5 転校生
「…いってきます」
俺は朝食を食べてからすぐに眠ってしまったプティに声をかけ、アパートを出た。
今日は高校初登校日。新学期が始まってもう二週間経っているが、俺は親の転勤の都合、という理由で、二週間遅れの転校生となった。
新品の学ランにアイロンの折り目がついたワイシャツ。猫っ毛気味の髪の寝癖をしっかり整えて、リュックを背負って高校へ向かった。
アパートから高校はすぐそこである。高校から最も近いアパートを借りてくれたらしい。少し歩くと校門と『葵山高校』の字が見えてきた。
ここに来るのは二回目だ。特別に入学試験を受けて、軽く面接をして入学が許可された。試験勉強には少々苦戦したがネコの厳しい指導の賜物で何とか合格。面接に関しては言わずもがなである。
前回と違い、校門は皆一様に制服を着た生徒たちで溢れかえっていた。俺は高校での新しい生活に高揚するような表情を作って、学校の中へと入っていった。
「東京から引っ越してきました、十谷類衣です。ちょっと遅れての入学ですけど、皆んな仲良くしてください、お願いします!」
疎に拍手が上がる。
俺は口元に人の良さそうな笑みを湛えた。快活に、しかしやり過ぎず、敬語は少しフランクに。そんな好印象の転校生を演じながら俺はクラス一人ひとりの顔を観察していた。おそらく今はまだ席が名簿順に並んでいるのだろう。
俺は事前に見ておいた名簿表の名前と生徒の顔を一致させる。
「十谷も分からないことがあったら俺や皆んなに気軽に訊いてね。ま、皆んなもまだよく分かんないだろうけど」
担任がそう言うとクラスから軽く笑い声があがる。なるほど、この担任はすでに生徒に人気がありそうだ。
十谷の席はあそこ、と指さされた席に向かう。通りすがりによろしく、よろしくな、などと挨拶を交わす。耳を澄ませると、なんかかっこよくない?というような女子たちの囁きも聞こえてきた。
よし、第一印象は掴めたみたいだ。
席に座って隣の席の女子にも挨拶をする。
「よろしく!」
俺はにっこりと笑いかけた。
我ながら完璧なスマイルだ。席順からして『三田桜子』だったか?これできっとこの女子も俺に心を許して……。
「私三田。よろしく」
不動の無表情だった。いやむしろ不機嫌である。よく見るとちょっと眉間に皺が寄っている気さえする。
…あれ?
おかしいな、と思いつつも気付かないふりをして笑顔を保つ。
俺、なんかした?
高校生活初日は上々だった。男子も女子も転校生の俺に沢山話しかけてくれた。俺は『十谷類衣』として、少し緊張しつつも明るく朗らかな性格が滲み出ている、ように振る舞って、すぐに「クラスのカースト上位」という印象を築き上げた。俺の思惑は大成功だった。
ただこいつを除いては。
俺は何故かあの無愛想なクラスメイト、三田桜子と並んで下校している。ずっとこちらを睨んでいる気配がする。
俺はぎこちない作り笑いをして話しかけた。
「…ねえ、三田さん」
「何」
「えっと……家こっちなの?」
「そうだけど」
沈黙。
いやまあそれはさすがにそうなんだろうど、俺としてはお前が俺と並んで歩いている理由が知りたい。
こいつ、別に他のやつには普通なのにな。つまり俺がまったく信用されていないということだ。何故。
どうすれば信用を勝ち取れるだろうかと考えていると、三田は言った。
「どうすればこいつの信用を勝ち取れるか、って考えてるでしょ」
俺はぎょっとした。今、俺の思考を読み当てた?
何でもないようなふりをして俺は答える。
「え、何でそう思ったの?」
「…」
三田は暫く答えなかった。
と思った瞬間、俺は手首を掴まれて立ち並ぶ家の塀の隙間に引っ張り込まれた。三田は俺の両脇の壁に手を突いて言う。
「嘘」
「は?」
「全部嘘でしょ。名前も、性格も、受け答えも。あんた何者?」
虚を突かれた。
バレてる。
俺は至って完璧に明るい転校生を演じていたつもりだ。表情になんて出した覚えはない。そんな表情の機微が分かるとすれば…。
こいつ、何だ?
「私は人の感情を読み取るのが得意なだけよ。コールドリーディングってやつね」
三田はまたしても俺の思考を読んだように言った。こいつ、本当に考えてることを正確に当ててきやがる。コールドリーディングって域じゃないだろ。
こいつに嘘は通用しない。そう思った。だから。
俺は反対側の壁に手を突いて三田に覆い被さるようにして言った。
俺は一転、ニヒルな笑みを浮かべる。
「普通のやつじゃないって分かってて、こんな人気のないところに来ていいのか?」
三田は少し動揺した。追い討ちをかけるように言う。
「女の力で男に勝てると思ってんの?」
「っ…武術の心得だって少しくらいあるわよ」
「少しくらい」とか言っちゃうところ、他人の嘘は分かるけど嘘つくのは下手そうだな。
本当に「少し」であることを見越して俺は言う。
「無事に返して欲しかったら、ついてくるんだな」
このままでは無事には返さない、と言うと、三田は本気だと受け取ったらしく、渋々と頷いた。