13-2.
「いただきまーす!」
早速、楽しみにしてたエッグブレッドに食らいつく。
サクサクの外側にゴールデンブラウンの焼き色、中は卵のリッチな味わいでふんわり!
甘い香りのシナモンとほんのりバニラがアクセントになり、朝のコーヒーに最適な甘さと食感のハーモニーが口いっぱいに広がる。
「……うんまーいッ!」
バンザイして歓喜したら、マエルが緊張気味な顔を綻ばせてクスッと微笑んだ。傍では、ばあちゃんも満足げな表情でエッグブレッドを口に運んでいた――。
エンゴロの元へ向かう支度して、紺のパーカーを羽織る。ばあちゃんに対しては、一応仕事に行くと伝えておいた。
「じゃ、行ってくるわ!」
玄関先で振り返ると、見送りに来たマエルが俺のマフラーを握りしめて、とても不安そうな顔をしている。
「本当、無事に帰ってきてよね? 事故とか起こさないでよ?」
手渡されたマフラーを受け取り、首に巻きつける。
「大丈夫だって、相棒の調子も万全だし! マエルこそ、ばあちゃんのこと頼むな」
正直、自分のことよりマエルの方がよっぽど心配。 今朝の様子からしても、ばあちゃんはマエルを責めてるように見えた。
胸に手を添えたマエルが「うん、任せて!」と頷く。どこか後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、俺は扉を開けて外に出た――。
曇り空の下で車を1時間ほど走らせ、エンゴロ宅がある住宅街付近まで到着する。車を知られてるため、出来るだけ離れた場所に路駐した。
歩いてエンゴロ宅を、建物の死角から遠目で眺めてみる。今日は土曜日で、普通なら仕事は休み。時刻は9時を回っているが、朝が苦手なあいつなら、まだ自宅にいるはずだ。
監視なんてやったことないからなぁ。
けっこう緊張するぞ……。
妙な胸騒ぎと高鳴る鼓動を感じつつも、エンゴロの出発を見逃さないよう、じっと身を潜めて監視を続行した――。
しばらく経ち、腕時計を見ると12時前。
ぬぉ〜何の音沙汰もないと、かなり退屈だぞ。
マエルは、ばあちゃんと上手くやってんのかな。
これといって目立った動きもないまま、腹が減り始めた頃だった。突然、一台の黒い車がエンゴロの自宅前に停車し、運転していた男が降りてきて玄関の扉をノックした。
……誰だ?
注意深く見ていたら、扉を開けてエンゴロが顔を出してきた。やつは咥えタバコで男と少し話をすると、一緒に車に乗り込んだ。
ヤベ、後を追わないと!
焦るようにしてすぐさま車へ戻り、2人が乗る車の追跡を開始した――。
向かった先は、様々な商店が立ち並ぶ繁華街。
服屋や装飾品店、飲食店が賑わう中、エンゴロ達は車を大通りに路駐して降りた。
他にも何台か路駐されている中に紛れ、俺も数台後ろに停車させる。
買い物でもしに来たのか?
そう思いきや、2人は店に寄る素振りも見せず、建物の間にある路地へと入っていった。勘付かれないよう角に立って路地を覗く。昼間なのに薄暗い道を進む2人が、下へ続く階段を降りていくのが見えた。
見るからに怪しいな……。
俺は警戒しつつ、パーカーのフードを目深に被り、マフラーで口元を隠して階段を降りた。ところが2人の姿はそこになく、一瞬見失ったかと思った。
よく見ると、階段下のすぐ横には扉があり、道もそこで途絶えていた。扉の上には[BAR]という木製の看板が掲げてある。
これ、地下クラブだろ。
地下クラブは基本的にバーを営んでいるが、それは仮初の姿であり、実態は賭博場と化していることか多い。もちろん、そこに出入りする連中なんてロクな奴らじゃない。
う〜ん、あんま入りたくないな……。
若干躊躇いながらも、取手を回してゆっくりと扉を開けた――。
「ギャハハハハ」
「シャレになんねぇ〜よ〜」
入った矢先に聞こえてくる笑い声。
天板に緑色のフェルトが敷かれるテーブルが5つ配置されており、各々の真上にはテーブルを照らす傘付き照明があった。満席で賑わう連中は、トランプでポーカーらしきものをやっている。
テーブル席以外は、ほとんど顔も分からないほど暗い店内の脇には、バーテンダーがいるカウンターがある。そこでは、ちらほらと酒を飲んでいる人がいた。
え〜と、エンゴロはどこいった?
不審に思われないよう、カウンター席に向かいつつ辺りを見渡す。すると、一番奥の席にエンゴロが座っているのを確認した。会話が聞こえる距離まで近づき、背を向けてカウンターに座る。
「いらっしゃい。あんたはやんないのか?」
席へ着くなり、グラスを磨くバーテンダーが話しかけてきた。
「いや、人と待ち合わせてさ」
「そうかい。何か飲むか?」
「えっと……んじゃ、ソーダを1杯くれ」
軽く頷いたバーテンダーから、ソーダが注がれたグラスを受け取る。それを一口含み、背後の会話に耳を澄ませてみる。すると、周囲の雑音に紛れながらも、徐々に覚えのある声が聞こえてきた――。
「エンゴロ。お前最近相当負け越してるよな? よく毎日こんなとこに顔出せるよ」
「あ? 金を生む魔法があっから大丈夫だよ」
「魔法? 偽札でも作ってんのか?」
「やるかよそんなもん。株だよ、株」
「ふん、嘘こけよ。お前に株なんて到底無理だろ」
「実際やるわけねぇじゃん。適当に馬鹿見つけて“株で儲けよう”って誘っとけば、トンズラこいても“暴落してスッちまった”でボロ儲けってやつよ。まさにノーリスクハイリターンってやつさ」
馬鹿……?
「上手くいくのかそれ? 本当に株が値上がりしたらどうすんだよ? 『利益よこせ』とか言われちまうだろ」
「何の銘柄を買うかは明かさねぇでおくのさ。『こっちで利益出そうなのを選別して購入する』とか言っときゃ、馬鹿はまんまとハマるって感じよ」
嘘だろ……?
「悪ぃ人間だな、お前……」
「騙される方が悪いんだって。普通、大事な金を他人に預けねぇだろ」
俺のグラスを持つ手は――怒りでプルプルと震えていた。今すぐにでも殴りたい衝動が押し寄せてくる。
エンゴロは、俺を騙してたんだ……。
でも俺だって、空き巣で物を盗もうとしたんだ。未遂で見逃してもらったとはいえ、奴を殴る資格なんて、俺にはないじゃないか……!
それに、やつが言った大事な金を他人に預けたこと自体、俺にも責任がある。
憤りと罪悪感が複雑に入り混じり、椅子から動けずにいた時だった。エンゴロが再び話し始める。
「そういや、つい最近なんて、『ばあさんに贅沢させたい』とか抜かしてた奴がいてよ。先の短い老害相手に貴重な金使うか普通? マジで笑っちまうよな〜」
老害だと……?
まさか、俺のばあちゃんのこと言ってんのか……!
ばあちゃんを侮辱された俺は、押さえ込んでいた怒りが一気に爆発し――ブチッと頭の血管がキレた。
「エンゴロッ!」
椅子が吹っ飛ぶほどの勢いで立ち上がり、奴の名を叫ぶ。フードを取って顔を露わにした俺を見て、エンゴロの目が点になった。
「な、なんだよ……! 誰かと思えば、親友のスティーブじゃねぇか」
「俺のこと騙しといて、何が親友だ! 50ポンド返せよッ!」
唐突に始まった口論で、周りも何事だと言わんばかりにシンと静まり返っている。
畜生……あの時の言葉はなんだったんだ!
『そういうことなら、お前のばあさんのために俺が一肌脱いでやるよ』
『え、でも大変だろうし、悪いよ……』
『水臭ぇこと言うなって。俺たち親友じゃねぇか――』
こいつのこと、心底信じてたのに……!
力一杯に唇を噛み締めたせいか、口の中で血の味が滲み始めた。エンゴロが呆れたようにほくそ笑んで、両手をヒラヒラさせる。
「おいおい、聞いたかよみんな? 親友に向かってヒデェこと言ってんぞこいつ。別にさっきの話は、他のやつの事だったんだけどさ」
「ばあちゃんを老害呼ばわりしといて、言い逃れすんな! それに、株券も見せないで、俺をその気にさせてきただろ! お前が自慢げに語ってた手口と、同じじゃないか!」
「ほ〜う……少しは調べてきたってわけか。ただ残念だけど、株券は全部捨てちまったんだわ。今頃騒いだって後の祭りなんだよ。分かる? っていうか、騙したって証拠は?」
エンゴロの言い訳に対し、俺は「く……!」と怯んだ。
怒りに身を任せて、勢いよく突っかかってはみたものの、奴を言い負かす根拠も材料もない。悔しさで尻込みする俺に、エンゴロが薄ら笑いを浮かべてくる。
「はぁ〜、せっかく善意で助けてやろうとしたのになぁ。親切な俺を疑ってくるとは、もうお前なんか友達ですらねぇわぁ〜。なぁみんな?」
エンゴロが周囲に同意を求めると、それに応えるように、みんなが俺を白い目で見つめた。困惑した俺がキョロキョロと見渡す。
「な、なんだよ……! 何でみんな、お前の味方みたいなツラしてんだよ……!」
「相変わらず空気読めねぇやつだな。場をシラケさせてんのが、まだわかんねぇのか? ここはみんなが楽しむ場所なんだ。その馬鹿面下げて、とっとと出てってくんねぇ?」
「ふざけんなッ!」
我慢の限界に達した俺は、ついにエンゴロへ殴り掛かろうとした――ところが、振りかざした拳をバーテンダーにガシッと掴まれてしまう。
「ここで暴れられると困るんだよ。出禁にするぞこの野郎」
「やめろ、放せよッ!」
強引に腕を引き離そうとしたら、別の男に後ろから思いっきり羽交い締めにされた。何とか振り解こうと抵抗しても、今度は2人目に掴まれて、全く身動きが取れなくなる。
それを見兼ねたように、エンゴロがゆっくりと立ち上がった。
「こりゃダメだわ……おい」
真顔になったエンゴロの号令で、周囲の連中がゾロゾロと俺を取り囲み、押し潰されるように床へ膝をつかされた。
辛うじて見上げると、照明の逆光で影になった男達が、不気味にニヤリと口角を上げた。
『本当、無事に帰ってきてよね? ――』
マエル、ごめん。
どう考えても、無事に帰れそうにないわ――。




