12-2.
髪が乾いて少しウトウトし始めた頃に、スティーブさんが「ふぇ〜」と上半身裸で首にタオルを下げて登場してきた。すかさず私がサッと両手で顔を覆う。
「ち、ちょっとヤダ、服着てよッ!」
叫びながらも、指の隙間から彼の鍛えられた体型をハラハラしながら見つめる。
分厚い胸板と、バキバキに割れた腹筋が織りなす彫刻のような体つきは、惚れ惚れするほど芸術的な美しさ。たぶん、スクラップ工場で鍛錬されたんだと思う。
私もスクラップにされたい――などと、妙な願望を抱く。
「あ、めんごめんご、ちょっとのぼせちゃってさ!」
「い、いいから早く着てよ!」
もう、テレさんから“こんなん”って言われる訳ですわ。
グレーのスウェットを着てきたスティーブさんに温湿布を貼ってあげようと「服めくって?」と頼んだら、彼はスウェットのパンツを下着ごとずり下ろし、モロに半ケツを出してきた。
「いやぁッ! そっちじゃなくて上着の方ッ!」
「えー? だって俺が痛めてるの、かなり下なんだもん」
彼の指定する箇所に何とか温湿布を貼り、一安心したところで寝室へと案内された私。
照明は消えており、窓から月明かりがほんわかと室内を照らしている。そこには、羽毛布団の敷かれたベッドが1つと、畳まれた毛布が置かれる2人掛けのソファがあった。
「マエルはそのベッド使っていいよ!」
「え、でもここ、スティーブさんの部屋でしょ? あなたはどこで寝るの?」
「俺? 俺そこ」
彼が平然とした面持ちでソファを指差す。途端、寝耳に氷水を掛けられたくらいの衝撃が走る。
「待って待って待ってウソでしょ同じ部屋なの!?」
家の大きさから考えて、薄々こうなる予感はしていた。けど、本当にそれが的中してしまうとは。
たじろぐ私に対して、スティーブさんが後頭部に手を添えて「あはは、やっぱ嫌だった?」と苦笑いする。
「い、嫌ってわけじゃないけど、先に言って欲しかったの! “心の準備”ってものがあるし……」
「心の準備?」
「聞き返さないで」
あれよあれよと、同じ寝室で寝ることに決まってしまう。
とはいえ、半ば強引に彼の家に押しかけてきたようなもの。『緊張で死ぬから別々の部屋にして欲しい』なんて、我儘を言える立場でもない。
それでも、ハプニングに備えて、もっと可愛い下着にしとけば良かったと、今更になって後悔する――。
ふかふかのベッドで横になると、スティーブさんも肘掛けに頭を乗せてソファに寝そべった。すぐさま足元に何かが当たり、やたらと温かいことに気付く。
「あれ? 湯たんぽ入れてくれてたの……?」
「ビックリした? 美味しいカレー作ってくれたお礼さ」
布団を頭まで被って「ん〜ッ」と悶える。すると「なぁ、マエル」と呼ばれたので、布団から少しだけ顔を出して「うん?」と返事をした。
「俺がいない間、ばあちゃんと何話してたんだい?」
「えへへ……内緒」
「出た〜、俺だけハブにされるやつ」
スティーブさんが笑いながら寝返り、頭に腕を組んで仰向けになる。
「そんなイジケないでよ〜。だって女同士の会話だもん。言えないって」
「意地悪なことされなかった? 俺の彼女とか、ばあちゃんが弄らないはずないし、けっこう敏感肌なとこあるしさ〜」
「し、神経質でしょ……? 全然大丈夫だった。すごく優しかったよ?」
「無理してないか? 明日はエンゴロの件で、ほとんどばあちゃんと2人きりで留守番させちまうし……なんていうか、不安でさ」
やけに心配してくるスティーブさん。声もどこか自信なさげ。
「そんな心配しないで。テレさんは、少しヤンチャなだけだよ」
彼女はボウガンを撃ってきたり、大きな瞳と声質のせいで威圧感があったり、ちょっと言い回しがキツいところはある。
けど、私はそんなテレさんに性悪という印象はなく、どちらかというと天真爛漫な感じがした。それでもやっぱり、お身体は辛そうだったけど。
スティーブさんが疑問気味に「そうかなぁ」と返してくる。
「テレさんのことは私に任せて。スティーブさんも明日は無理しないで、無事に帰ってきてね?」
「ははは、親友のところへ行くんだから大丈夫さ。あ、そうだ! 海以外にも夜景が綺麗なとこもあるから、今度一緒に行こうよ!」
「……うん、行きたい」
不意にこちらを向いたスティーブさんが、憂うような視線で見つめてきた。
「マエル、元気出せよ。これから良いことなんて、いっぱいあるからさ」
「うん……」
じんわりと、目頭に涙が滲んでくる。
シンと静まり返る寝室。置き時計の針音がチッチッチと鮮明に聞こえる――。
「……スティーブさん?」
呼んでみても、なかなか返事がこない。
音を立てないよう慎重にベッドから降りて、膝をついて前屈みになる。垂れ下がる髪を耳に掻き上げながら覗いてみると、彼はすでに目を瞑ってスースーと寝息を立てていた。ある意味ハプニング。
そっか……長距離運転で、疲れてるよね。
『今日は色々ありがとう』
て、伝えたかったのにな。
彼の髪から、ほのかに香る石鹸のいい匂い。鼻筋の通った端正な顔立ちと柔らかそうな唇に、思わず吸い込まれていく私の唇。
ドキドキ。
ってダメだよ私。起きちゃったら大変……!
小さな溜息を吐きつつ、少しだけズレていた彼の毛布を掛け直してベッドに戻った。
『……いません! ――』
から始まった、気が遠くなるほど長い1日が終わろうとしている。本当に色々ありすぎて、何度心臓が破裂しそうになったことか。
窓から見える星空を眺めながらも、自然と脳裏に浮かび上がってきたのは――剣呑な表情をしたキリアンの顔だった。
まただ……もうイヤ。
普段はいつもここから、平気で1時間以上は寝付けなくなる――ところが。
『俺はマエルのこと……信じるよ――』
途端、スティーブさんの真剣な眼差しが、元婚約者の顔をかき消すように頭を過る――胸を刺す棘のような痛みが、瞬く間に和らいでいく。
海辺で泣きじゃくる私の背中を摩ってくれたり、腰の痛みを我慢してまでクッションを譲ってくれたり、ベッドの中へ地味に湯たんぽを仕込んでくれていたり。
彼の純粋な優しさには、些細なことも含めて、包み込まれるような温もりを何度も感じた。
『可愛い』とは褒めてくれたけど、彼は私のこと、どう思ってるんだろう。
会ったばかりのスティーブさんを……好きになってもいいのかな。
でも――。
親友に騙されてるかも知れないし、テレさんも病気で大変な彼を……?
それに、庶民の彼との交際をお父さんやお母さんが許してくれるはずないよね。ウチだって、婚約破棄されて大損失してる状況なのに。
『マエル、元気出せよ――』
やだなぁ。
もう海外なんて行きたくないよ。
葛藤で苦悩している私のすぐ側で、スティーブさんが「スピー、スピー……フゴ」と、ヨダレを垂らして爆睡している。
ふふふ、呑気に幸せそうな顔して……。
愛おしく想えるほどの安心感が、思い悩む心を溶かすように、少しずつ私を眠りへと誘う。
考えることをやめて間もなく、そのまま意識はスー……と薄れていった――。




