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第一章 入学



 入学と共に短く切った髪を、撫でる。髪質が柔らかく、細いといわれた其れは、微妙なクセを持って手の隙間を通っていった。

 日に焼けて赤みを持った髪に、眠そうな眼、歪んでいるわけではないが、最低限に整えた眉毛によって野性味を帯びた彼は、長い学園長の話に、欠伸をかみ殺していた。

 それなりに体格の良い身体に纏った詰襟の学生服に、胸に付けられた青いプレート。学年、学科別に色が違うそれには、学年と名前が刻み込まれている。

 高天学園、高等部 普通科 一年B組 古川(ふるかわ) 英光(ひでみつ)。彼のプレートには、そう刻まれていた。

 視界には、同じような背丈の後頭部が、無造作に並んでいる。所々色が違うのは、自分と同じ地毛か、染毛のどちらかだろう。

 一つの学年でも千人近い人間がいるのだから、仕方ない。敷地は大きく、学科ごとに使う建物も違うのだから、節目の式ぐらいしか、全員集る事はないのだ、が。

 その千人近い人間が入る講堂は、はっきり言って町の体育館よりも広い。

 そんなどうでもいいことを考えていると、小さな声をかけられた。

「おいおい、眠そうじゃねぇか。また徹夜か?」

「まぁな」

 適当に言葉を返すと、肘で突つかれる。視線を向けると、人をひきつける笑顔で見ている親友の顔があった。

 プレートに刻まれた名前は、高岡 恭介。英光から見れば、中学からの付き合いである、数少ない友人の一人だ。

 女子にはそれなりに受けがよく、それ以上に男子に受けがいい、そんな男だった。頭もそれなりにいいから、英光に勉強を教えていたりもする。

 この学園に来るにあたって一人暮らしを始めた、珍しい男であった。

 その笑顔を見ながら、英光は言葉を返した。

「ああ。新作じゃないぞ? ただ単に、引越しに時間が掛かっただけだ」

 息子である英光の入学に伴い、この島で新居を購入し、移り住んできたのだ。

 そのことを聞いて、恭介が納得したように頷いた。

「そういや、そうだったな。家族が来てるんだっけ?」

「そうだな………」

 ここ、高天ヶ島は、軍の設備や立地の条件が難しい工場、軍事産業など多くの産業施設がある。交通の便も、東京都に向かって真っ直ぐ伸びている高速新幹線や高速道もあり、問題ない。

 その一介の企業で勤めている父親が、自宅を手に入れたのだ。

 どちらかといえば、遠くから来てアパートを借りたり、寮に入ったりする人が多い中では、珍しいだろう。

 自覚を持っている英光は、苦笑しながら恭介に向き直ると、少しだけ笑みを浮かべ、答えた。

「まぁ、一国一城の主、っていうのは男の夢だろ?」

 英光の言葉に、恭介は笑いながら頷いた。

「そうそう。ま、これからもよろしくな! 相棒!」

 楽しそうな友人の言葉に、英光もああ、と言葉を返した。

 そんな話をしていると、学園長の話が終わり、次は近くの基地にいる司令という立場の人が、教壇に現れた。

 掘りの深い、厳格な顔立ちを持つ初老の男性。紺に統一された軍服に身を包んだ彼に、遠くから見られているだけで威圧される気がしたほどだ。

 その言葉は聞き流していた英光だったが、恭介の言葉だけは、耳に届く。

「日本じゃ此処ぐらいだもんなぁ。軍がいるところなんて」

「そうだな」

 反射的に答えた英光の呟きに、恭介が珍しく眉をひそめた。

「と言っても、実際形だけだろ? アメリカさんと条約結んでいるんだし。憲法で攻める事はできないんだから」

 そういえば恭介は、軍不要と思うタイプだったな、と思い出す。

 世界規模で見れば紛争などがあるが、日本だけで見れば平和だ。テロならば警察が巧く対応しているのだから、安保理条約がある今、必要だ、という声はない。

 今、司令は廃墟エリアの進入禁止と、それに類するものの説明をしている。稀にだが、学園内の補強により、白い外壁が立つことがある、と言うことだ。

 其れによる罰則を説明しているようだが、そのあたりも学生手帳に記載されているので、注意して聞くことはない。町の条例でも、禁止されているのだから。

 とはいえ、軍隊が占める割合は、非常に大きい。法治国家である日本の社会治安は、彼らが守っているのだから。

 たとえば、犯罪者を捕まえるのも、軍隊の下部組織である警察だ。

 しかし、最近では、民間軍事企業から流出した兵器を利用した犯罪も起きているので、警察だけでは対応できない。

 そんなときに相手するのは、軍隊だ。

 日本人の安全を守るのが、軍隊の本質である。それは、危険なものは遠ざけるかできる限り排除するべきだという事。

 それが、廃墟をそのままにしておく理由。ふと、気になってしまった。

「なんで廃墟をそのままにしているんだろうなぁ」

 英光が、そう呟く。その呟きに、恭介は興味なさそうに答えた。

「バブル崩壊が響いてるって聞いたけど? ああ、後、演習とか」

 そういえばそんなことを言っていたなぁ、等と思いながら、睡魔によって思考が鈍り始めていた耳に、他の生徒の言葉が聞こえてきた。

「――まじで? コガとシマザキが一緒なんかよ!」

「そうなんだよ!」

 潜められた声だが、其れは左のほうから聞こえてきた。三つか四つ先の席なのだろうが、不思議と其れは耳に残ることになる。

「人殺し―――」

(人殺し?)

 それ以降、声は聞こえてこなくなった。声を潜めたのか、それとも回りの雑踏が煩いのか、どちらかは分からない。

(雑踏?)

 辺りが騒がしい事に気がつくと、すでに式は終わっているらしく、前のほうから立ち上がって講堂を出て行く様子が窺えた。

その列を眺めながら、英光は聞こえた言葉を、心の中で反芻するのであった。

 ポケットの中を探りながら、英光は辺りを見渡す。

 高天学園は、大きく分けて三つのエリアに分けられる。それぞれ総面積10キロもあるので、かなりの敷地があるのだが、生徒は飽和状態にあるらしい。

 普通科に割り当てられた校舎は、五階建てのビルに匹敵する高さを持つ、三階建ての建物だった。入学式が行われていた場所は、それなりに離れているので、移動が面倒では、ある。

 個人に割り当てられたのはロッカールームにあるロッカーだけであり、教室は頻繁に変わることが多い。アメリカから色濃く影響を受けたのも、この学園の特徴だろう。

 とはいえ、それは一年生後半からの話であり、前半は共通のクラスで行動することが多い。

 恭介と適当に話していると、目的の場所にはすぐ着いた。

 割り当てられた一介の教室で、英光は自分達のクラスメイトと顔を合わせることになった。

「はい、では皆さん。こんにちは。皆さんの担任になる、倉橋(クラハシ) 宗男(ムネオ)です。半年の間ですが、よろしくお願いします」

 白を基調とした教室は、大学の講義室のように天井高く、五十人近い人間が座っても余裕があるほど長い机と椅子が列を成していた。

 英光と恭介は、廊下側の中段付近。

 他の生徒はそれぞれ思い思いの場所に座っているようだが、まだグループのようなものはできていなかった。

 教壇では、担任の倉橋が、自分の名前を書いた黒板を、上にあげている。

 やがて、言葉を続けた。

「席は自由に座ってもらっても構いませんが、煩くしないように。せっかくですので、それぞれ自己紹介をしていただきましょうか。それと後日、クラス委員を選出しますので、よろしくお願いしますね。ああ、それと、今後はまた違う教室を使いますので、地図を確認しておいてくださいね」

 記憶に残る微笑をむけながら、そう宣言する担任の言葉により、名簿の上から、自己紹介が始まる。

 陽気な人、引っ込み思案な人、騒がしい人、それらはその人々の性格を表しており、本当にいろんな人がいるんだなぁ、と関心を持つことになるのだった。

「古川 英光です。これからよろしくお願いします」

 名前を覚えながら、簡単に自己紹介を済ませる。趣味も言うべきかな? などと考えたが、恭介がいるから構わないだろう、と思う。事実、恭介とのつながりがなければ、他の人と話すこともないのだ。

(少しは、関係を持とうと思うんだけどなぁ………)

 何時からか、外から見れば引っ込み思案になってしまった自分には、隣の恭介が眩しく映っていた。興味がないわけではないのだが、どうしてもしり込みしてしまうのだ。

記憶に残ったのは数人の自己紹介だが、やはりお気楽な自己紹介が記憶に残るようだった。


 しかし、その二人は、違った。正確に言うと、クラスの一部から、奇妙な空気がわきあがったと言っていい。


 立ち上がったのは、窓際の中腹、つまり英光の反対側に座っていた女の子だ。

 亜麻色の、大きな三つ編み。鋭い眼光は他人を威圧するようなもので、小柄なものの、その威圧感は英光にまで届く。

 化粧気のない、いうなれば雪の結晶のような肌は、綺麗ながらも冷たい印象を与えている。その冷たさを切り裂くような眼光が、クラスを貫いた。

琥河(こが) 麻衣(まい)。よろしく」

 自己紹介は、それだけ。クラスで一番少ない言葉だが、反響は大きいようだ。

 ざわめく中で、順番を無視して隣に座っていた女の子が立った。

島崎(しまざき) 芳乃(よしの)です。………よろしく」

 黒髪、短髪。さっきの琥河は威圧的だったが、こちらは回りに対して警戒心がないというか、興味がなさそうな様子だった。

 線の細い顔立ちだが、それが彼女の雰囲気を増徴させていると言ってもいい。最低限の化粧は行っている様子だったが、それでも自己主張するようなものではなかった。

 これも自己紹介の言葉が少ないとはいえ、反応は大きかった。ざわめく教室に、倉橋の注意が響き、しばらく騒然となった。

「………なんか、愛想悪いよな、あの二人」

 恭介の言葉に、同意を込めて頷く。大体の反応が、「あいつ何様だ」という不快な反応だったが、ごく一部には恐怖のような気配も、感じ取れた。

 そこで、講堂で聞いた言葉を思い出した。


『――まじで? コガとシマザキが一緒なんかよ!』

『そうなんだよ!』

『人殺し―――』


――――『コガとシマザキ』『人殺し』

 まさかな、と鼻で笑う。本当に人殺しなら、こうやって大手振っていられるわけが無いし、何より非現実的だ。小声から聞こえる単語から察するに、中学まで同じクラスだった者からの声みたいで、誰も聞きなおさなかった。

 とはいえ、大きな反応は其れぐらいだ。

 他の人に自己紹介が移り、話題は消えていった。彼女達も、今はもう周りのほうに視線を向けていた。

 ただ、少なくともその二人の目に。

 回りに対する興味は、全くなかった。





 放課後、恭介が部活の下見に行くということで、噴水広場で別れた。

 やる事はない、家族が帰ってくるまで時間がある、ということで、少しだけ時間を潰そうと、辺りを見渡す。学園の大きさに見合った図書館があるのだから、そこで時間を潰すのもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、街路樹に隠れた校舎を見上げた。

 まだすぐに暗くなる時間帯、夕闇に染まる校舎は、いつも見上げる校舎とは、また違った趣を感じることがある。

 ふと、屋上に誰かいる事に気がついた。正確に言うと、屋上にいけるようになっていることに気がついた、と言ったほうが正しい。そういえば、二階より上には行っていなかったなぁ、と胸中でつぶやく。

 逆光なのか、真っ黒な影だったが、かなり背が低いという事は、女子だと当たりを付けることはできた。

 女子生徒同士で、何かやり取りをしているのだろうか、両手を挙げて何かポーズを取っている。楽しいのだろう、その身振りは大きくなり、長い手が大きく半月を描いていた。


――――ゾクリと、背筋に寒気が走った。それと同時に、身体が一瞬だけ浮かぶような感覚も、襲ってくる。


 気付いてしまったのだ。それの、異変に。


 まず、影だと思ったのは、間違いだった。それは影ではなく、黒い存在、そのものだということだ。

 逆光で黒く見えるのではない。元から、黒い色で何度も塗りつぶされたような、漆黒の色だったのだ。

 なにより、その腕は、明らかに長いのだ。そのまま立ち上がったとき、両足と両手が地面につくぐらいに長い。

 そして分かった事は、その影はこちらを見ているということだ。

 大きく開く、赤い半月。それが口だということが分かった時に、揺らめいた。

「ッ!!!」

 それを見た後、再度屋上を見上げたときには。


 その影は、なかった。


「――――は? ………幽霊、か?」

 生まれてこの方、心霊現象といわれるものに出会ったことがないが、あれはそういうものなのだろうか?

 何となくだが、違う、と思えた。実在しないもの、というには余りにもはっきりと知覚していたからだろうか。

しかし、現実味がない、という違和感もあった。突然現れ、突然消えたのだから、現実に存在するモノと思えないのだろう。

二つの矛盾を考えさせる存在に、寒気が走った。

 可能性は、他にもある。程度の低い悪戯のようなもので、両手を棒で長く見せ、突然消えたのは、屋上の縁に伏せて隠れている、というものだ。何故やっているのか、という疑問もあるが、考えられるものは其れぐらいだろう。

 と、色々と考えていると、再度二人ほど、屋上に現れた影があった。

 遠くだから、それが誰かはわからない。制服から女子だということはわかるが、ネームプレートを見なければ何年生か解からないのだから――――。

 そこで、英光は気がついた。

「分かるわけが、ないだろ、普通………」

 ぞっとした。

 さっき、屋上にいるのが誰かわからない状態だったといったが、今、彼女達を見てみれば、服の色までしっかりと解かるぐらいは、明るいのだ。目はよいといえないが、それでもこの距離で服が真っ黒だと見間違えるほど、悪くはない。

 それどころではない。最も根本的に、前提が間違っていたのだ。

豆粒ほど小さい者が分かるわけ、ないのだ。ましてやそれが、二人の女子なんて、この距離で分かるはずがない。

自身の眼に、恐怖した。

 そして、今も、恐怖している。

 服の色は分かるが、顔が誰だか分からないはずのその顔が―――見えてしまったのだ。

「こが、しまざ、き?」

 あり得ない、あり得ないことだが、まるで双眼鏡を覗いているように、はっきりと見えたのだ。

凛と力強い顔立ちの琥河 麻衣と、他人に警戒心を向ける島崎 芳乃の二人。

 『人殺し』と評された二人が、こちらを見ているのだ。そして、こちらと確実に、英光と視線を合わせていたのだから。

 英光は、いつの間にか落としていたバッグを拾い上げると、駆け出した。

 闇が、迫っている気がした、からだ。慌てて駆け出した英光は、気がつかなかった。

 鞄から生徒手帳が、落ちていることに。





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