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0-2.

 あれは10日前、冬の星空が空を輝かせる夜だった。


 私は学園時代に仲の良かった友人と、レンストランで夕食を共にしていた。久しぶりに会う友人にも婚約者が出来ていて、お互い結婚後の生活について、笑いながら語り合った。

 盛り上がり過ぎて帰りがかなり遅くなってしまったものの、何とか終電で最寄り駅に着く。人がちらほらしか歩いていない中、乗り場でタクシーを待っていた。


「はぁ……寒いなぁ〜」


 白い吐息を漏らしながら、早く帰って暖まりたいと思っていた時、背後で誰かが倒れたような気配がして、振り返ってみた。

 すると、黒いスーツを着た男性が地面に突っ伏し、嘔吐してしまっていた。男性に気を取られていた矢先、私の前にタクシーが到着する。

 半開きの窓から運転手が「どちらまで行かれます?」と行き先を尋ねてきたけど、すぐに首を振った。


「あ……ごめんなさい、乗りません!」


 看護師の資格を持っていた私は、倒れていた男性を見過ごせなかった。出発したタクシーを尻目に、男性へ駆け寄る。


「あの、大丈夫ですか?」


「う、う〜ん……す、すいません」


 背中を摩りながら事情を訊いてみると、男性は先ほどまで親族の結婚式に出席していたそう。だいぶお酒を飲んでいたらしく、どうやってこの場に来たのかすら曖昧だと言う。


「どちらからお越しになられたんですか?」


「えっと……ウ、ウェストエドムールです……オェッ」


 かなり遠方から来ている。もう汽車はないし、タクシーで帰れる距離じゃない。そこへ、男性は虚な目をしながら口を開いた。


「も、もう、あそこのホテルに泊まりまオロロロロッ!」


「わ、わかりました! そこまで送りますから、もう少し頑張って!」


 胃液しか吐けなくなっていた男性の肩を担ぎ、すぐ近くにあったホテルまで運ぶことにした私。


 途中、歩道の段差に躓いて男性に思いっきりヘッドロックしながら薙ぎ倒してしまったけど、なんとか無事ホテルに到着。運よく空き室もあった。

 受付の人は、ミディアムの黒髪と左目下のホクロが特徴的な、ホテルマンらしく清潔感のある男性だった。

 とりあえず、字も書けそうにない男性の代わりに、私の名義で一部屋借り、前払いで清算を済ませる。


「では、ごゆっくり。何かご要望がございましたら、内線にてお呼び下さいませ」


「はい、ありがとうございます。でも、泊まるのは私じゃなくて、あそこにいる男性なんです」


 玄関の方を指差すと、受付の人はそれを見遣って「なるほど」と数回頷いた。


「かなり酔っているみたいなので、ご迷惑おかけしてしまうかも知れないんですけど……」


「いえいえ。今日の様な週末には、そういったお客様もたくさんいらっしゃいますから。ご心配には及びません」


「助かります! あ、お水を一杯頂いてもいいですか?」

 

 心強い言葉をもらって受付を済ませた私は、玄関先で項垂れるように座って待つ男性に、ポンポンと肩を叩いて声をかけた。


「空いてる部屋ありましたよ! あと、これ飲んで下さい」


 受付で貰った水を一気に飲み干した男性が「……マジで助かりました」と安堵の表情を浮かべる。

 これで一安心かと思いきや、重そうな腰をゆっくりと上げた男性は、不意に唇を尖らせて「ん〜、お礼にチューさせてくれ〜」と、ふざけながら抱きついてきた。


「ち、ちょっとヤダ、しっかりして下さいよ!」


「だって君、めちゃくちゃ可愛いんだも〜ん」


 突然の抱擁に困惑した私が、苦笑いで男性を引き剥がす。お酒の匂いもすごい。


 こうして部屋の鍵を男性に渡し終えた私は、ホテル前を偶然通りかかったタクシーを捕まえて帰宅した――。


 恐らく、写真は男性から抱きつかれた瞬間を激写されたもの。


 貴族のスキャンダルをつけ狙う『パパラッチ』と呼ばれる人の仕業と思われる。もっと高貴な令嬢ならまだしも、まさか男爵令嬢の私まで標的にされるとは、予想だにしていなかった。


 で、でも大丈夫……これは明らかに、誤解なんだから――そう自分の心に言い聞かせながら深呼吸をし、落ち着いて説明する。

 

「違うよ、キリアン……これはお酒に酔って倒れちゃった人を介抱してただけなの。当時ホテルの受付をやってた人に訊けば、証明できるはずだから」


 言い終えた間際、キリアンが意外そうに片眉を吊り上げた。


「何を言っている。写真を持ってきた奴こそが“ホテルの受付”だったんだぞ? お前の直筆でサインされた名簿も、しっかりと確認させてもらった」


 一瞬にして全身が凍りつく。


 え、何で()()()が、私を貶めるようなことをするの……?


 何がなんだか分からなくなり、頭が真っ白になりつつも「……待って! そ、そんなはずない!」と苦し紛れに返す。

 しかし、キリアンはそれをあしらう様に、鼻を鳴らして腕を組んだ。


「ふん、どうだか。彼はこの写真を持ってきた際に『とても愛し合ってるように見えました』と、複雑そうな顔で言っていたよ」


 信じられないと驚きながら、改めて写真に目を落とす。

 よく見ると、写真にはホテルの玄関である“ガラス張りの扉”が内側に写っていたことに気付く。アングル的にホテル内部から撮影されたものだ。

 状況整理が追いつかずに、息をのんで黙り込んでいたら、キリアンが「おい」と呼んできた。


「俺が大学で必死に勉強してた時に、お前は抜けぬけと他の男に抱かれてた訳だ。そんなにこの男と相性が良かったのか?」


「わ、私は人助けをしただけで、浮気なんかしてないの! お願い……信じてよ……!」


 今にも気を失いそうになりながら、前傾姿勢で必死に誤解だと訴える。それでも、彼は表情を強張らせたまま、肩をすくめた。


「写真は嘘を吐かないだろ? 俺だって信じたくなかったが、最期くらい……正直に自白して欲しかった」


「そ、そんな……」


 胸が切り刻まれる感覚に、膝へ置いていた両拳に力が入る。

 諦めきれない私が「でも――」と言いかけた途端、ポグバ家当主であるフロリアンさんが「いい加減にせんか!」と声高に遮ってきた。


「もう言い訳は十分だ。貧相なカスカリーノ家を救ってやろうとした、私の温情まで無碍にするとはな。お前には人の心というものがないのか?」


 人の……心……?


「そうよマエル。あなたはお淑やかで、こんなことをするような子じゃないと思っていたけれど、本当に残念でならないわ」


「ソレンヌさんまで……」


 フロリアンさんに続いた夫人のソレンヌさんは、何度もお茶や買い物で一緒に親睦を深めた人。そんな夫人が、未だかつて見たことないほど目くじらを立てて、冷徹な面持ちをしている。


「散々可愛がってあげたのに。もちろん貴女は、こんな不埒な行動がどういうことに繋がるのか、理解しててやったのでしょう?」


 口を開けたまま唖然とする私に、返す言葉なんて思い浮かぶはずもない。

 誰にも言い分を聞いてもらえず、あれだけ優しかった夫人からトドメを刺されたことで、抵抗する気持ちは完全にポッキリと折れてしまった。


 目に涙を浮かべて意気消沈する私を見兼ねたのか、フロリアンさんが厳しい顔で天井を仰ぎ、大きな溜息を吐く。


「もうよい……後日カスカリーノ家には、正式に書面で婚約破棄を言い渡す。覚悟しておけ」


 無慈悲な宣告を受けた私は、まるで糸の切れた人形のように体から力が抜け、床に泣き崩れた――。

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