八月の紫陽花は奇麗
次の日当たり前だが添田は出勤しなかった。俺一人で仕事を回すのは無理だということで、俺の所属する派遣会社からこういう仕事ができる人をピックアップしてヘルプに来てもらった。
来てくれた人はよほど作業に慣れているらしく添田よりも優秀だった。パーソナリティの交換を申し出たが、やっぱり俺の声のファンが多いということで契約期間中はそのまま進めることになった。契約継続も頼まれたけどそれはしっかりと断った。
作った声に過剰にときめいてくれる。真実の姿より作り出されたものの方がウケが良いのは昔から変わらないらしい。
あれから一週間が過ぎた。添田は仕事を辞めたと人事総務から説明を受けた。なんでも書類を送りつけてきてろくに連絡も取れなかったらしい。当たり前だが自首なんてしてないだろう。どうだっていいんだ、捕まろうが逃げようがどっかでくたばろうが。俺の人生にお前は必要ないから。
ウェブラジオは同じ会社内の部署異動で新しく来た人たちと一緒に制作にあたっている。軽い自己紹介の他にはほとんどプライベートの話をしていない。俺にとっては居心地が良い空間だ。
アイドルの推し活を取り上げていたコーナーもあと二回で終わることが決まった。あまりにもマナーの悪い人が多く見受けられたからだ。自分の推し以外は存在を認めない。そんな感じの投稿ばかりで、これはやる意味がないと会議で決まったとの事だった。要するにこれをやったところで何も金が動かないと見切りをつけられたってことだ。
普通に人気が出てきているアイドルの紹介等に切り替えたところ、自分の好きなアイドルを推したい人の投稿があっという間に集まった。誰かを貶すのではなく、自分の好きなものを自慢していいとなると途端にマナーが良くなる。当面はこれでやっていくようだ。
ふと窓から見える他人の家の庭に生えている汚い花が目に入る。紫陽花が、猛暑もあって完全に枯れてきている。あんまり暑さに強くないって話だ、急な気温の変化についていけなかったんだろう。やっぱり八月の紫陽花、見てられないっていうか。見る価値がないな、今の俺みたいに。
「八月の紫陽花」は婚期を逃して恋愛を諦めている女性を紫陽花と重ねあわせたドラマだった。結局見てないが、ネタバレのブログ記事はすぐ見つかった。
年下の男との恋愛ドラマ。キスシーンだけでなくベッドで語り合う今時珍しい性的要素を入れたドラマだった。もしも東風晴海が出ていたらこれまた大騒ぎになっていたに違いない。恋愛要素を排除しているアイドル、それが恋愛模様を描いてくれるのだ。ファンはそれを見て「男」の東風晴海を見ることができる。
最初は炎上して、でも最終的には受け入れられたんだと思う。マーケティング戦略としては、晴海の方向性は正しかった。俺が出ていたらどんなドラマだっただろう。風間さんが出たドラマだから、もうあのドラマは風間さんのものだって思ってるけど。
綺麗に咲いた後に嘲笑まじりに見られる紫陽花。人間と同じだ。上っ面だけの綺麗な部分は一瞬で、すぐにすさまじい枯れ方をして小汚くなる。俺はそっちを意識しすぎて、晴海の思った通りの演技ができなかったんじゃないかって思う。
あいつが望んだのは役者に転換する東風晴海。俺がやりたかったのは、現実味がないキラキラした東風晴海。絵本みたいに、絶対に現実にいない王子様。そうすることで「東風晴海は身近な存在じゃない」という線引きをした状態でいたかった。
一線引いていれば……俺にとって都合のいい「東風晴海」が永遠に輝き続けていられる気がした。そんな考えは八月の紫陽花そのものだ。きらきらした六月の紫陽花だけみて、気が付いたら枯れている。目先しか見ていなかった俺と違って十年先まで見据えていたのは晴海の方だった。お前はいつまでも、最高に俺の推しなんだよな。さっさと消えて欲しいのに。
スマホに通知がきた、風間さんからのメッセージだ。写真を送ってもらうために連絡先を交換したんだけど、連絡がくるのは初めてだ。まず写真、花だ。その下にメッセージが続いている。
「玉段花、っていう品種で遅咲きの紫陽花。八月に咲くやつ」
そんな紫陽花あるのか。それにしても地味だな、華々しさがない。知らない人にこれ紫陽花だよって言ったら「マジで?」って言われそう。
「六月に見ごろの紫陽花と違って地味だろ。比べちまうとそう見える。でも、八月はライバルがいない。みんな枯れてるからな」
……それは、確かに。
「だから、夏の太陽の下で輝ける。俺は演じてる時、ヒロインをそう思いながら演じてた。おかげ様でその年の日本アカデミー賞ドラマ部門で主演男優賞もらった」
やられた。この人には敵わない。マイナス思考の俺には絶対に思いつかないことを自然とやってみせるんだもんな。面倒な事に巻き込まれちまったな、と気分が上がらなかったけど。夏でもたまに吹く涼しい風が通ったみたいにすっきりした。
おめでとうございます、というスタンプを返した。「そっけなさ過ぎんだろ」と、何かのキャラが爆笑しているスタンプが返って来る。
この人のファンになることはない、推しでもない。晴海とは違う物事の捉え方ができる対極の人。身近な存在となることはないが、一線を引いた世界で輝き続けるんだろう。当時「俺がなりたかった東風晴海」そして「晴海が望んだ東風晴海」みたいな人だ。
「お先に失礼します」
「お疲れ様。さっきちょっと笑ってたみたいだけど、何かいいことあった?」
正面の席だから見えていたらしい。自然と笑ってたのか、気がつかなかった。俺は当たり障りのない作り笑いを浮かべる。
「今日いつも行く弁当屋のタイムセールなんですよ。定時上りだと混む前に絶対から揚げ弁当買えるんだよなって思ったら、つい」
タイムセールって言えば急がないといけないんだというのが伝わりやすい。気のきかない中年のおっさんだったら酒のつまみにとか始まるけど、主婦であるこの人には通じるはずだ。
「それは急がないとね、引き止めてごめん」
「いえ。お先です」
ほらな。
今日も俺は演じていく。半井崇を。
「もう間もなく電車が参ります。当駅では止まりませんのでご注意ください」
電車は遅れているみたいで三十分ぐらい前に通るはずだった特急がこれから来るらしい。駅はひどい混雑だ、前の電車が満員すぎて乗れなかったから見送った。おかげで列の一番目に来れている。
あれから添田がどうなったのかはわからない。わざわざ探す必要もないし向こうが何か俺に敵意を向けたアクションを起こすとも思えない。また殺しにかかってくるっていうのも現実的じゃないしな。
明石さんの件でたぶん逮捕状は出るだろう。突発的な犯行だろうから証拠や目撃者、なんなら道端の監視カメラにも映っているはずだ。どうでもいいな。散々な目にあったんだ、何も影響されずゆるく生きて行きたい俺にとってはもうこれ以上波風を立ててほしくない。




