21-2.
事の顛末を話し終えると、スティーブさんは複雑そうな表情を浮かべて「う〜ん」と天井を仰いだ。
テレさんは話している間にカモミールを一口も飲まず、頬杖をついて溜息を吐いた。
「グレイスがこの話をしてきたら、別の言い回しで脚色されちゃってたと思うんだ。だから、あの場でテレさんが仲裁に入ってくれたのは、すごい救いだったんだよ……」
冷めてしまったカモミールを淹れ直そうと、テレさんのティーカップに手を伸ばす。すると、スティーブさんがソーダを口に含み、グラスをテーブルにゴンッと置いた。
「プハッ! 貴族の男ってのは馬鹿しかいないのか!?」
「み、みんながそういう訳じゃないと思うけど、こういう話って、意外と珍しくないんだ……」
「けど、そんなことがあったら、すぐ社交界で変な噂とか流されちまうんだろ? グレイスだったら、絶対マエルを悪者に仕立て上げるはずじゃん!」
私が差し出したティーカップを受け取ったテレさんが、怠そうに口を開く。
「そういう訳でもないんだよ、スティーブ」
「ん、どういうこと?」
「貴族令嬢は19歳になると、陛下を御前に“謁見の儀”を受けるからね」
「王宮でやってる、純白のドレス着て参列するやつだろ? 何か関係あんの?」
「謁見の儀には教皇も出席するから、洗礼が含まれているのさ。令嬢達はそれまでに縺れさせた恋煩いを、全て洗い流して貰えるんだよ」
腕を組んだスティーブさんが「ほぇ〜、なるほど」と感心したように数回頷いた。
この国の令嬢は、成人式として謁見の儀を迎えてから、晴れて社交界デビューを果たす。
そうなると洗礼を受けたことになるので、謁見の儀以前に起きたことを社交界で吹聴するのはタブーとされる。仮に恨んでいる人を貶める噂を流そうとしても、周囲からは若気の至りとして相手にされることはない。
私にとっては有難い慣習だけど、グレイスからしたら、それは歯痒いものだったはず。
「それにしてもマエルはツイてないね。良かれと思ったことが二度も裏目に出ちまったんだから。せっかくの洗礼も水の泡じゃないか」
「はい……」
テレさんにそう言われた私は、反省するように俯いた。
『ま、社交界で醜聞だらけのマエルなんか――』
グレイスから“お人好し過ぎ”と忠告されたのに、不用意に人助けをするという、同じ過ちを繰り返してしまった私。自業自得を後悔しても、しきれない。
キリアンへの想いに決別していたとはいえ、彼がグレイスと婚約していたショックも重なり、どっしりと肩に荷が掛かったかのように、気分が沈んでいく――。
3人が囲むテーブル席に沈黙が流れる。
すると、塞ぎ込んで丸まっていた私の背中を、スティーブさんが優しく摩った。
「でもさ、マエルがしたことは、何も間違ってないだろ」
ゆっくりと顔を上げたら、彼は私に微笑んでくれていた。じんわりと染み渡るあったかい言葉に、胸がキュンとした私が「ありがとう……」と心からのお礼を返す。
「それに、結局マエルの方がグレイスより魅力があったってだけの話じゃん。マエルは自分のこと責める必要ないと思うぜ?」
「アンタの言い分は最もだが、女の世界はそんな単純じゃないんだよ。下手に鼻を高くすれば、余計な災いを招くからね」
テレさんが嘆息気味に話すと、スティーブさんは「災いって?」と問い返した。
「女は嫉妬に狂うと陰で罵ったり脚を引っ張り合ったり、何をしでかすか分からないもんなのさ。マエルの話は一見して令息の杜撰さが目立つところだが、その背後にもっと陰惨で厄介な存在がいたやろがい」
「え、そんなんいた? よく分かんないけど」
身震いさせたスティーブさんの隣で私がしゅんとして黙っていたら、テレさんは杖を地面にコンッと突いた。
「それはさておき、グレイスはとんだ置き土産を残していったじゃないか。ねぇ、マエル?」
「え、えーと……アミュレットのことですよね?」
不意に振られて返事をしたら、テレさんは自信に満ちた表情でコクリと頷く。
一瞬にしてスティーブさんが、チンプンカンプンな面持ちへと変わる。そんな彼にアミュレットの持つ意味や妊娠に関しての説明をした。
「だからグレイスは、最後にあんな焦った顔してたのか!」
スティーブさんが、むしゃくしゃした様子で後頭部を掻きむしり、テレさんはカモミールを飲み干して、私に視線を向けてきた。
「グレイスの慌てっぷりを見て判っただろう? アミュレットを自分達のために購入してたのなら、奴らの情事は最低でも1ヶ月以上前から始まってたことになるね」
彼女の推察が、グサリと胸に突き刺さる。
産婦人科で妊娠していると診断されるまでは、約1ヶ月を要する。正直、アミュレットを目撃した時点で粗方の察しはついていたけど、自分から言葉にするのが怖かった。
「ってことは、マエルが婚約破棄される前からってことじゃんか! 自分ら棚上げして、マエルの浮気を疑って来るとかメチャクチャじゃんか!」
「ふん、理由は簡単さ。自分達の不貞を“カモフラージュするため”だ」
「カ、カモフラージュ?」
貴族間で交わす婚約契約書には、不貞による違約金や嫁ぐ側の持参金の他にも、[婚約解消金]が重要な項目として盛り込まれる。
婚約解消金とは、婚約を申し込んだ側が“自己都合で婚約の解消を願い出る場合”に支払うお金のこと。
裏を返せば、その金額の大きさが『そのくらい結婚したい』という相手方への誠意表明となるので、少し高めに設定されることが多い。
カスカリーノ家とポグバ家の間でも、婚約に関する取り決めが協議された上で契約書を交わした。その際、ポグバ家が提示してきた婚約解消金は1000ポンド。
慣習通りにポグバ家の誠意に応えるため、こちら側の持参金も同額にして婚約は締結された。
「ポグバ家は“婚約解消金を支払いたくなかった”ってことだ。ここまで話しゃ、アンタでも察しはつくだろ?」
「もしかして……それでマエルの浮気をでっち上げて、無理くり婚約破棄に持ち込んだってこと!?」
目を見開いて仰天するスティーブさんに、テレさんが「ご名答」と言って指を刺す。
「コソコソと密会を重ねてたんだろうが、こともあろうか妊娠しちまって相当焦ったんだろう。ところが、相手は資金潤沢なラクラル家の令嬢だ。崖っぷちのカスカリーノ家に金を払うくらいなら、そのまま乗り換えようって魂胆だったのかも知れないね」
両手でテーブルをバンッと叩いたスティーブさんが「ふざけんなッ!」と憤怒した。
「何が誠意だ、キリアンの馬鹿野郎! そんなの絶対許せないっしょ! こうなったらとことん闘おうぜッ! なぁマエル!?」
しばらく2人の会話を、どこか上の空で傍観していた私。スティーブさんの熱を帯びた眼差しを受け、少しの間を置いて囁いた。
「ちょ、ちょっと待って。も、もうこんな話やめよ……? 遊ぶ時間、どんどんなくなっちゃうよ……」
途端、彼は眉間に皺を寄せて心配そうな顔をした。
「ど、どうしたんだよ急に……?」
そこへテレさんが「待ちな、スティーブ」と制止して、返す言葉もなく塞ぎ込む私を、ジロリと見つめてきた。
「まさかとは思うが、アンタまだ自分を責めて海外へ行くつもりなんかい?」
ギクッ。
スティーブさんが「え!?」と驚いた表情で私を見遣る。
そして、胸の内を見透かされるように図星を突かれた私は、咄嗟に手で口を覆った。




