6-1.決別(マエル)
「綺麗……」
自然に私が呟くと、スティーブさん笑いかけてきた。
「砂浜の方に降りて、もっと近くで見てみようよ!」
「うん!」
ものっすごいテンションが上がり、彼と一緒に丘から砂浜へと降りていく。段々と近づいてくる波打ち際。寄せては引いていく、心地の良い波音に癒される。
海に来たのなんていつぶりだろうか。多分10年以上前、お父さんに連れられてきた以来かも。
「やっぱ風が少し冷たいな。寒くないかい?」
「ううん……着込んできたから、大丈夫」
しかし彼は、懐から銀製器のホッカイロを取り出して「はい」と手渡してきた。屋敷を出る前に暖炉から炭を拝借してたのは、ホッカイロに詰めるためだったみたい。
「あ、ありがとう」とお礼をして、握りしめる。
大丈夫だよって、言ったのに。
でも、すごい嬉しい。
冷えた指先に、じんわりと染みるホッカイロの温かさに有り難みを感じつつ、隣で海を眺めるスティーブさんを見上げて尋ねる。
「どうして、海に連れてきてくれたの……?」
彼が視線をそのままに口を開いた。
「ここ、気分が落ちた時によく来るんだ。まぁどっちかというと、今日は俺が来たかったのもあるかな」
思えば彼も財産を失ったばかり。その心中が穏やかでないのは解る。
「そっか……というか、スティーブさんも普段落ち込むことあるんだ」
「ははは、もちろんだよ! タクシーの仕事してると、嫌味なお客さんに結構当たっちゃったりすることもあってさ」
彼はリスドンで仕事をしていた時の苦悩話をしてくれた。
酔っ払ったお客にシートへ嘔吐されたり。
無賃乗車で逃げられたり。
過度に“スピードを出せ”と後からシートを蹴飛ばされたり。
色々と無秩序なお客達のせいで心労が絶えない、と語るスティーブさん。
「酷い人達だね……」
「まぁな。でもこんな広い海を見てると、自分の悩みなんか、ちっぽけに思えたりするんだ」
「そうね……」
「マエルの悩みがちっぽけって言いたいワケじゃないよ? なんていうか、君の気分が少しでも晴れてくれたらいいなぁ〜、なんて思ってさ」
「ん……」
また返事が出来ないくらい、胸が締め付けられる。
満面の笑みを浮かべるスティーブさんから、再び海に視線を移して見渡す。夏は海水浴で賑わう浜辺も、この時期は人っこ一人いない。
薄らと横一線に伸びる地平線をじっと眺めてると、意識がぼーとしてくる。するとスティーブさんが、足元にあった小石へおもむろに手を伸ばした。
「ホントにむしゃくしゃしてる時なんかは、こんな風に転がってる石とか拾って、大声で叫びながら海へ投げたりするんだ!」
「へぇ〜、何かスッキリしそう! 今なら誰もいないから気にせず叫べるし」
そういうと、彼が上に投げていた小石をパシッと右手に握って「じゃあ、お手本見せてあげるよ!」と言い始める。さらに、何か思い付いたようにこちらを見てきた。
「じゃあ、ここでクイズです! 俺は何と叫ぶでしょーか? へっへっへ〜。もし正解したら、帰りにココア奢ってあげるよ」
どこか挑発じみた出題に、私は頬に人差し指を添えた。
「え〜、何だろ……って、今私が答えたらクイズにならなくない?」
彼が「へ?」と目を丸める。
「だって、私の答えと別なこと叫ぶだけでしょ? それだと勝負にならなくない?」
「あ〜そっか、なら頭の中で想像しててよ! 俺が叫んだ後で答え変えるとかナシね!」
「う、う〜ん」
何それ、私の勝ち確じゃん。
本当に天然なんだ……――笑うのを堪えながらも、ひとまず彼が何と叫ぶか予想してみる。
何だろう?
やっぱ“株の馬鹿野郎”とかかな?
ニヤける口元を両手で隠しながら見ていると、息を吸った彼は大きく振りかぶり――。
「株の馬鹿野郎ぉぉぉおおッ!!」
と叫んで小石を投げた――。




