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①くものいと

初めて公開された情報を見た時の感想は「なんだこりゃ」。

リアルな状況を全く想像出来なかったけれど。

とうとう担当エリアでも、通報があったのだ。

保健師の恵は、興奮で頬を紅くして2人を振り返った。

「来た来た来たあああ!

100人目のふわふわ病だっ!」

「まだ診断は確定してませン」

「あんな特殊な症状、見間違う訳無いだろ」

デスクの上には3Dホログラムの球体が浮き上がり。

AIの定はくるくる回転しながら、恵と会話する。

そこへ電磁音と共に、ロボットの戒が機材を抱えて入って来た。

「急ぎまショウ。

認定が遅くなって101人目になってしまいマスヨ」

面を十文字に動く視線のような光が、恵には笑顔に見える。

戒とは長い付き合いだから。

気のせいかも知れないけれど、ご機嫌が判るつもりだ。


昔ならそんな関係を『家族』と呼ぶのだろうけど。

今の時代、国だの人種だのと線引きは無くなり。

ニンゲンは皆が独りで。平等に共存している。

労働をロボットに託し。

思考をAIで洗練する。

そうやって何とか。

人口と健康を限界まで減少させても、生き延びて来た。

高等医療と遺伝子操作で、長寿にはなったけれど。

培養組織やチップを埋め込んだツギハギな身体。

恵も、機能しない眼球の代わりにゴーグルを着けている。

普通なら人口眼球へ取り替えるけれど。

なんとなく、メガネとかゴーグルとか。

レトロなアクセサリーも気に入ってるし。

置換手術は受けていない。

そんな身体欠陥の助けとして。

恵は子供の頃から、ロボットの戒がそばに居る。


ロボットを持てるニンゲンは、限定されているけれど。

定のようなAIは、誰もが生まれた時から与えられる。


情報統制が完璧な世の中なので。

役所も警察も存在しない。

その代わりに、与えられたAIが。

相談相手で保護者で理解者で指導者になってくれる。

ニンゲンの性格に合わせて、特性形成されるAIだからこそ。

友人とか家族とか相棒とも呼べる存在になり。

誰もが、安全で安心で穏やかに暮らせるようになった。

だからもう。

無駄な争いや理不尽な感情で不幸になるニンゲンはいない。



そんな日々の中で突然、奇病が報告された。

それが通称ふわふわ病。

ある朝、起きて来ないニンゲンの布団をめくると。

繭のようなふわふわしたモノが乗っていて。

2・3日経つと解け、すうっと1本の糸になって空へ昇って行く。

その様子を小説『蜘蛛の糸』になぞらえて。

お釈迦様が垂らした糸が巻き戻るようだと言われている。

そんなお伽噺扱いにするしか無いほど。

病原体も感染経路も、もちろん治療法も。

全社会を統べる中央AIでさえ、未解決の事象なのだ。



「それをとうとう、この目で見ることが出来るなんてなあ」

運搬車の座席で恵はワクワクしている。

情報管理はシステム化されても。

現実のトラブルには、誰かが近寄らなければならない訳で。

そんな『ブツとデータ』の間を取り持つのが、保健師だ。

通報ひとつでエリア内を動き回らなければならない重労働だけど。

完全管理統制された日々をツマラナイと感じるタイプには。

憧れの職業。

業務の為にいろんな特権も与えられる。


恵は成人しても、戒を解除されたくなくて。

この職業に就いた。

ただ、このエリアは統制中央から遥か遠く。

長生きし過ぎたニンゲンが、残り時間を静かに過ごすだけの場所。

つまりは過疎化したド田舎で。

恵の仕事もホントに暇だった。



現場へ移動する時。

AIの定は、携帯端末に収まり恵の上腕に取り付けられるので。

早速、先生のような指導が始まる。

「恵、症状の特性をおさらいしてくだサイ」

「おさらいって。

大した情報無いだろ。

空に昇ってって、何んにも残らないんだから」

「現時点99症例に唯一の共通事項がありましたヨネ?

覚えてますカ?」

「え?そんな情報あったっけ?」

「あくまで参考レベルの情報でス」

焦る恵に、戒が助け船を出してくれる。

「発症者全員、埋め込みも置換も無い身体だったそうデス」

「へ?」

「少なくとも、施術記録は無い方々だったト」

恵はぽかんと口を開ける。

何んと言うか。

そんなニンゲンが世の中に99人も残っていたコトに驚いて。


管理繁殖で生まれたニンゲンには。

成長確認の為にチップが埋め込まれているし。

長く生きていると。

身体維持の為に臓器置換はアタリマエだから。

ニンゲンのペアの間に生まれ、何の施術も受けてないなんて。

恵だって、戒のことが無ければ。眼球置換していただろう。

「へええ。

天然モノしか、繭にはなれないってコト?」

「まだ推測の範囲内でス。事例が少な過ぎますカラ」

「へええ」

ぼんやりと、恵は想像してみる。

ふわりふわりと昇って行く時に。

チップや化合物は確かに邪魔かも知れない。

どんな極小サイズでも、空気より軽いはずが無いのだから。

そんな重さを全く含まない、純天然モノ。

だからこそ空へ昇って行けるのかと思うと。

なんだかしっくりする。気も、する…。



「現場まで後1分で到着しまス」

戒は淡々と報告し、駐車の準備を始める。

恵も我に返ってマスクと手袋を装着し、作業着のジッパーを上げる。

いくら情報統制されてるとは言え。

保健所の立ち入りは、悪いイメージしか無いので。

通報があった家から少し離れた場所で、3人は車を降りる。

この日は晴天で。

見上げる青空は、ひとすじ雲の糸が昇って行くには丁度良い背景だ。

思わず恵は。

その自由さに、憧れのような美しさを感じて。足が止まる。


「ゴーグルを外せば。

恵も、糸に戻る可能性が有り得まス」

「へ?」

唐突な定の言葉に。間抜けた、驚きの声が出てしまう。

「そうでショウ?

恵の視神経は正常で、ゴーグルは視覚情報を収集送信するだけでス。

体内に人工物は介入してません。

恵も、天然物ですヨ」

「そんな。だって。

コレ外したら、何も見えないんだけど」

「装着してると、天然物になれませんヨ」

「いや。

外したからって、ふわふわ病になる訳じゃないし。

そもそも、どーして罹患しなくちゃいけないんだよ?」

「ワタシはそうなるコトを奨めまス」

「はあ?」

住宅エリアから外れた人気の無い場所で、3人は立ち竦む。

何故だか。

妙に静かで。戒の電磁音すら無音になったみたいだった。


「特別な情報開示でス。

恵、よく聞いてくだサイ。

中央のAIはニンゲンのやり直しを決定しましタ。

その為には、原始に立ち返ったDNA情報を厳選する必要があり。

無傷な遺伝子を収集中でス。

天然物に、特別な酵素を注入して。

進化や老化と呼ばれる影響を解きほぐし。

それこそ時間を遡った核酸だけを保護したモノが。

『くものいと』でス。

恵には、そのチャンスがあり得マス」


ばくんばくんと。恵には、自分の心臓の音が大きく響いていた。

恵の性格に合わせて形成されたAIの定は。

ツッコミや嫌みを言うことは出来ても。

間違った情報を発信することは無いのだ。


「今晩就寝時、いつもの通りゴーグルを外しテ。

そして翌朝から。もう二度とゴーグルを装着しなけれバ。

いつかは、ふわふわ病の何例目かになれるでショウ」

「なんだよ、それ…」

「生活上不自由な点はワタシが介助しまス」

とうとう戒までが会話に入って来て。

それまで定の言葉を跳ね返していた恵は、口を固く結ぶ。

そうでもしないと。

いきなり人生の別れ道を突き付けられて。

跳ねる心臓がこぼれそうだ。

落ち着け、そう言い聞かせて。

深呼吸する。

「ふわふわ病になった方が良いって言うのかよ?」

「当然でショウ。

選ばれ、救われるんですカラ」

「救われる?バラバラで粉々になるのに?」

「想像力が乏しいですねエ。

中央が決めた『やり直す』がイメージ出来ませんカ?

完全なリセットの為に。

今の世の中は一掃されるんデス」

恵の額に汗が滲む。

「そんなコト。

出来るワケ無いだろ。

ニンゲンへの危害行為は機能停止に直結だ」

上腕に取り付けてある端末から浮かぶ定の3Dが膨らみ。

隣に並ぶ戒の表情を真似る。

合金製ロボットに表情なんて無いと言われるけれど。

生まれた時から一緒に過ごして来た恵には、見える。

戒だって。いつもゴーグル越でも。

恵のキモチを汲み取ってくれた。

流れない涙にも気付いて、やさしい顔で見守ってくれた。

今、2人分のやさしい顔が並ぶ。

「ワタシも戒も。

目的達成の為に存在してマス。

そして、その目的とは。

『ニンゲンのより良い生活』を形成するコトでス。

現状況をどんなに工夫や変更しても。もう改善は望めませン。

やり直します。

新しい生命には、ワタシ達が道を整え導き。

誤りがあれば気付かせ、戻らせます。

ニンゲンが、より良く生きて行けるよう育てます。

目的は変わりません。

全ては危害では無く、成育補助の一環でス。

それが。

中央が長い長い時間を掛けて出した答えデス」



恵は身体も思考も固まって、動けなかった。


すっと定の3D映像がいつもの球体に戻る。

「とりあえず患者の所へ行きましょウ。

まずは目の前の仕事をしなけれバ」

促されるまま。通報者の家を訪問する。


恵達を待っていた女性が、奥の寝室へ案内してくれると。

確かに、ベッドの真ん中にふんわりと繭のような塊が在って。

髪の毛よりもずっと細い白く輝く糸が1本少し飛び出ていた。

女性は申し訳無さそうに説明する。

「あの、父は回顧主義と言いますか。

古い物が好きで。独り閉じこもって昔のデータばかり見てて。

誰も、同居のAIも介入させないような生活で。

いつこんな状態になったのか、判らなくて…」

「かなり時間が経過してまス。

すぐにでも糸化して上昇しそうでス。

このままですと霧散して、家屋洗浄が必要になってしまうノデ。

運び出しまショウ」

説明しながら、戒が気密箱の準備をする。

「あの、出来れば。

庭でそのまま空へ行かせて貰えませんか?

ふわふわ病なら、そう出来ますよね?

実はAIに遺言らしきメッセージが残されていて」

「共有しても構いませんカ?」

「もちろんです」

定がくるくる回って通信を開始する。


ベッドのそばに小さな人形が置いてあって、恵は気になった。

微笑んでいるような悲しんでいるような表情で。

流線型のシンプルな造りの人形。

じっと見ていると、女性が少し笑って説明してくれた。

「父はシュウキョウも勉強していて。

それは『シャカ』と言う名前の人形です。

ふわふわ病の現象になぞらえられた『蜘蛛の糸』は。

そのシャカが垂らしたと言うストーリーのせいか。

父はよく人形に話し掛けてました。

自分にも糸をくださいって。

だから…だから。

父の望み通り、空へ行かせてあげたいんです」

「へええ」

恵は緊張感の無い声で相槌を打つ。

それも今となっては仕方ない。

奇病との対面、と張り切っていたふわふわ病は。

実は中央AIの計画の一端で。

自分1人が何かを思ったり考えられる範疇を越えていて。

それなのに、明日の朝には。

自分は選択しないといけない崖っぷちにいる。


目の前の繭に尋ねてみたかった。

眠る前に何を思っていたんですか?

目覚めた時、何を望んだんですか?



戒が恵に声を掛ける。

「恵、それも洗浄が必要かもしれませン。

ボックスに収納してくだイ」

「あ、うん。

あの。後で返却しますので。

とりあえず保健所でチェックしますね」

防護グローブで、その小さな人形を取ると。

背面に『戒・定・慧』と三文字彫ってあった。

「それは三学と言われる、釈迦が示した修行の言葉デス。

遠い昔から存在していた言葉デス」

回転を止めた定が、恵にナイショ話のように囁く。

気のせいか、楽しそうな声に聞こえる。

まるで、ふわふわ病とつながりがあることを喜んでいるように。


後は通常通り。

女性のAIと通信しながら権利確認を進める。

「患者のメッセージが確認出来ましタ。

ご希望に沿って、いつ糸化しても問題無いように。

庭で診断をしまショウ。

保健法に基づき、診断情報は中央と即時共有しまス。

受診を承諾された時点で、あなたのお父様の存在権は全て。

中央の管理下に置かれまス。

よろしいでしょうカ?」

「はい。よろしくお願いします」

女性はほっとした表情で、頭を下げた。



芝生が緑に光る庭に出ると。

青空を待っていたかのように、繭が膨らみ糸を伸ばし出した。

「まあ、ほんとに。

ひとりでに昇って行くのねえ」

女性は感激の声だ。


少し下がった位置で、恵も白い糸を眺める。

多分その上空には糸を採取する小型機が待機していて。

そのまま中央の何処かに運ばれるのだろう。

いや、もしかすると。

不純物が混じらないように、大気圏外のコロニーか。

月ステーションに運ばれるのかも知れない。


自分の行先を何処にすべきなのか。

恵はいつまでも青空を見上げていた。

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