第4話 まだ、始まりに過ぎなかった
月曜の朝。
目覚ましで身体を起こして、制服に着替えて、家を出る。
土日が終わって、また同じ一週間が始まる。
いつも通りの朝だ。
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教室に入ると、月曜のざわつきがあった。
休日の話。
家庭の愚痴。
どうでもいい会話。
俺は自分の席に向かいながら、
なんとなく教室の前の方を見る。
前から二列目、窓側。
――佐倉守の席。
今日も空いている。
そう思った。
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チャイムが鳴り、担任が入ってくる。
「席につけー」
いつも通りの声。
いつも通りの朝。
担任は名簿を開き、出席を取り始めた。
「――神谷」
「はい」
凛とした返事。
学級委員長の神谷聖は、
背筋を伸ばして座っている。
「――黒瀬」
「はい」
名前が順に呼ばれていく。
俺は、無意識に
ある名前が呼ばれるのを待っていた。
けれど。
最後まで、その名前は呼ばれなかった。
一瞬、胸の奥に引っかかる。
聞き逃したか?
そう思うには、静かすぎた。
担任は、そのまま名簿を閉じた。
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「……えーと」
担任が言う。
「今日は、転校生を紹介する」
教室がざわついた。
「この時期に?」
「急だな」
そんな声が上がる。
俺は、隣の席の翼と目を合わせた。
翼も、
優斗も、
同じ顔をしている。
嫌な予感。
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「入っていいぞ」
ドアが開く。
入ってきたのは、女の子だった。
金色の髪。
肩につかないくらいの、きれいに揃えられたボブ。
日本の学校ではあまり見ない色なのに、
不思議と悪目立ちはしていない。
異国のお人形みたいで、
整いすぎた顔立ちと、
作り物みたいな金色の髪が目に残る。
正直、めちゃくちゃ可愛い。
でも、
制服はきちんとしているし、
態度も落ち着いている。
「……久遠エリナです」
少しだけ間を置いて、そう名乗った。
「海外に住んでいたんですけど、
父の仕事の都合で戻ってきました」
発音は自然で、言葉もはっきりしている。
「よろしくお願いします」
それだけ言って、軽く頭を下げた。
よくある転校生の自己紹介。
なのに、その名前だけが、
妙に頭に残った。
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担任が頷く。
「席は……そこだな」
指されたのは、
教室の前の方。
前から二列目。
――佐倉守の席だった場所。
「……え?」
翼が、小さく声を漏らした。
優斗も、思わず前を見る。
俺も同じだった。
あそこは、
守の席だった。
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視線を横にやる。
神谷聖も、
一瞬だけ驚いた顔をした。
ほんの一瞬。
そんな気がした。
すぐにもう何事もなかったように
前を向いていた。
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久遠エリナは、
周囲のいろいろな空気にたじろぐ様子もなく、
その席へ向かった。
椅子を引き、
静かに腰を下ろす。
教室が、一瞬だけ静まり返る。
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「先生」
翼が、半分勢いで手を挙げた。
「あのさ、その席って――」
「ん?」
担任が振り返る。
「そこ、佐倉の席じゃ――」
言い切る前に、
担任はきょとんとした顔をした。
「……佐倉?」
一拍置いて、
首をかしげる。
「誰だ、それ」
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教室のあちこちで、
くすっと笑いが漏れた。
「また黒瀬が何か言ってる」
「朝から飛ばすなー」
完全に、冗談だと思われている空気だった。
翼も、
一瞬だけ言葉に詰まる。
「いや、冗談じゃなくて……」
「はいはい、その話は後でな」
担任は、軽く手を振る。
「とりあえず授業始めるぞ」
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それで終わった。
誰も深く突っ込まない。
誰も真面目に受け取らない。
翼の発言は、
“いつものノリ”として処理された。
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神谷聖も、
何も言わない。
前の席を一度だけ見てから、
静かにノートを開いた。
さっきの視線の意味を、
俺はまだ考えられずにいた。
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授業が始まる。
チョークの音。
ノートをめくる音。
久遠エリナは、
何事もなかったように授業を受けている。
そこに座っていることが、
だんだん当たり前に見えてくる。
それが、
一番おかしかった。
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俺は、
教室の前の席を見つめた。
佐倉守の席だった場所に、
今は別の誰かが座っている。
それを見ていると、
世界が少しずつ、
書き換えられていく途中みたいに思えた。
何が起きているのかは分からない。
証明できない。
だから、余計に考えてしまう。
黒瀬翼も、白川優斗も、
視線が定まっていなかった。
誰も説明できないのに、
確かに何かが起きている。
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チャイムが鳴る。
日常は、止まらない。
何事もなかったように、
月曜の授業は進んでいく。
その中で、
俺たちだけが、
平静を装いきれずにいた。
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そして、これはまだ、
始まりに過ぎなかった。




