第37話 指導者の条件
『リヴィア、待ってください。残念ながら、ミレイ殿を助けることはできません。』
リヴィアに大陸共通語で話しかける。
「―――え?」
リヴィアは、まるで聞こえるはずのない言葉を耳にしたかのような顔をして、私の方へと振り返った。
『もう一度言います。ミレイ殿を助けることはできません。』
再度、大陸共通語で呼びかける。
すると、今度こそ私の言葉の意味が分かったのか、顔に驚愕の色を浮かべて私の方を向いた。
「―――な、なんで!?」
『リヴィア、大陸共通語に切り替えてください。』
動揺するリヴィアに、大陸共通語へ切り替えることを伝える。
もちろん、これから先の会話をミレイ殿に聞かせないためだ。
ミレイ殿は氏族長の家系ではないため、大陸共通語がわからない。
『――なぜ、ですか?』
大陸共通語に切り替え、リヴィアが問うてくる。
『理由は簡単です。いまここでミレイ殿を助けるには、この奴隷市場を強行突破し、場合によっては門を破って街を出る必要があります。そのためには、人族に対して風魔法を行使する必要に迫られるでしょう。私たちは、今の段階で人族にエルフが殺傷目的で風魔法を使えるという情報を与える訳にはいかないのです。』
正直、ミレイ殿を連れて逃げること自体は、難しいが絶対に不可能とは言えない。
いまの人族は、エルフが殺傷目的で風魔法を使うことはできないと思い込んでいる。
そのため、当然のごとく油断しており、出会った人族を片っ端から風魔法で倒し、街の外に出られさえすれば、飛竜に騎乗して離脱することができる。
だが、その結果、エルフが殺傷目的で風魔法を使えるという情報を人族側に与えてしまうことになる。
これが、エルフの森に侵入した冒険者を数人だけ取り逃すくらいならばまだ良い。
例え、その冒険者が証言をしても、与太話として処理される可能性もあるからだ。
しかし、街中で風魔法を使ってしまえば、目撃者が大量に発生し、必ず情報が露見してしまう。
その先に待ち受ける未来は、人族のエルフに対する警戒心の向上――
――そして、最悪の場合、奴隷となっているエルフの大量虐殺だ。
風魔法により、エルフ奴隷が反乱を起こす可能性があると分かれば、人族は何をするか。
おそらく、利益の確保を兼ねた予防的措置――つまり、エルフ奴隷を殺害し、エリクサーの材料にしてしまうという選択を取る可能性が高い。
エルフ奴隷側が、殺傷目的による風魔法の使用を禁止する戒律が廃止されたことを知った後であればまだ良い。
それであれば、最低限、風魔法を駆使して人族側に抗うことができるからだ。
しかし、戒律の廃止を知る前だと、エルフ奴隷は風魔法を使えず、人族側に一方的に殺されてしまう。
それを防ぐには、なんとしても世界樹を奪還し、あの力を使えるようにしなくてはならない。
私は、将来エルフの指導者を目指す立場として、エルフ全体の命を優先しなくてはならない。
上に立つ者は時として、個人より全体の命を優先する必要があるのだ。
その決断をすることができるのが、指導者の条件だと信じている。
感情に流され、種族全体の命を危険に晒すのは、愚か者のする行いだ。
私は、その辺りの事情を簡潔にまとめて、大陸共通語でリヴィアに説明した。
『で、ですが、このままではミレイ殿が危険です……!いつ命を落とすか分かりません!』
リヴィアが食い下がってくる。
彼女は、勇敢で誇り高く――そして、誰よりも優しい性格だ。
5年前のダートネス氏族の集落襲撃でも、同胞を逃がすため、最後まで集落に残って冒険者たちと戦った。
『わかっています。それでも、私の考えは代わりません。人族側に情報を渡すべきではありません。』
「―――リヒト!!」
リヴィアは苦しそうな顔で私の名を呼んだ。
「ひどいよ!リヒトっ!私は、私は……諦めるなんて、できない……」
リヴィアの悲しみが、痛いほど伝わってくる。
『リヴィア。エルフ語に戻っています。ミレイ殿のためにも、大陸共通語を。』
「なんで、なんで……そんなに冷静でいられるの!?」
もちろん、私とて冷静な訳ではない。
むしろ、私はこう見えて、根は情熱的で理想家なタイプだ。
だからこそ、努めて冷静に徹する必要がある。
『リヴィア。私は――私たちは、万能ではありません。全てを救える無限の力など、与えられてはいないのです。ゆえに、選ぶ必要があります。』
「―――選ぶ……?」
私は、リヴィアの目を見つめて言った。
自らの信念を伝えるために。
『リヴィア。何かを選ぶということは、何かを選ばないということなのです。何かを救うということは、何かを犠牲にするということなのです。何も選べない、何も犠牲にできない者には、何も変えることはできません。当然――我々エルフの未来も。私は、そのような無責任な指導者になるために、立ち上がったのではありません。』
もしかすると、前世の私は、身の丈に合わない高望みをした結果、失敗したのかもしれない。
多くを選び取り、多くを救うためには、それに見合う力を得なければならない。
それが、弱肉強食のこの世界における、唯一不変の掟なのだ。
『本当に、何も手段はないのですか……?』
リヴィアは少しだけ冷静さを取り戻したのか、大陸共通語に切り替えて尋ねてきた。
私は、その問いにはっきりと答える。
『残念ながら、今の私たちにはどうすることもできません。どうか、ご理解ください。リヴィア。』
私の言葉を聞いて、リヴィアはきつく目を閉じて、手を握ったり開いたりしていた。
私は、リヴィアに近づいて、その手を両手でゆっくりと握り締めた。
最後の最後で、彼女の思慕の情に訴えるとは、リヴィアの言う通り、私はひどい男だろうな。
そのまま数秒、沈黙が続き――
『分かりました……リヒトの判断に従います。』
最終的に、リヴィアの同意を得ることができた。
せめて、ミレイ殿には私から伝えよう。




