7-1.緊急事態(スティーブ)
砂浜に腰を下ろして肩を寄せ合うマエルと、しばらく黄昏れるように海を眺めていた俺。
空き巣に入った屋敷の令嬢と、こんなことになるなんて思いもしなかった。
しかし、やっと泣き止んで落ち着いてきた彼女とは反対に、俺はかなり焦っていた。
ちょっともう腰痛がヤバい――と。
タクシー運転手は長時間座って仕事する都合上、腰痛や痔になりやすい。いわゆる職業病ってやつ。
さっき小石を投げた力みのせいで、椎間板が微妙に飛び出たっぽい。しかも、ただでさえ医者から『慢性的な腰痛は冷やしてはいけない』と警告されてる状態なのに、これは非常にまずい。
まさか、冷たい砂浜にここまで長時間座り込むとは、予想外にもほどがあるぞ……。
そして、風に靡くサラサラとしたマエルの髪から漂ってくる“シャンプー、桃の果汁使ってるのか”ってくらい、甘く可愛らしい香りが超絶たまらん。
俺とか石鹸で髪洗ってんすけど。
早く立ち上がって腰痛の悪化を防ぎたい、という焦り。このままアロマっていたい、という気持ち。
2つが入り混じる、複雑な葛藤と闘い続けた俺は。
「……そ、そろそろ行こっか!」
あえなく腰の保護を優先するに至る。しかし、こともあろうか、マエルが小さく首を横に振ってきた。
「ううん、もう少しだけ……このままで居させて」
何ーッ!
そんな気に入っちまったのか、この素晴らしき景色をッ!
「……わ、わかった」
まぁまぁ『うん』を期待してた俺。
断腸の思いで少しだけ浮かせかけたケツを、再び氷砂へ着地させる。すると今度は、マエルがコツンと俺の肩に頭を預けてきた。
ぐふぉ……!
今の俺に荷重をかけるのは勘弁してくれ……!
だが、お互いに膝を立てて座る身体は脚までピッタリとくっついており、完全に身動きが取れない模様。
『今めっちゃ腰痛だから立ちたいんだけど』
そんなダサいことを、この空気感で暴露できるほど俺は強心じゃない。
そこへマエルが不意に俺をチラ見してきて、心配そうな顔をしだす。
「あれ……なんかスティーブさん、顔色悪くない?」
「き、気のせいだよ」
苦し紛れに誤魔化すと、彼女は前を見つめたまま膝に顎を乗せた。よし、肩の荷重が和らいだぞ!
「あ、わかった〜。私がティアラとネックレス投げたこと、後悔してるんじゃない?」
いや、それはモロ見当違いっす。ケツを下ろしてしまったことに、メチャクチャ後悔している真っ最中なのだから。
「そ、そんなことないよ! 君の叫びは、150ポンドに見合う最高の出来だった」
「本当? えへへ、けっこう過激なこと叫んじゃったけどね〜」
『汽車に轢かれてくたばっちゃえーッ! ――』
確かに彼女の罵声は、イメージを遥かに超えるエグさはあった。だが、このまま椎間板が爆烈したら、もっと過激な事態に陥ると思う。もちろん俺が。
「あといっぱい泣いたら、すっごいスッキリした!」
(おーそっかそっかそれは良かったじゃあいい加減車に――)
ほぼ口パクで喋る俺に向かって、マエルが唐突にはにかんだ笑顔を見せてくる。
「全部スティーブさんのおかげだよ……ありがとね!」
それはあの写真と同じ微笑みで――天使が舞い降りてきた瞬間だった。
言葉を失い、時が止まったように固まる俺。
そうか。
俺は、この笑顔を見るために生まれてきたんだ――。




