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第二次世界大戦

 HDの肥やしになっている作品デス。構成から何まで昔に書いていたのを今改訂して載せていきます。

 

 正義の味方を目指し始めたのは、いつだったか。どうしてだったか。

 時期は、幼稚園に行っていたころだったと思う。

 どうしてかは、覚えていない。どうでもいい理由ではなかったのだが、今の自分では恥ずかしすぎて、まっすぐ言えないのが原因だろうか。


 しかし、それでも。


 殴られてボコボコに膨れ上がり、狭くなった視線の向こうに広がる空を見ながら、俺こと古川 英光は、そんなことを考えていた。




 第二次世界大戦。


 アメリカと日本の戦争開始により全世界に飛び火したその戦争は、唐突に終戦を迎えることとなった。

 第二次世界大戦中、1943年 11月 23日。


 『日本大震災』。


 マグニチュード10以上、震度測定不可能と言う未曾有のエネルギーを持って、戦争は終わった。正確に言うのであれば、日本は戦争を継続できなかったと言っていい。

 被害にあったのは、主に日本海近海の周辺。もっとも大きな変化としては、新たな島の出現、という事になるだろう。

 能登半島北部、佐渡島北西の僅か百キロ先に、突如島が生まれたのだ。

 全長150キロを越える島国。其れの出現に伴う津波により、能登半島、佐渡島、新潟県海沿いなどは深刻なダメージを負い、又、地震により機能は麻痺した。

 無論、東京などの主要都市も、大打撃を受けることなり、もはや戦争継続は不可能だった。

 其れにより、日本はアメリカに降伏し、時代は進むこととなる。

 1952年に平和条約を結び、戦争は終わった。そして、新たに生まれた島は様々な問題を呼び込んだが、最終的には日本の領土となった。

 島の名前は、『高天ヶ島』と名付けられ、日本軍はそこに配置されることになった。

 1963年から1978年にかけて島が整備され、北の警戒線として軍が配備、発達していった。

 やがて、世界が平和になり、日米安保条約を結ぶことにより、軍縮が進み、そこは第二の東京として、成長していくことになる。


 1988年、戦争の傷跡が隠れ始め、日本の地位と発言力が回復した頃、再度、地震が起きた。

 『高天ヶ島大震災』。マグニチュード6.7、震度八という大地震により、多くの住民が亡くなり、日本軍はほぼ壊滅した。

 幸い、バブルの頃を迎えていたことと、全世界の救援もあり、復興は凄まじいスピードで進み、1996年には、その機能を取り戻すこととなった。ただし、島の三分の一は未だに復興されず、閉鎖され、日本軍の実地演習に使われることとなる。

 それ以降、日本軍は他国を攻めることは、無かった。中立国として自国のGDPを増強し、世界でも有数の国家となる。

 そして、日本軍は自国の防衛組織として再編成された。街角に立つ警察の上位組織も、軍隊なのだ。

 世界的に見れば平和な時代が進んだその世界で、若干の軍縮が進みつつも、日本最大の基地がある、「高天ヶ島」にて、物語は始まった。

 否、とっくの昔に、始まっているのであった。




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