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男エルフの母乳酒

作者: 紅井くみ
掲載日:2026/10/28

 第八宇宙、Rコール星系、第六惑星『ラテーキ』

 この惑星には、かつて銀河の歴史を根底から覆した、とある伝説が残されている。

 それは一つの文明を滅亡に追いやったとされ、幾千年もの間、数多の知的生命体を狂わせ続けた禁断の存在。

 その名を、男エルフの母乳酒(ちざけ)という。

 しかし、時間の流れと共にそれは御伽噺として語られる程度のものとなった。



 宇宙海賊やゴロツキ達が屯する酒場に、その場に似つかわしくない人影が現れた。

 下品な笑いが立ち込め、子供でも足を踏み入れた瞬間にこの場がいかに危険な場所であるかは察知する事が出来る空気の中、怯む事も無くローブを全身に纏った者がカウンターへと歩いて行く。


「他所もんか? ここは見ての通り、治安が悪い。酒を飲みたいなら他所へ――」

「――『エルフの母乳酒』」


 目を合わせず、グラスを拭きながら適当にあしらおうとするマスターの言葉が、一つの単語によって遮られ、酒場全体の空気が凍り付き、静寂が訪れる。


「お前、今なんつった?」


 マスターは持っていたグラスを勢いよくカウンターに叩きつけると、フードの奥を覗こうとしたその時――。


 バサリ! と勢いよくローブが宙を舞った。

 ローブの下から現れたのは、腰まで伸びる金色の髪を持つ、一見すると女にも見紛うほど端整な顔立ちの男だった。

 しかし、酒場に居る全員が目を奪われたのは、左右に長く伸びた尖った耳。


「ハロウィーンにしては季節外れだな」


カウンターの隅に寄りかかって、一人酒を飲む男が呟くと、酒場全体が再び小汚い笑いの渦に包まれた。


「聞こえなかったか? エルフの母乳酒と言ったんだ」

「聞こえてるさ、お前こそ、その大きなお耳は飾りか?」


一人で酒を飲んでいた男はグラスを片手に近寄ると、その尖った耳を引っ張る。

しかし、その耳は取れる事は無く、頭部の皮膚が突っ張った。


「……お前」

「……エルフだ」


『エルフ』――今度はその言葉に騒めき始める。


「うるせぇ!」


 男がそう一喝すると、酒場は静まり返った。


「……成程、お前がこのゴロツキの親玉か」

「ゴロツキじゃねぇ、俺達は宇宙海賊団ブラドン。俺は船長の『キリシマ』だ」


 キリシマと名乗った男は軽く口角を上げる。


「キリシマ……ジャパンザケの名前か」

「ほぅ、よくしってるじゃねぇか。正確に言うとジャパンショーチューだがな。お前は?」

「……エールだ」

「良い名前だ」


 キリシマは手を差し出すと、エールもその手を伸ばし、硬い握手を交わした。


「まぁ座れよ、エルフ様が母乳酒って言ってんだ。こんなに美味そうな話はない」

「信じるのか?」

「御伽噺は信じない。目に見た物を信じる主義なんでね。何が飲みたい?」

「マスター、カクテルは作れるか?」


 キリシマに促され、エールは席に座ると、マスターに問いかけた。


「こう見えてもそこそこ名の知れたバーテンダーなんだがな、エルフ様は世間知らずだな。何が飲みたい」

「ミルクに草の香りが強い酒を何種か混ぜてくれ。それだけでいい」

「……おめぇ舌ぶっ壊れてるのか? あ?」

「どうやらそれが一番、母乳酒に味が似ているらしい」


 マスターの額に青筋が立ち、言葉に怒気が混ざったが、エールの一言と、キリシマの伸ばした手によってそれが抑えられた。


「まぁ作ってみようぜ、俺も……いや、ここに居る全員分だ」


 キリシマの一言によって酒場が一気に湧きあがり、マスターは渋々酒を作り始めた。


「……あんまり美味くねぇな」

「伝説の酒だから美味いとも限らんさ、それに、あくまでもこれは『似ているらしい』程度のものだからな」

「……違いねぇ」


 エールの言葉に納得したように頷くと、残っていた酒を一気に喉に流し込んだ。


「当ててやろうか。お前、本当にエルフの母乳酒があると信じてるだろ?」

「……それがある場所を知っている。と言ったら?」

「ほぅ……」


 キリシマの目つきが獲物を見つけた狼の様にギラリと光った。


「わざわざこんな掃き溜めに来たんだ。俺に――俺達に用事があって来たんだろ?」

「話が早くて助かる。とはいえ、これだけの大所帯を連れて行くのには難がある」

「……どれくらい必要なんだ?」

「キリシマは何が出来る?」

「宇宙海賊の船長に、出来ない事があるとでも?」


 キリシマの言葉にエールは鼻を鳴らした。




「こいつがお前さんの船か? 随分と古そうだな」

「ガワは古くても中は次世代だ、安心してくれ」


 エールは自身の宇宙船にキリシマを招き入れると、エンジンを起動させた。低い駆動音と共に各種システムが立ち上がり、正面のスクリーンには巨大な宇宙地図が展開される。


「座標はX地点、八万五千二百十五、Y地点-二十一万七十二、Z地点――零だ」

「零だって!?」

「あぁ」


 エールは端末に何かを打ち込みながら目を合わさずに答える。


「ふざけんな! あそこは宇宙の境界だぞ! まともな宇宙船が行く場所じゃねぇ!」

「だからお前を訪ねた」

「……どういう意味だ?」

「宇宙海賊の船長に、出来ない事があるとでも?」

「……この野郎、言いやがったな」


 キリシマは額に手を当て、暫く考え込むと、やがて口元を歪めた。


「いいだろう。行ってやるよ。その代わり、酒が見つかったら半分は俺のもんだ」

「断る」

「なんでだよ!」

「私が飲む分が減るではないか」

「……クソが」


 キリシマは操縦席を引き出して腰を下ろすと、舵を握り、スラスターの出力を一気に引き上げる。


 宇宙船は轟音と共に地表を離れ、漆黒の宇宙へと飛び立った。


「それにしても、本当に零軸(ポイント・ゼロ)にあるんだろうな」

「あくまでも可能性の話だ。零軸は時空が交差する特異点だ。故に時間の流れもこちらより遥かに遅い」

「それで?」

「知っての通り、私はエルフ族だ。だが我が一族は何処へ消えたのか、本当に絶滅したのかは知らない」

「ほぅ」

「故に私が考え出した答えが零軸だ。我々エルフ族は何かしらから逃れる為に零軸にある惑星に移り住んだのではないかと考えた。外の宇宙で数千年が経過しても、零軸では数十年しか経過しない。それならば、我々は追跡者が死に絶えるまで身を隠せる」

「成程、そんで、周囲を宇宙船の墓場が囲ってりゃ、侵入者も少ないってわけか」

「その通りだ、そしてお喋りはその辺にしておかないと舌を噛むぞ。テレポートを使う」

「何!?」


 キリシマが驚きの声を上げると同時に、視界全体が白く明滅し、凄まじい衝撃が船体に響く。


「……無事飛べたようだな」

「転移口(ポート)を先に設置してあるなら先に言え馬鹿!」

「テレポート無しだとどれだけ時間が掛かると思ってるんだ?」

「そういう意味じゃねぇ!」

「よそ見している暇はないぞ」


 ガゴン!


 再び船体が大きく傾く。

 零軸特有の、絶え間なく向きの変わる異常な重力がエールの宇宙船を捕らえた。

 常に変化する重力の犠牲になった数々の宇宙船の残骸が激しく動き回る。

 

「チッ!」

「もう少し耐えろキリシマ、今反重力装置を起動する」

「そんなもん搭載してんのか!?」

「エルフの技術を甘く見るな」


 四方八方移り変わる重力と、それに振り回される残骸を、キリシマは自分の腕だけを頼りに躱していく。


「ぐおおおお! 右! 今度は下か、次は――」


 機体の性能面の優秀さもあるが、瞬時にミリ単位で舵を調整できるキリシマの腕だからこそ出来る。まさに神業だった。


「三……二……一……展開!」


 無数の宇宙船の残骸が迫る中、反重力装置が起動し、突如として船のバランスが安定した。

 次の瞬間、船体を中心に見えない力場(フォースフィールド)が広がり、残骸が左右へ弾き飛ばされる。


「成功だ。これでゴミは勝手にどいてくれる。ありがとう、キリシマ」

「ふぅ、こんなに慎重に舵を取ったのは連邦警察十隻に追われた時以来だな」



 零軸を暫く進むと、二人の視界に一つの惑星が飛び込んできた。

 それは青く澄んだ海と緑豊かな大陸に覆われた、美しい惑星だった。


「あれは……」

「私の耳が反応した……間違いない、よくやってくれた」

「あそこにお前の同胞が居るってのかよ?」

「恐らくな。そしてお前が飲みたがってるブツも」

「そいつは楽しみだ!」


 キリシマはスラスターの出力を再び一気に引き上げると、その惑星への着陸を試みた。



 船が降り立ったのは、青々とした森に埋もれた古代都市だった。

 街路に人影はない。代わりに、崩れかけた建物の奥から微かな信号が届いていた。


「……これは酒蔵の管理装置か? 他にエルフの姿は……居ないか」

「そいつは残念だったな」

「そうだな、ただお前の探している物はあるかもしれないな」


 エールが扉に手をかざすと、長らく沈黙していた酒蔵に灯りがともる。

 棚には無数の空瓶。その最奥に、一本だけ封をされた酒があった。

 色褪せたラベルには、古代エルフ文字が刻まれていた。


『八……六……王……製……乳……酒:男性エルフ』


「何て書いてある?」

「製造元と、年代が書いてあるようだが掠れて読めないな。だが男性エルフとも書かれている、恐らくは母乳酒だろう」

「おぉおお! やったぞ! ついに母乳酒とご対面か!」


 エールから母乳酒の瓶を受け取ったキリシマは、目を輝かせる。


「結局、半分は飲ませてくれるんだろ?」

「……いいだろう、では船に戻るとしようか」


 二人はそうして酒造庫を後にした。


「にしても、男のエルフの母乳、ねぇ……」

「稀にあった事らしい、無論、私は出ないが」

「もしお前から母乳が出た時はお前の身体で造らせろよ」

「……いいだろう。その代わり、同胞を探す旅には付き合ってもらうぞ」

「はいはい」



 再び宇宙船に乗りこみ、この惑星から飛び立とうとしたその時だった。惑星の空が、音もなく裂けた。 


 亀裂の向こうから現れる無数の巨大艦。船体には、この宇宙に存在しない文字が踊っていた。


「翻訳装置を使う」


『告ぐ。伝説の男エルフの母乳酒を引き渡せ』



「……どこの宇宙でも、考えることは同じらしいな」


 エールは深いため息をつく。

 数千年前、エルフ族は忽然と姿を消した。

 果たして、この母乳酒を巡る争いは、かつての伝説と同じように、一つの文明を滅亡へと導くのだろうか。


 それとも、彼らならば――。

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― 新着の感想 ―
母乳酒に人々が狂う理由とは……? このSFの世界でエルフはどんな人種なのか。 彼らが酒を重んじるのはなぜなのか。 謎を多く残したSFでした。続編が待たれます。
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