3 起床
名古屋に越してきて三日目。
俺は医療班から説明を受けた通りに、ソムヌスの世話をした。朝昼晩の1日3回無理矢理起こして食事をとらせ、さらにもう2回起こしてトイレに行かせた。
口元に持っていけばご飯も食べるし、トイレに座らせればするものはするが、その時も何か話すでもなく、反応もなく、ぼーっとしていて半分寝ているような状態だった。俺が誰か、とかここが何処か、とかいうことも疑問に思ってはいないらしい。
この様子だと自己紹介ができる日はまだまだ遠そうだ。
「そろそろ起きてくれよ」
俺は半ば呆れて言った。こいつのことも心配だが、それより今はこの超静かな生活に耐えられない。
ソムヌスは喋らない。俺だって話し相手がいなければ喋らない。テレビもないので本当に無音である。聞こえるものといえば、ソムヌスの寝息と時計の秒針、それくらいだ。
気が狂いそうだ。
ネコと暮らしていたときは、それは賑やかだった。というより、あの人が一人でずっと騒いでいた。
俺は、ネコに強制参加させられた二人ものまねGPを思い出す。
あの頃は心底うざがっていたが、いつものハイテンションがもう恋しい。
そんなことを思う程には、俺の精神は参っていたのだと思う。
静寂が破られたのは、それからさらに三日後だった。
深夜。時計の針は12時を回っている。俺は家から持ってきた小説を読んでうとうとしていた。
ごそっと衣擦れの音がした。
ふと顔を上げると、ソムヌスが目を開けて天井を見つめていた。焦点があっていない。
「…起きたか?」
彼は睫毛を震わせて、ゆっくりこちらに頭を傾けた。
大きな硝子玉のような目だった。大きな黒目が濡れて、月明かりを映している。
唇が小さく動いた。
「ん?」
「だれ?」
掠れた声だった。ずっと寝ていて喉が乾燥しているのかもしれない。
俺は彼を安心させるように、できるだけ柔らかい声で、ゆっくりと答えた。
「俺はルイ。よろしくな」
またしてもソムヌスが口を動かそうとしたので俺は遮った。
「ああ、君は名乗らなくていい。そういう決まりなんだ」
ソムヌスは納得したのかしてないのか分からないような顔で小さく息を吐くと、また言った。
「…どこ?」
「ここか?ここは…君の新しい家だ」
ソムヌスは周りにゆっくりと視線を這わせる。今度は何も言わない。
この状況で何を話せばいいか思いつかなくて、俺は咄嗟に尋ねた。
「調子はどうだ?」
馬鹿。良いわけないだろ。
またしてもソムヌスはこちらに視線を向ける。少し言葉を選ぶようにして言った。
「…わるくない、です」
「そうか、なら……いいんだが」
何ともぎこちない。大人相手なら嫌というほど練習してきたが、子どもとは何を話せばいいのだろうか。ある意味本職だというのに、こんな、コミュ力のかけらもなさそうな会話をしている自分が恥ずかしかった。
気まずい沈黙が流れる。
そうこうしているうちに、ソムヌスの瞼がだんだん落ちていく。
まずい。寝てしまう。
そして、ソムヌスはまた眠ってしまった。
しまった。
しくじった。
俺は気の利いた台詞の一つもかけてやれなかったことを後悔した。
何も話せなかった…。
俺は一人項垂れて、おもむろに布団に入った。
もういいや。俺も寝よ。