第2話 まだ、世界は普通に動いていた
枕元のスマホが鳴って、目が覚めた。
充電ケーブルにつないだままの画面には、アラーム表示。
寝ぼけたまま止めて、時計を見る。
「……やば」
一気に目が覚めた。
顔を洗って、制服に袖を通して、
カバンを掴む。
スマホはそのままポケットに突っ込んだ。
画面を見る余裕もない。
「行ってきます!」
返事を待たずに、家を出た。
いつも通りの朝。
⸻
いつも通りの学校。
昇降口は騒がしく、
廊下には人が溢れている。
教室に入って、
俺は無意識に前の席を見た。
守の席。
「……来てないな」
遅刻だと思った。
そういうこともある。
一時間目。
二時間目。
それでも、席は埋まらなかった。
「今日も、佐倉守さんはお休みですか?」
前の席から、落ち着いた声がした。
学級委員長の神谷聖だ。
肩口までまっすぐ伸びた黒髪を背中に流し、
制服をきちんと着こなしている。
派手さはない。
けれど、姿勢がよく、声も静かで、
教室にいると不思議と落ち着く存在だった。
「さあ……聞いてないな」
担任はそう答えて、それ以上触れなかった。
クラスも、特に反応しない。
空席は、
ただの空席として、そこにあった。
⸻
授業中。
机の下で、スマホが震える。
【Tsubasa】
今日も夜インする?
【Kyo】
する
【Yuto】
守、今日も来てないな
【Kyo】
まあ、そのうちだろ
それで会話は終わった。
誰も「おかしい」とは言わない。
言う理由がないからだ。
⸻
放課後。
学校を出て、駅まで歩く。
商店街。
信号。
行き交う人。
全部、見慣れた景色だった。
ただ――
ほんの一瞬だけ、足が止まりそうになる。
理由は分からない。
街は普通だし、
何かが変わったと断言できるほどでもない。
「気のせいだ」と言えば、それで済む程度のものだ。
だから、気にしなかった。
⸻
家に帰ると、妹がソファに座っていた。
膝の上には、薄い茶トラの猫。
「おかえりー」
猫は喉を鳴らしている。
……見える。
背中の、小さな羽。
昨日と同じ。
特に変わった様子はない。
「その猫、公園で拾ったんだよな」
「うん。ブランコの近く」
妹は、それ以上気にしていない。
羽のことも、
拾った場所のことも。
猫は、ただの猫だ。
⸻
夜。
《ビフレスト・オンライン》にログインする。
街は、いつも通りだった。
噴水。
露店。
行き交うプレイヤー。
三人でパーティを組む。
【Kyo】
守、今日もいないな
【Tsubasa】
まあ休みだろ
【Yuto】
盾なしで行くか
それで決まった。
⸻
狩場に入る。
敵の群れが湧く。
いつもなら、
最前列には盾役がいる。
今はいない。
【Tsubasa】
きっつ
【Yuto】
被弾多い、回復追いつかない
俺が前に出る。
剣で受けて、
避けて、
下がる。
明らかに、
動きが忙しい。
敵の攻撃一つ一つが、
重く感じる。
【Kyo】
引き撃ちでいこう
【Tsubasa】
了解
時間がかかる。
ポーションの減りも早い。
効率は悪い。
でも――
それだけだ。
ゲームは、普通に進んでいる。
⸻
狩りが終わり、街に戻る。
噴水前には人が集まり、
チャットログが流れていく。
【Yuto】
守いないと、やっぱ違うな
【Tsubasa】
盾って大事だな
【Kyo】
だな
それ以上の話にはならなかった。
⸻
ログアウトする。
妹の部屋から、猫の鳴き声が聞こえる。
羽のことは、考えなかった。
佐倉のことも、
深くは考えなかった。
学校も、家も、ゲームも、
いつも通りの日常が続いている。
ただ一つ。
盾役がいない。
それだけの話だ。
この時点では、まだ。




