5-1.夢心地(マエル)
「俺はマエルのこと……信じるよ」
スティーブさんが、俯いて涙する私にダウンコートを掛けてくれた途端――時が止まったかのように感じた。
指先で涙を拭いながら顔を上げたら、彼が青く澄んだ綺麗な瞳で、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
やだ……く、苦しい。
あったかいコートに包まれる中、胸がギュウーッと締め付けられる感覚に襲われ、声が出ないほど息が詰まる。
『どうして信じてくれるの?』なんて、聞き返す必要がないくらい――妙に彼の言葉が心に重く、強く響いていた。
「あ、ありがとう……」
「辛かったろうな」
これ以上、スティーブさんと目を合わせていられず、そっと視線を逸らす――。
しばらくの沈黙が続いていたら、彼が「そういえば、両親はどこへ?」と質問してきた。
「……え、えっと、し、親戚のところへ出掛けたんだよ。私の引越し先を相談しにね」
スティーブさんが「引越し先?」と片眉を上げる。
私が“浮気して婚約破棄をされた”という醜聞は、あっという間に社交界で周知されてしまっている。
絶望的な私の処遇に悩んでいた両親が向かった先は、海外に縁を持つ親戚の家だった。親戚の家は遠くて相談する内容も深刻なため、2泊3日してくるとのこと。
「な、何で海外なんかに引っ越す必要あんの!?」
「だって、もう国内の貴族社会に私と結婚してくれる人なんていないもん……仕方ないよ」
「いやいやダメだろそんなの〜!」
スティーブさんが立ったまま、表情を歪めて頭を抱える。
「な、何で貴方がそんなに落ち込むの?」
「え? だってマエルは浮気してないんだろ? 可哀想過ぎるって」
「そんなこと言われても、もう私は自分の運命を受け入れたから……」
運命を受け入れたとは言っても、そんな簡単だったわけじゃない――。
婚約破棄された日を堺に食は細くなり、幾度となくキリアンと過ごした日々が頭を過って、その度に胸がズキズキと痛んだ。
こんなに辛いなら、海外へ移住して心機一転する他ないと思った。言葉の壁や文化の違いに苦労するかも知れない。けど、何かに集中していれば、少なからず痛みは忘れられるはず。
そうやって無理矢理にでも納得しようと、自分へ言い聞かせてきた。
「今日だって、これから一人旅に出ようかと思ってた矢先に、貴方が入ってきてすごい焦ったんだから」
「一人旅……あ、だから両親と行かずに屋敷にいたんだ?」
「ううん。留守番してたのは、一緒に行く気になれなかっただけ。旅しようなんて思ったのも昨晩なんだ。なんか……3日も屋敷に独りで居たら、余計思い詰めて気が滅入っちゃいそうでさ」
眼を瞑ったスティーブさんが「なるほどね……」と腕を組む。椅子から立ち上がって壁の鏡で自分を見たら、燃えるように顔が赤くて、急に恥ずかしくなった。
「……だ、だからこんなところでゆっくりしてる時間ないんだって。とにかく、空き巣は未遂に終わったことだし、貴方のことは咎めたりしないから……もう帰っていいよ?」
スティーブさんが「え、でも、不法侵入しちまってるんだが……」とオドオドし始める。
「不法侵入は“住人が訴えなければ罪に問われない”の! もういいから出てって! とっくに支度し終えて、これからタクシー呼ぼうとしてたんだから!」
スティーブさんの背中を押して寝室から押し出そうとしたら、彼は「おーちょっと待てって!」と踏ん張ってきた。
「もう、何?」
「ここにいますけど? タクシー運転手」
「……え?」
そうだった。
サラリと聞き流してたから、ウッカリ忘れてた――。




