2
「いや、経営者が変わる。どうも人間関係のゴタゴタと経営方針で乗っ取りにあったみたいでね。ここの店長が腕をふるうのは今月までなんだよ。新しい経営者は売り上げ伸ばすことを重視して質を落とすタイプだから、そこらのチェーン店と同じ味になるだろうね」
相変わらずこの世の全てのことを知り尽くしているかのようなものの言い方だ。そういうのをピックアップして嗅ぎ分けるのがうまいんだろうけど。
「だからお前はここの経営者に会いに来たってところか?」
風間さんの声がわずかに殺気立つ。芸能人だけじゃない、その人が一番満ち足りているときに死神が現れるのは一般人も同じってことか。それにここで食事をしているならここの料理のファンということで。推しってことか。
「会いたがってるのは向こうだよ? 一押しを欲しがってる」
夕方の海岸にでもいるかのような気分だ。人がはけて波の音しかしない。でも日が沈んであたりが暗くなって夜になる。そして全てを覆い隠してしまうかのような、そんな独特の雰囲気。変な言い方だけど、俺が全然気がつかなかったのもこいつに生きている気配が感じられないからっていうのがある。人って感じがしない。
「お待たせしました」
そんな空気が、コーヒーを持ってきた店員の一言で一瞬途切れる。俺達と大体同じ歳位の男だった。
「こちらが本日のコーヒー、ブレンドとなっております」
「あ、俺です」
ブレンドコーヒーを俺の前に置いて、キリマンジャロは風間さんの前に置いた。正直そこまでコーヒーガチ勢ではないので豆とかはあまりこだわってない。でも店員がうれしそうに話しているように見えたのが少し気になった。
「コーヒー好きなんですか」
「あ、はい。本当はコーヒーに力を入れてるんですけど、料理の方が有名になっちゃって。最近コーヒーがあまり出なかったからちょっと嬉しくて」
店長か、この人。自分が調理場に立てるのが残り少ないから積極的に調理や配膳に出てるってところか。自分が一番注文して欲しかったコーヒーが出たのが嬉しくて自分から来たんだな。
風間さんはコーヒーについて詳しいらしく豆や味について店長と少し話を始めた。俺は話についていけないから一口コーヒーを飲む。
「美味い」
思わずぽろっと口に出していた。2人は会話を止めて俺を見る。
「いつも缶コーヒーとかインスタントで済ませてるけど、ドリップしたコーヒーってこんなに美味しいんですね。舌馬鹿な俺でも味の違いが分かりました」
「ありがとう、ございます」
心からの感謝と言う雰囲気だ。……この人、もう店を出す気はなさそうだ。いやそもそも生きるつもりがないのかもしれない。一体どんな揉め方をして乗っ取られたのか知らないけど、もういいやって思えるくらいにはやり切ったのか。
「そう言っていただけるのが一番嬉しいです」
そう言って彼は厨房へと戻っていった。視線を前に戻すと風間さんがニヤニヤしながら俺を見ている。
「なんですか」
「天然のタラシだなあ」
「は?」
意味がわからないでいると死神もなんだか楽しそうな感じだ。
「やってくれるね。背中を押すんじゃなくて別方向からの一押しをくれてやるとは」
「意味わかんないんだけど」
「鳩尾に一発入れられて、我に返ったってところかな?」
「美味かったから美味いって言っただけだ。それに何もかも全てを失ったら、何やっても許されると思うのは当たり前だろ。自分がやりたいこと再認識しただけだ、俺に後押しされたわけじゃない」
「経験者が言うと説得力が違うなあ」
俺の場合は全てを失ったんじゃなくて最初から何もなかったんだけどな。でも失敗しても失うものは何もないっていう意味では共通してる。
「面白いっていうか、退屈しないっていうか。そういうところ、本当に好き」
死神の言葉にブッハ! と風間さんがコーヒーを吹き出しそうになった。ケホケホとむせて、おしぼりで口元を押さえる。
「鼻から出た、イッテエ、く、ふふふ」
「やめてくださいよ。イケメンなのに何してるんですか」
肩を震わせながら笑っている風間さんにペーパーナプキンを渡す。面白すぎるだろ、とツボに入ったみたいだ。ふと見れば死神はいなくなっていた。立ち上がったことにも気がつかなかった、相変わらずステルスレベル999みたいなやつだな。
「はー、笑った笑った。近年稀に見る思いのこもった好き、だったな。参考にしたいくらいだ」
「聞いていいですか、さっきの会話であいつを喜ばせるポイントってどこにあったんですか」
何がそんなにお気に召したのかさっぱりわからない。
「そりゃお前、全てを失ったら何やっても許されるって考え方だよ。普通は何でもやってやんぜ、が正解じゃん?」
「同じじゃないですか」