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4 余裕のある対話





 次に起きたときには、何を話せばいいだろうか。


 りんごを一つ、手に取る。


 俺は近所のスーパーマーケットに夕飯の買い出しに来ていた。


 これをすり潰せば、食べるだろうか。


 昨夜、ソムヌスが初めて言葉を発した。


 慌てた俺はコミュ障のごとき反応を連発。詐欺師として本当に恥ずかしい。


 次彼が起きたとき同じ失敗をしないよう、万全を期さねばならない。何と声をかけるべきか、彼に訊いておきたいことはあるか、どうしたら心を開いてくれるか。俺は思考を巡らせる。


 俺はりんごを買い物かごに入れて、乳製品の棚へ向かった。


 明日からは高校も始まる。


 ベルスーズはそう大規模な組織ではないが、俺のように、本拠地がある東京から地方へ派遣されている組織員は多くいる。彼らは各地で自らの役割を果たしつつ、普通に生活を送っている。


 彼らの仕事は二つある。ひとつは、己の部署の仕事。詐欺、暗殺、麻薬密売の取り仕切り等々、各専門の「仕事」を行う。


 もうひとつは情報収集。組織の運営に有用な情報を集め、表社会に滲み出る裏社会の動向に目を光らせる。


 牛乳とチーズを手に取る。


 マカロニが欲しいんだよな。


 俺はマカロニの袋を探して適当な袋をかごに入れる。


 あとは、何を買おうとしていたんだっけ?


 暫くじっと考え込む。


 そうだ、にんじんだ。


 レジの手前でようやく思い出した俺は野菜コーナーへ戻った。


 3本入りの袋を選んでかごに入れ、俺はレジへと向かった。





 「ただいま…」


 俺はアパートの部屋に入って目を瞠った。


 美しい顔が幽霊のようにふらりとこちらを向く。


 俺の顔をじっと見つめている。


 ソムヌスが、起きていた。


 「あー…」


 何だか俺は見惚れてしまった。薄暗い部屋に人形がひとつ。


 そうだ。話さなければ。


 「ルイさん?」


 ソムヌスが声を発した。


 昨夜より声が少ししっかりしている。


 「おはよう、ソムヌス」


 彼は不思議そうな顔をした。彼はまだ知らないのだ。


 これから自分の名を捨てて、代わりに背負っていく新しい名前を。


 俺は端的に言った。


 「君はうちの組織に保護された。今から君の名前はソムヌスだ。今まで使っていた名前は、忘れろ」


 ソムヌスは小さな唇を噛んでこちらを見ていた。この子は自分の置かれた状況を理解している。聡い子だ。


 「俺の名前、覚えてくれてたんだな」


 俺はにこりと微笑んで言った。


 ソムヌスは目を伏せて頷いた。


 俺は彼の傍らに寄ると、余裕を持って、考えていたシナリオ通りに話をし始めた。


 「どうして君が保護されたかは覚えてる?」


 優しい笑顔は崩さないように。


 この子の心のケアをするにあたって、この子がどんな環境で暮らしていたのか、もっと詳しく知っておきたかった。


 ソムヌスは俺の眉間あたりをぼうっと見ながらゆっくりと答える。


 「心当たりは…。でもはっきりとは…わかりません」

 「保護されたときのことは、分かるか?」

 「何だかよく覚えてない…です」


 ですますはいいよ、と言うと、彼はふっと力を抜いて話し始めた。


 「やっぱり、私は母さんに虐められてたって思う、んですか」


 だって、児童相談所みたいな人なんですよね、と尋かれた。


 まあ怪しい方の児童相談所みたいな人だよ、と妙な答えをすると、こくんと頷いた。


 「…でも私、母さんと、別に仲が悪かったわけじゃない。私の身体は女の子とは違うっていうことも知ってた。でもそれを言うと、母さんはとても怒って…」


 ソムヌスはぽつりぽつりと語り出した。だいぶ意識ははっきりしてきたようだ。


 「心と身体の性別が違うこともあるってことは知ってる。私もそうなんだって何度も思おうとした。けど…できなかった」


 ソムヌスは毛布の裾を握りしめる。


 「母さんは男の人のことをすごく怖がっていたから」


 自らも女の子として振る舞おうとしていたのか。


 子どもは承認欲求の塊だ。

 無力な彼らは親の為だけに生きているのであり、親にその存在を認められなければ、それはすなわち死を意味する。


 「母さんのことが心配です」


 認められたい。愛されたい。愛したい。


 その感情を「愛」と捉えるのか、もしくは「生存本能」とでも言うべきなのか、それは俺にもわからない。


 愛だか本能だか知らないが、この子は母親のことを慮った結果、自分が女になることを受け入れたのだ。


 そして冷たい仕打ちを受けてなお、愛したいと願っている。


 分かるよ。


 この子は「母さん」のために本当の自分を押し殺して生きていたのだ。


 「じゃあ、君は?女の子になりたいのか?」


 ソムヌスは眉間を歪めて俯いた。


 「……そうだったらよかったのに」


 そう言って声を震わせた。


 「でも、私は…()()自分が女の子だって思ったことは一度もない!」


 その言葉の中に、今まで彼が苛まれてきた葛藤が垣間見えた気がした。


 俺は悲痛に叫ぶソムヌスをそっと抱きしめた。


 「嘘偽りのない自分を生きればいい」


 ソムヌスは俺の腕の中で息を呑んだ。


 …予定していた通りより、感情を出してくれて助かった。こちらとしては、この子の心の中を理解しないとケアも何もできないからな。


 正しい言葉をかければ、正しい反応をしてくれる。


 ソムヌスの頭のその上で、俺は知略的な眼差しでぼうっとしていた。


 俺はソムヌスに尋ねる。


 「お前は、どうしたい?」


 私は、と声を絞り出す。



 「男の子として生きてみたい」



 「そうか」


 俺はふっと身体を離した。


 「じゃあ、まずはその長い髪を切らないとな」




 

 余所よそしいLEDに照らされた風呂場の壁に鋏の音がこだまする。


 はらり、はらりと絹のような髪が落ちる。


 鏡の前で微動だにしないソムヌスの顔を覗き込んだ。


 「どうだ?」


 口を閉じて何も言わない。


 しかしその瞳は僅かに輝いていた。


 「さっぱりしただろ」


 鏡に映っているのは、ビスクドールのように整った顔立ちの中性的な美少年だった。


 髪を短く切り揃えてなお、少女と見紛うほどの愛らしさである。女の子として育てられていたというが、おそらく周囲の者は誰も彼が男子だということに気付かなかっただろう。


 俺も最初は女の子だと思った。


 「…ありがとう」


 彼は呟いた。


 俺は少し表情を緩めて頷くと、台所へと向かった。


 「さあ、夕ご飯を作ろうか。今日はグラタン…」


 後ろで何かが倒れる音がした。


 咄嗟に振り返ると、ソムヌスが風呂場に倒れ込んで、寝ていた。


 「おい大丈夫か!?」


 思わず目を離してしまったが、そうだった。こいつ、すぐ寝ちゃうんだった。


 怪我がないかだけ確認して、俺は脱力したソムヌスを抱いて畳の部屋に寝かせた。俺はふうと息を()く。


 明日は高校か。


 失敗は許されない。今後三年間仕事がしやすくなるように、完璧な高校生を演じなければ。


 そんなことを思いながら一人、グラタンを作った。





 そして翌日。波乱の高校登校初日。






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