2-1.運命の気まぐれ(マエル)
聞き間違いじゃないよね……?
『……いません!』
確かにそう聞こえた。
でも、そんな返事ってある!?
誰もいないはずの我が家で、不審な物音に気付いた私は、両親の寝室を前にし、両手で箒を強く握り締めていた。
よりにもよって両親は出掛けたばかり。執事のドミニクさんは長期休暇で帰省中だし、コックのピーターさんも昼食と夕食時しか来ない。
つまり、今この屋敷を守れるのは私しかいない。
怖くて怖くて、ここまで来るのもやっとの想いだった。部屋内から返ってきた声からして、中にいるのは恐らく男性。
そして多分――その男は“マヌケなんじゃないか”と思う。
恐怖心が少しだけ和らいだおかげで、扉を開く決心がつく。ドアノブに手をかけてゆっくりと開き、隙間から覗き込む。
すると部屋のど真ん中に、ダウンコートを羽織った男性が、両手で顔を隠しながら立ち尽くしていた。
「だ、誰? こんなところで何してるの……?」
「こ、これは違うんだ! あ、いや、違うんです! 使用人として新しく雇われて……その……そう! 屋敷の下見に来たんすよ!」
慌てふためく口調で、何とか誤魔化そうとする男性。私は半開きにしてた扉から、意を決して部屋に入った。
「なら、顔を隠すのは不自然じゃない? それに、ウチは新たに使用人を雇うほど余裕なんてないよ?」
揚げ足取りのように告げる。彼は驚いたのか「え、マジで?」と端的に聞き返してきた。
「マジ。貴方……絶ッ対に空き巣だよね?」
図星を突かれてやっと観念したのか、彼が後頭部に手を添えて頭を下げてくる。
「……その通りっす。すんません」
ところが、彼の顔が露わになった途端――不意に“ある記憶”が蘇ってきた。
「……あれ、待って! あなた、私と会ったことない!?」
「へ!?」
「ほら、国立公園で私がハンカチ落としたの、拾ってくれた人でしょ? 結構前のことなんだけど、覚えてないかな!?」
あれは忘れもしない、晴天が空に広がっていた日。
気持ちのいい風が吹く国立公園で、私は彼と出会っている。ダークブラウンの短髪で屈託のない笑顔をする、爽やかな人だった。確かその時、彼はお婆様を連れていた気がする。
彼は顎に手を添えながら「んー?」と、私の顔をじっと見つめてきた。
「……あーッ、あの時のお嬢さんか! 覚えてる覚えてる! そこの写真見て何となく会ったことある気がしてたけど、たった今思い出したよ!」
「やっぱり! それ、農家さんとこ手伝いに行った時に撮ってもらったやつなの! 写りだけはいいでしょ!?」
「いやいや実物の方が全ッ然可愛いよ! しっかし、こんな偶然ってあるもんなんだね! 何か嬉しいなぁ。あ、俺スティーブっていうんだ!」
スティーブさんが満面の笑みで手を差し出してくる。
唐突に『可愛い』と褒められて顔が熱くなっていた私は、「マエルだよ!」と言って握手を交わそうとした――が、我に帰って即座に腕を引っ込める。
「えーと、ちょっと待って。はしゃいでる場合じゃなかった。あなた、空き巣に入ってきたんだよね?」
彼は塞ぎ込むように「あ……まぁ、はい」と、気不味そうに目を逸らしてきた。
「何であなたみたいな人が、空き巣なんて?」
ハンカチを拾ってくれたスティーブさんの印象は、お婆様想いで、とても優しそうに感じられた。そんな彼が悪事を働くとは、にわかに信じ難い。
首を傾げる私をチラリと見たスティーブさんが、大きな溜息を吐く。
「はぁ……悪いことしてるって、分かってはいるんだ。でも、株で失敗して財産を一気に失くしちまってさ」
「株!? 株に手を出したの!?」
彼の口からでた意外な言葉に、驚いて瞬きする。
株取引は、先見の知恵と詳しい企業情報を入手する伝手がなければ、そう上手くいかない。貴族の間ですら『どの銘柄が儲かるか』と、庶民は参加できない社交会で躍起になって情報交換している。
それでも、好調だった企業がいきなり倒産して、株券が紙屑同然になってしまうこともある。株取引は成功すれば儲かるけど、リスクの高い資産運用でもある。
「俺が直接やってたわけじゃないんだ。株をかじってる友人がいて、そいつに任せてたんだよ。でも、今朝『預けてた金を返してくれ』って頼みに行ったら『暴落して失くなった』って言われちまってさ」
なるほど。イメージと結び付かなかったけど、そういうことか。
「そうだったんだ……どうして預金を返してもらおうとしたの?」
「育ての親のばあちゃんが具合悪くてさ。つい最近医者から『検査の結果、高血圧症の可能性が高い』って言われちまったんだ。いつ倒れるか分からないってね」
「そうなんだ……」
「それで、ばあちゃんが元気なうちに“少しでも贅沢させてやりたい”って思ったんだけど……」
やっぱり、あの時に杖をついていたお婆様は、スティーブさんの身内だったのね。
口を手で覆いながら、目頭に熱いものを感じてしまう。
ヤダ……何泣きそうになってるのよ。
同情を引くための、作り話かも知れないのに――。