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目玉鬼  作者: 此糸
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〇二

 もどかしさを、ずっと感じていた。あの子がいないのにそれを是とするあいつらに。

 何の得もない研究をしてどうするのかと、ただでさえ片目のままのせいで長くはない命をそんなくだらないことに費やすのかと、嗤う奴らは多かった。すぐ傍に番がいるのに目玉を奪わない、現実主義者とは正反対の、夢見がちの幻想依存者だと。

 夢を、みている。ああ、認めよう。ずっとくだらない幻想にしがみついて、みっともなくひたすら足掻いている。そんな馬鹿な男に付き合って、自分たちを風習を、それこそ生きてきた今までを否定するような研究に付き合っている「彼女」は一体なにを思っているのだろう。

 流石に徹夜をしすぎたのか、書いた文字が視界のなかでぐんにゃり歪む。顔をしかめつつも目頭を揉んで、映る光景の中ふと女の茶髪が揺れる。きっと番の彼女だろう。こんな自分に付き合わせて、本当に悪いと思っている。

 ――もしも、があったら。終わりのときが近づいた、そのときには、彼女に目玉を託したいなんて。元も子もないことを考えている自分がいることを知ったら、彼女はなんていうのだろうか。なんとはなしに、聞いてみたくなって。舌に音を乗せようとしたら、その前に、彼女のふんわり翻るその茶色い髪のように柔らかに、頭を撫でられて。耳元でそっと囁く声が聞こえた。


「無理はせずに、気を付けて、ね。身体を壊したりしたら意味ないんだから」


 ひどく耳に馴染む声に釣られるように、瞼が下に降りていく。もう少し、と思っていたのに、その音があんまりにも優しくて、暖かで、どこか懐かしさに満ちていたから。

 「おやすみなさい」と声が聞こえる。おやすみ、と今度こそ、言葉は音として紡がれたかは定かではないけれど。きっとしあわせなゆめがみれるだろう、と何の根拠もない確信をして、ふつりと意識は途切れた。




 こんこんこん、と扉を叩く音で意識が浮上した。いつもならばゆっくりと像を結んでいくはずの視界は、急に飛び込んできた光で眩ませられた。普段なら薄暗い部屋の中だが、先日破壊されたせいで開いた穴から陽の光が差し込んでところどころが眩しい。辛うじて外枠だけ何とか修繕したものの、内装はまだまだひどいものだ。資料に至っては一部は復元なんて不可能だろう。かといって、復元可能な範囲だけでもその復元作業がまたなかなかの労働量ではあるが。溜息をつきたくなるどころではないこれからの予定を考えていると、再びこんこんと扉から音がする。どうやら帰りそうにはないようだ。誰だ、と来そうな相手の顔を思い浮かべながら扉を開く。にこにこと胡散臭い笑みを浮かべて、赤い髪と目の男が立っていた。


「ああ、やっぱりいらっしゃったんですか」

「何か用か」

「差し入れですよ。五十鈴さんが心配してらしたので、栄養を摂らせようかと思いまして。台所も吹っ飛んだんでしょう?」


 にこにこと、男は笑って料理の皿が入っているだろう籠を差し出してくる。お代はちゃんと支払ってくださるでしょうから今度で結構ですよ、と。


「…気遣いは結構だ。帰れ」

「帰れと言われましても、貴方が食べなかったら誰が食べるんですかこれ。勿体ない」


 人に出せる程度にはちゃんとした出来栄えだって、貴方もご存じでしょうに。そういう赤い男が確かに料理の腕前が優れていることは知っている。だが、しかし。


「一度この世のものとは思えないほど赤い皿があったが」

「あれはうっかり自分用のと間違えたんですよ」

「何故お前はあれを美味そうに食べるくせに味覚破壊が起こっていないのか非常に私は不可解でならない」

「あれだってちゃんと美味しいんですよ?辛みの中にえもいえぬコクと風味があって」

「辛すぎてそんなものを感じているどころではないと思うが」

「修行が足りませんね。ああ、あんなにも美味しいのに食べられないなんて…」


 憐れむように見つめられて、不機嫌さを隠す気もなく相手をねめつけた。

正直別にあんな赤い物体食べたくない。真面目に。心底。


「ともかく、もう作っちゃったので受け取ってください。食べたくないなら五十鈴さんに渡してくださいよ」

「………」

「そんな嫌そうな顔しなくてもいいでしょうに。ちゃんと確認しましたって」

「別に、お前がまたあの地獄絵図を持ってきているだろうと疑っているわけではない」


 地獄絵図…と呟きながら、心底解せぬという顔をしている目の前の男は、赤い髪と赤い目を持っている。

 あかい、りょうめをもっている。

 あの子とおなじ、赤い瞳をふたつの眼窩に宿している。


 今にも口をから出てきそうな言葉を無理矢理飲み下す。浮かんできた問いかけをすることは無意味だ、目の前の赤い男が答えたところで、それが真実が嘘か見抜く手段は持ち合わせてはいないのだから。

 そう、現状維持でいい。全ての材料が揃ったら、そのときは。


「あ、れ?藤男さんどしたん?今ちょっと悪いけどおもてなしはできそうにあらへんのやけど」


 明るい声が良好とも険悪とも言い難い雰囲気を切り裂いた。男二人の視線がそちらに向くと、いくつかの果物を抱えた茶髪の女が立っている。改めてにこりと笑みを貼りつけて、赤い男は女に籠を差し出した。


「いえいえ、流石に事情は耳にいたしましたので、お邪魔するつもりはなかったんですよ。ただ、調理場が破壊された状況だとまともなものを食べるのも難しいだろうなあと思いまして、差し入れに」

「わあ!貰ってもええん?よかったわぁ、アキトはどうにも根を詰めがちでなー、休ませるのも一苦労やったから助かるわぁ」

「五十鈴」

「アキト、あんま藤男さんと仲よーないのは知っとるけど、困ったときはお互い様やん?有難く貰っといたらええんちゃうん?」

「………」

「と、いうわけで。有難く貰っときます!お皿はどうしとけばええんです?」

「いやあお見事です五十鈴さん。お皿はそうですね、後々通りがかったときに受け取りに来ますので、洗って籠に詰めておいていただいても?」

「はいはーい」


 楽しげに話す番の彼女と赤い男を見ていると苛々する反面、どうしようもない不安がよぎる。もしかしたら――その続きを、胸中でも言葉として形作ったことはないが。

 何度も彼女にも伝えようとして、やめていた。比べたことはないが、鬼の男と未だに成っていない己と彼女、おそらく力の差は歴然としている。なにかあったら、こちらに矛先が向く可能性は、零ではないのだ。

 この集落の中で、何百人といるヒトの中で、両手の数で足りる“鬼”。さらにはその中でも赤い目を持つ男。


「そういえばアキトさんは結局何の研究をしてらっしゃるんです?なにか協力できそうなら協力いたしますが」

「別段お前に助けを借りる必要はない」

「まあそう仰るならいいんですけどね」


 飄々と笑っている赤い男がなんなのか、はっきりするまで――それまでは。胸中で蠢くこの感情に、名前をつけて形作ってはいけない。けれど、わかったそのときには――

 静かに静かに奥底で育てられている“それ”を何と呼ぶのか、いつかそれがわかるのか、それすらわからないまま、男は無言で踵を返して扉の向こうへと歩き出した。

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