ひとりだった私が、エルフの森で母になるまで
はじめまして。
初投稿になります。
異世界でひとりだった女性が、居場所と家族を見つけるまでの短いお話です。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
寒い。
目が覚めたとき、そこは知らない森だった。
見上げた空はやけに高くて、息を吸うたびに、冷たい空気が肺に刺さる。
「……ここ、どこ」
声に出してみても、返事はない。
風に揺れる葉の音だけが、やけに大きく聞こえた。
頭が、うまく回らない。
ここがどこなのか。
どうして自分がここにいるのか。
——何も、わからない。
「……日本、だったよね」
ぽつりと呟く。
家の中で、スマホを見ていた気がする。
寝る前、ぼんやりと小説を読んでいた。
異世界転生。
「……もしかして」
自分の手を見る。
——あれ、こんな手だったっけ。
なんだか違う。
指先も、体も、妙に軽い。
こんなに細かっただろうか。
見慣れない指先に、違和感が走る。
「……死んだ?」
「……異世界転生、とか?」
その言葉は、不思議とすんなり落ちた。
「……これから、どうしよ」
考えても仕方ない。
——とりあえず、生きる。
それだけを頼りに、私は立ち上がった。
*
森は、どこかおかしかった。
風が吹くたび、葉の間で淡い光が揺れる。
小さな粒が、空を漂っているみたいに。
昼はまだよかった。
問題は、夜だ。
暗闇の中で、音だけが大きく聞こえる。
遠くで何かが鳴く。
近くの草が揺れる。
すぐそばで、何かが動いた気がした。
「……やだ、怖い」
火も起こせないまま、木の根元で体を丸める。
寒い。
怖い。
眠れないまま、ただ朝を待つ。
——こんなの、無理。
それでも、朝は来る。
何日経ったのかもわからない頃。
吐く息が白くなり始めて、私は理解した。
——冬が来る。
そのときだった。
茂みの奥から、小さな気配。
現れたのは、鹿に似た動物。
額には淡く光る模様。
足元で、見えない風がやわらかく揺れている。
「……ついてこい、ってこと?」
振り返るその背中に、私はすがるように歩き出した。
*
限界だった。
不思議な鹿が、ちらりと振り返り、消えた。
「……もう、無理」
木の根元に崩れ落ちる。
異世界転生。
森スタート。
冬目前。
「チート……とか、ないのかな……」
そんなことを呟いて、私は意識を手放した。
*
目を覚ますと、木の家の中だった。
——知らない天井、ってやつだ。
薬草の香り。
淡く光る石。
宙に浮いた小瓶。
火はないのに、部屋は明るい。
——魔法?
そんな言葉が頭に浮かぶ。
ふと、何かがわずかに動いた。
それに呼応するように、空気がやわらかく揺れる。
何かの気配。
「……精霊の力よ」
女性の声が静かに言った。
「目が覚めたのね」
長い耳の女性が、穏やかに微笑んだ。
「私はリゼ。薬師よ」
*
それから、私はこの集落で暮らすことになった。
「……ナナ、です」
自分の名前だけは、なぜかすんなり出てきた。
言葉はわかるのに、うまく話せない。
「これ……手伝う、しても、いいですか」
そんな私でも、リゼは笑って受け入れてくれた。
*
「あんたがナナかい」
ある日、声をかけてきたのは、少し年上の女性エルフだった。
「リゼから聞いてるよ」
気さくな声に、少しだけ肩の力が抜ける。
「私はマルタ。困ったことがあったら、なんでも言いな」
「……は、はい」
うまく目は合わせられないまま、それでも小さく頷く。
「ほら、それはこっちだよ」
「……あ、はい」
言われた通りに動く。
それだけなのに、少しだけ“ここにいていい”気がした。
*
外に出ると、子どもたちが走り回っていた。
軽やかな足音と、弾むような笑い声。
その中のひとりが、足をもつらせて転ぶ。
「あ……」
思わず駆け寄る。
「だ、大丈夫?」
ぎこちない言葉で声をかけると、子どもは少し驚いた顔をした。
けれど、すぐに小さく頷く。
その様子に、ほっと息をついた。
*
朝になると、外から歌声が聞こえてくる。
誰かが精霊に語りかけているらしい。
水を汲む音や、木の実を選ぶ音。
静かなのに、確かに人の気配がある。
「あの子が例の人族?」
「ええ、リゼが拾ってきた子よ」
*
「少しやってみる?」
リゼに言われ、精霊魔法を試す。
意味は、なんとなくわかる。
——風よ、巡れ。
けれど。
「……あれ」
音が、ずれる。
何も起きない。
「……な、なんで?」
「珍しいわね」
「……え」
「ここまで音が外れるのは」
「そんなに!?」
思わず顔を上げる。
リゼは楽しそうに、同じ言葉を紡いだ。
透き通るような声。
その瞬間、薬草がふわりと浮かび上がる。
「精霊は音に敏感なの」
「……なるほど」
納得しながらも、少しだけ落ち込む。
言っている意味は、なんとなくわかるのに。
どうしても、うまくいかない。
「……難しい、ですね」
「ええ。でも大丈夫」
リゼは、あっさりと言った。
「あなた、力は強いもの」
「いずれ、できるようになるわ」
そう言われても、いまいち実感はない。
けれど——
「……そのうち、ですね」
苦笑いしながら、私はもう一度だけ口を開いた。
*
日々は続く。
リゼに簡単な薬の作り方を習っていた。
「……あ、やりすぎた」
少し力を入れすぎて、薬草が潰れすぎる。
「手先は器用なのに、少し雑ね」
リゼの言葉に、苦笑いする。
「……つい」
「大丈夫よ。慣れればできるわ」
あっさりとした言い方に、とほほと肩の力が抜ける。
*
「こら、走るんじゃないよ!」
マルタの声が響く。
子どもたちが一斉に散っていく。
その様子に、思わず笑ってしまう。
「あんたも気をつけな」
そう言って、マルタは私の肩を軽く叩いた。
少しだけ、ここにいるのが当たり前になっていた。
*
異変に気づいたのは、その頃だった。
最初は、ほんの些細なことだった。
朝、薬草の匂いに、ふと顔をしかめる。
「……あれ」
今までは平気だったはずなのに、妙に気持ち悪い。
胸のあたりがむかむかして、思わず手で押さえる。
「……ちょっと、無理かも」
その日は作業を早めに切り上げた。
疲れてるだけだと思った。
でも——
次の日も、その次の日も。
同じように、体が言うことをきかない。
匂いがきつい。
急に気分が悪くなる。
「……なにこれ」
戸惑いながらも、どこかで心当たりがあった。
考えたくなくて、目を逸らしていたそれ。
そして——
「子どもがいるわ」
*
その夜、眠れなかった。
どうすればいいのかわからない。
一人で生きるだけでも、精一杯だったのに。
やっと、少しだけ安心できる場所を見つけたばかりなのに。
「……無理」
小さく呟く。
子どもなんて、育てられるわけがない。
自分のことすら、ちゃんとできないのに。
逃げたい。
知らなかったことにできたらいいのに。
そう思って——
気づけば、お腹に手を当てていた。
「……」
何も感じない。
それでも。
そこに“いる”と、わかってしまう。
ふと、断片がよぎる。
誰かと一緒にいた記憶。
隣にいたはずの人。
顔も、名前も思い出せない。
それでも——
あたたかい記憶だけが、残っている。
「……もしかして」
かすれた声で、ぽつりと、言葉がこぼれた。
「一緒に、来たの……?」
答えはない。
ただ、胸の奥が、じんわりと熱くなる。
ここは知らない世界で。
私は、ひとりで。
——そう思っていた。
けれど。
「……ひとりじゃ、ない」
今度は、はっきりと口にした。
怖い。
どうしようもなく、怖い。
それでも——
この小さな命を、手放したいとは思えなかった。
「……産む」
静かに、決める。
「……一緒に、生きよう」
*
次の日。
意を決して、リゼに話した。
うまく言葉にはできなかったけれど、それでも自分の決意を伝える。
「ひとりでやらなくていいの」
リゼの優しいその言葉に、私は泣きそうな笑顔で頷いた。
*
やがて、時は過ぎ。
「ナナ! しっかり息をして!」
「大丈夫、もう少しだよ!」
声が重なる。
マルタが背を支え、誰かが手を握る。
歌うような声が、部屋に満ちる。
精霊に語りかける旋律。
その声に包まれて、ふっと痛みが遠のく。
「……っ」
息が、少し楽になる。
怖さも、わずかに和らぐ。
けれど——
次の瞬間。
再び、痛みが押し寄せる。
息がうまくできない。
怖い。
逃げたい。
無理だと思う。
やっぱり、無理かもしれない。
——こんなの、ひとりじゃ無理だ。
その瞬間。
「ひとりでやらなくていいの」
リゼの声が、胸の奥で響く。
周りには、人がいる。
支えてくれる人がいる。
そして——
意識を向ける。
ここに、いる。
私と一緒に、ここにいる。
「……っ」
息を吐く。
怖いままでもいい。
逃げたくてもいい。
それでも——
ひとりじゃない。
その事実だけで、耐えられた。
やがて。
小さな泣き声が、響いた。
*
腕の中の命は、温かかった。
どこか、懐かしい温もり。
「……ありがとう」
周りには、人がいる。
ここには、居場所がある。
私はもう——
ひとりじゃない。
腕の中の小さな温もりが、ふにゃりと笑った。
この世界での、私たちの時間が——
そっと動き出す。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
初めての投稿で拙い部分もあったかと思いますが、ナナの物語を書き切ることができて、とても嬉しいです。
この先のお話も少し考えているので、またどこかで続きを書けたらと思っています。
もしよければ、感想などいただけると励みになります。




