第60話 早馬
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ハーレイが事切れてから十数時間後、世界樹の麓にある研究都市と領都レスターを結ぶ街道を、朝日に向かってひたすら走る兵士がいた。
研究都市と領都レスターの間には早馬の中継拠点が整備されており、研究都市に異変があった場合、早馬で領都レスターから兵士の増援を送ってもらう手はずとなっていた。
実際のところ、早馬はほとんど使われることがなく、中継拠点の担当は閑職中の閑職という扱いだったが、ここに来てついに本来の役目を果たす時がきたのだ。
夜通しの伝令により、早馬は既に何度か交代しており、現在走っている兵士は、研究都市で発生した事件を直接目にしてはいない。
ゆえに、信じられなかった。
「まさか、エルフどもが襲撃してくるとは!世界樹を占領してから150年間、一度も無かったのに……!」
それも、絶滅か、それに近い規模にまで勢力を減らしていると見られていたエルフが、まさかの大軍を率いて襲って来たのだ。
しかも、空を飛ぶトカゲまで従えて。
もはや意味が分からない。
そして、何より兵士を驚かせたのは――
「エルフどもは戒律により、殺傷目的で風魔法を使えないんじゃなかったのか……!全く聞いていないぞ!!」
まさに、風魔法のことであった。
兵士は、自分の前の区間を担当していた早馬の兵士から、届けるべき伝令内容を確認した時、あまりの衝撃で自分の耳を疑った。
風魔法に関するエルフの戒律は、何もつい最近始まったことではなく、記録に残る限り1,000年以上は続いているとされている。
とは言え、人族は50年程度の寿命しかないため、1,000年以上前のエルフを直接見たものなど1人も残ってはいない。
しかも、肝心の記録もほとんどが経年劣化や火災などで失われており、エルフが風魔法を使うという記述は、ごく僅かな古文書に載っているのみだ。
そのため、エルフが本当に強力な風魔法を使えるのか半信半疑の者も多く、中にはエルフが自分たちへの迫害の圧力を少しでも減らすために撒いた、欺瞞情報ではないかと疑う者さえいた。
自分たちに手を出すと、そのうち痛い目を見ることになるぞ――と。
「研究都市に詰めている兵士のやつら、本当に風魔法を見たのかよ……。あまりにも暇で、酒を飲み過ぎたんじゃないのか?風魔法で兵士を一刀両断とか、酔っ払いの戯言にしか思えないぞ……!」
伝令役の兵士とは、本来は重要な情報を届ける役割であり、責任の大きな仕事だ。
それが自分たちときたら、ほとんど使われない早馬を維持するため、マーシャル辺境伯が嫌々ながら派遣している存在だという自覚がある。
王国側からの命令が無ければ、すぐにでもお役御免になる立場だ。
ゆえに、現在走っている兵士が、研究都市や領都レスターに詰めている兵士たちに複雑な感情を持つのも当然だった。
「くそっ……!こんな怪しい情報を、必死こいて届けているなんて、俺も落ちぶれたもんだぜ……!」
兵士は苛立たしそうに呟く。
そうこうしている内に、あと少しでエルフの森を抜け、領都レスターへとつながる街道に合流する。
そこまで来れば、領都レスターはもう目の前である。
兵士は、心に決めた。
早く情報を届けた後、何か理由をつけて領都で休もう。
領都には、エルフの森にはない娯楽施設もたくさんある。
公衆浴場に、劇場、賭博場――美形揃いで知られるエルフの女には到底手が出せないが、娼館に立ち寄るのも良い。
そう考えると、このクソったれな伝令役も、そう悪くない気がしてきた。
「よしっ!そうしよう!それぐらい役得があっても、罰は当たらないはずだっ!幸い、使うあても無くて、給金はたっぷり貯まっているしな!」
段々と気分が乗ってきたのか、先ほどまでの苛立たし気な様子から打って変わって、兵士はほくそ笑んだ。
「おっ!いよいよエルフの森を抜けるぞ!領都レスターが見えてくる!」
兵士はそう叫んで、領都レスターの姿を目に収めるべく、馬を駆って森を抜けた。
すると――
「―――え?」
伝令役の兵士は、思わず間抜けな声を漏らした。
絶対にあり得るはずのない光景が、目の前に広がっていたからだ。
兵士は、もはや早馬としての使命も忘れ、馬を停めてその場で立ち尽くす。
その目は、呆然と、領都レスターのある方向を見つめていた。
「な、何で……どうして……?そんな……馬鹿な……」
兵士は、呼吸するのも忘れ、ただひたすらに口をパクパクとさせた。
その視線の先には、大量の煙を上げて炎上する、領都レスターの姿があった。




