緒に入った琥河や島崎も眉をしかめる程の大音量のゲーム音。
クレーンゲームの筐体を見渡しながら、英光は二人に尋ねた。
「んで? 琥河と島崎は何が得意なんだ?」
その英光の問いかけに、琥河は怒りの表情に半眼で、島崎は周りのクレーンゲームの商品に目を向けながら、答えた。
「英語以外」
「………車の運転」
琥河の発言は予想していたが、島崎の言葉は意外だった。思わず見返してしまったが、島崎は顔を横にしてみようとしない。その行動は、恥かしげにも見えた。
「んじゃ、まず車のところ見に行くか」
レースゲームの筐体は二階にあるようで、ゲームセンター中心の階段を登っていく。オンラインゲーム等やメダルゲームなど、筐体が大きいものが置いてある一角に、レーシングゲームの筐体が並んでいる。
そこに置いてあるのは、家庭ゲーム機にも発売された、名の知れたレーシングゲームだ。実機に基づいて開発されているそうで、リアルな操作感が売りである。
其れを指差しながら、英光は島崎に振り向いた。
「ほら、あれがオススメだ。運転手の人からも本物らしいって評判なんだぜ」
その筐体を見た瞬間、島崎の眼が輝き始めたのが、わかった。
子供のように目をキラキラさせながら、ふらふらとした足取りで筐体に向かう島崎。その背中を見ていた英光へ、琥河がひそひそ声で話しかけた。
「でも、いいの?」
「は? 何が?」
島崎が、百円玉をコイン投入口に入れた後、視線を真っ直ぐ向けた。彼女のほうに向かう英光へ、琥河が呆れたように口を開いた。
「芳乃、本気になると力加減ができないわよ?」
「え?」
琥河の説明の意図に、反応するよりも早く、レーシングゲームが始まり――――。
ガキンッ。
――――本来、聞こえない筈の音が、鳴り響いた。
視界には、筐体についているハンドルを、本来ありえない場所で握っている島崎の姿。ほんの少し間が空いて、筐体から鳴り響くサイレンの音。
「ね?」
どうだ、といわんばかりの琥河の言葉に、英光は言葉をなくしていた。その英光へ、島崎が顔を向ける。
「………」
泣き出しそうな島崎の視線を受け、英光はがっくりと、肩を落とすのであった。
結局、筐体の方が劣化していた、という事で、島崎にお咎めは無かった。女の子がハンドルを壊すほどの膂力を持っている、など、普通に考えてありえないからだ。
店員に何度も頭を下げながらその場を離れた後、英光は口を開いた。
「ああ、その、ごめんな? 島崎」
「別に、いい」
隣を歩きながらもしょんぼり、と肩を落としている島崎に、知らなかったとはいえ、オススメしてしまった英光も罪悪感を覚えていた。特に島崎は顕著で、いつもの猫背が更に丸まっている。
その二人へ、やれやれと首を振った琥河が、追い討ちをかけた。
「ま、芳乃もまだまだね。私はそんなこと無いけど」
「………おいおい、なんか凄くいやな予感がするぞ?」
英光の胸中に、冷たい何かが落ちてくる。何となくだが、何かの前振りのようにも思えたからだ。
その琥河は、辺りを見渡しながら、英光に言った。
「私は、あれやってみたいわね」
お目当てのものを見つけ、琥河の指差した先には、ゲームセンターの騒音を生み出す筐体の一つだった。
いわゆる音楽ゲーム。画面には縦にいくつも分かれたものがあり、その間にボタンが配置されている。音楽に合わせて画面の上から降りてくる色のボタンを押すと、その音楽に音が上乗せされて、点数が加算されるのだ。
必要なのは、音感と記憶力。流石に英光は、琥河の音感や記憶力が如何程か知らないので大丈夫か? という見解だったが、付き合いの長い島崎は違うようだった。
まだ死んでいる眼を指先のほうに向けると、淡々と告げた。
「無理」
「即答ッ!?」
島崎の切り捨てるような言葉に、英光が驚いた。相変わらず眼は見えないが、琥河の肩に触れながら首を左右に振るその態度だけでも、本当に無理だと思っているようだ。
「島崎がそういってるんだから、諦めたらどうだ?」
島崎が言っている(やっている)事は、基本的に間違っていないという見識なので、素直に止めるように促したが、琥河は断固とした態度で首を振った。
「私だってできるわよ! っていうか、何で芳乃はとめてるの!?」
本当に身に覚えが無いらしい琥河は、島崎に説明を求める。聞かれた島崎は、なんの躊躇いも無く言い放った。
「だって、麻衣、音痴だもん」
「………そりゃダメだ」
音痴が駄目と言う訳では無いが、何となく琥河は下手なイメージがあるので、英光も同調してしまった。その島崎と英光の態度を見て、琥河は肩を震わせた。
「ば、馬鹿にまで馬鹿に――――ッ」
しばらく震わせた後、バッと顔を上げた彼女は、怒り心頭のまま筐体のままに歩き出した。乱暴に投入口へお金を入れると、さっさとゲームを開始する。
「おい、大丈夫なのか?」
「多分、ダメ」
島崎に声を潜めて尋ねるが、すぐにダメと言う返答が来る。流石にイージーモードなら大丈夫だろうと考えていると、島崎は言葉を続けた。
「麻衣、難しいのを選ぶし―――」
(………ああ、ハードモード選んでる)
視界に映る琥河の画面では、最難度を選んでいる。しかもボタンの数も、選べることができる最大数を選んでいた。
「説明書見ないし、なにより―――」
(さっさと初めたしな)
画面で、チュートリアルを受けるか、という質問にさっさとNOを選んでいた。そして、選曲画面に移ると、カチャカチャと選曲している。
そこで、島崎がため息を吐きながら、最大の欠点を告げた。
「曲名なんて、知らないもの」
「あ、それはダメだ………」
視界では、選曲画面で硬直した琥河の姿が、映っていた。
しばらく悩んだ後、適当な曲を選んだらしく、曲が始まる。
一瞬の静寂の後、画面上から大量に落ちてくるボタン指示。一瞬だけ怯んだ琥河だが、すぐに笑みを深めた。
「! 成程ね!」
琥河が理解した瞬間、反射神経に頼って音符を消化していく。
実を言うと、これはあまり良い手段では無い。タイミングを度外視しているので、点数の最大値は減るからだ。
(つうか、元々素人がハードモードやってるってだけで論外だよな)
次々と落ちてくる音符を消化している琥河を見ながら、英光はそんなことを考えていた。
『クリア!』
ゲーム画面に、クリアの文字と合計点数が表示された。どうやら、ギリギリ合格ラインを超えているらしく、もう一曲選べると画面に表示されていた。
琥河は、クリアできたことに満足しており、満面の笑顔を浮かべていた。「どーよ!」と島崎を呼び、誇らしげに報告している。
(まぁ、あそこまで貶されてクリアできれば、嬉しいよな。………最後まで演奏できればクリアのゲームだけど)
「あ、コレ聞いたことある」
英光の神妙な眼差しを見ていないのか、はたまた聞いたことの在る音楽を探していた琥河が、ある曲で止まった。決定ボタンを押していた所為で、すぐにスタンバイ画面に移行する。
座って画面が見えていない英光には、当然どんな曲か判らない。立ち上がりながら、声を掛けた。
「お? なんだ?」
表示された文字を見た瞬間、英光は言葉を失った。
『天国と地獄』。
あらゆる音楽ゲームで、難しい楽曲に属されることの多い、アップテンポのその曲に、琥河は新たに手に入れた自尊心を胸に、叫んだ。
「さ、行くわよ!」
無論、失敗したのはいうまでもない。
しかし、琥河は満足げな笑顔を浮かべ、額に流れた汗を腕でぬぐいながら告げた。
「いやぁ、それなりに楽しかったわね♪」
結果はどうあれ、一回はクリアできたからか、琥河は満足そうだった。
一方の英光は、辺りの視線を一身に集めていた琥河の近くに立っていたので、人の視線が痛く、疲れていた。
「大丈夫?」
その様子を見ていた島崎が、気を使うように尋ねてきた。
(ああ、島崎は本当に優しいやつだなぁ………)
感動し、ほろりと何かが零れ落ちそうになる。琥河と島崎を足して割れば丁度良い人間が出来るのでは無いか、と一瞬考えてしまったほどだ。
ふと、思い出す。
「そういや、ゲームできてなかったよな? 何かないかね」
「え? あ、私は――――」
小さな島崎の言葉を聞き流しながら、英光は周りを見渡した。目に付いたゲームを見て、島崎に提案してみる。
「じゃあ、あれなんかどうだ? 楽しいかもよ?」
英光が指差したのは、いわゆるガンシューティングゲームだ。銃の形をしたコントローラーを使って遊ぶもので、英光が指差したのは命中率も表示されるものだった。
ちなみに、銃の種類もいくつかあり、ハンドガン、スナイパーライフル、バズーカと、USBケーブルで付け替えることで好きな武器を使えるのだ。
島崎はちょっとだけ戸惑っていたが、恐る恐ると言った様子で筐体に近づくと、説明書を読み出した。興味を持ってもらえた、と判断して、英光は安堵の息を吐く。
「へぇ。日本軍監修ねぇ。結構頑張ってるんだ」
琥河が眼をつけたのは、筐体が待機中に流れるスタッフロールの、協力監修のところだった。
琥河の言葉に、英光は苦笑しながら答えた。
「まぁ、軍は認められてナンボだしな。未だに日本軍があるのはおかしいとか言ってる人もいるが、『フォディス』とやら以外にも、まだまだ脅威は在るしな」
日本は確かに平和だが、世界全てが平和なわけではない。内紛だけではなく、侵略戦争を仕掛けている国まであるのだから、軍の整備を進めるのは間違いではない。
しかし、長い平和が続いた所為で、世界情勢も知らずに軍縮を叫び続けている人もいる。
英光がそんな事を思い出していると、琥河があきれた物言いで口を開いた。
「民間軍事企業もある中、軍隊減らしてどうするのかしらね? 下手すれば、火種になるでしょうに」
そこで、肩をすくめた。
「ま、リアリティを求めるのはいいことだよな」
そういっている英光の手に、引っ張られる感触がする。視線を向けると、スナイパーライフルとハンドガンを繋いだ島崎が、英光の裾を引っ張っているのが見えた。
彼女は、ハンドガンを英光に差し出すと、口を開く。
「一緒に、やろう?」
その言葉に、英光は眼を見開きながらも、左手で其れを受け取った。
思わず視線を琥河に向けてしまうが、彼女は素人目でもはっきりと判るほど驚愕しているのを見て、英光は更に混乱した。
(え? 珍しいのか!?)
島崎自身は英光にハンドガンを渡すと、さっさとコインを投入口に入れていた。慌ててゲーム画面前に立つと、ゲームが始まる。
画面に映るのは、謎のウイルスにやられた、凶暴なモンスターの群れ。
スナイパーライフルを模した銃を構えながら、彼女は口を開いた。
「先に進んで。撃ちもらしは、任せて」
「お、おう!」
英光が思わず動きを止めたのは、ゲームに驚いたわけでは無い。
初めてかもしれない、本当に楽しそうな島崎の声、それに驚いたのだ。本当に嬉しそうなのか、顔を確認する前に、ゲームが始まってしまった。
それに、英光は様々な考えを頭から消すと、ゲームに集中する。
「ああ! 上上! 左も!」
琥河の指示に苦笑しながら、ゲームを楽しむのであった。
「いやはや、青春だねぇ~」
ゲームセンターに在る防犯カメラから送られてくる画像を見て、樋上は楽しげな声を上げた。
自身の執務室、頑丈な机の上にパソコンを広げている。その大きな机の上には書類の束と冷めかけたコーヒーカップ、電話が載っていた。
部屋には、樋上だけがいるわけではない。補佐官のクリスは、多くの書類を胸に抱きながら、彼の机に歩み寄っていた。
「少佐。遊んでいないで、この書類に眼を通してください」
「いや、コレも仕事―――ああ、了解了解、見るよ」
パソコンはそのまま、彼は渡された書類に、眼を通した。
渡された書類は、丁度画面に映っている古川 英光の写真が張ってあった。調査報告書の冒頭のページだというのはすぐにわかったので、ページを捲る。
そこには、今までの学校生活を纏めた内容が書いてあった。部下に頼んだものだったが、思いのほか早く出来上がったことに、樋上は素直に驚いた。
「早いな。昨日頼んでもう出来たのか」
樋上が命じたのは、英光の経歴調査だった。とはいえ、難しい事ではなく、学校の成績や書類を纏めたものだった。下手をすれば一週間かかる可能性もあるそれを、一日で終わらしたのだから、驚くのも当たり前だ。
しかし、クリスは肩をすくめると、事も無げに告げた。
「当初から調査を諜報部に命じていましたから。本人もそれほど目立っていないようなので、調査はすぐ終わりました」
「ああ、成程。確かに、「特に目立つところ無し」なんて書いてあるしな」
この「目立つところ」というのは、言論や行動にどんな思想が混じっているか、相対的に見るものであり、ほとんどは彼自身が発した言葉から浮かび上がらせた、人物像である。
結果は、「目立つところ」なし。つまり、自身の言葉を使っているのであって、特定の宗教や団体に属していない証明である。
其れを見て、樋上は何かを思い出したのか、苦笑を浮かべると、呟いた。
「何やってんだよ!? だってな。久し振りに怒られたよ」
「そうですね」
そういうクリスの顔にも、樋上の顔にも、同じ感情の混じった色が見えた。
武力行使を認められている日本軍に対して、直接ああいう物言いをする者は、少なくなった。それは、信用ともとれるものではあったが、この二人には実際に、組織の助長を促しているように感じていた。
微笑ましい表情に、宿る懺悔の色。複雑な表情を浮かべていた樋上は、ため息を吐きながら告げた。
「自分なりの意見を持っているっていうのは、好感が持てるな。目の前に軍人がいて、銃身向けられても、自分の意見を変えなかったし」
クリスに向けられたのは、ニヤニヤとした笑顔。その上司の顔を見て、ため息を吐きながらもクリスは同意した。
「そうですね。頑固、というものでしょうか?」
「いやいや、向こう見ず、っていうんだよな。ま、危険だけど」
そう言いながら、樋上は卓上のパソコンへと、再度視線を向けた。
三人はゲームセンターを出て、地殻の商店街を見て回っているようだった。街の監視カメラがその光景を追っているのを見ながら、ふと、思い出す。
「そういやぁ、少年の腕はどんな感じなんだ? 完全に折れてるんだろ?」
樋上の言葉に、クリスは手元にある書類を眺めながら、答えた。
「ええ。しっかりと折れているようですね。ただ、綺麗に折れているので、自然治癒を優先した、と。薬も処方していますので、痛みはありません」
「………そうか」
そう言いながら、樋上はしばらくパソコンを眺めた後、小さく呟いた。
「まさか、な」
小さく鼻で笑うと、パソコンの上を掴み、静かに閉じたのだった。