東風晴海 1
俺はいわゆる私生児で戸籍なんてなかった。自分が世界一不幸なヒロインだと思ってる気色の悪い母親と一緒にいるのが嫌でフラフラしていた。学校なんて行ってなかった。晴海と会ったのはそんな時だ。俺たちが異母兄弟だと説明され、俺は不倫相手の子供だと初めて知った。
成長期にデビューしたということもあって、成長するにつれ顔つきが変わっても誰も気づきやしない。貧乏みたいだから金持ちの生活させてやるよ、という言葉に俺はついていった。四日間何も食べてなかったからなあの時。縋るのは当たり前だ。
そう簡単にうまくいくだろうかと思ったが、デビューして二ヶ月しか経っていないこともあって世間では全く認知されていなかった。事務所のタレント一覧の顔写真くらいしか顔のわかるものがなかったからな。俺の顔と比較されても何も問題ない、あいつの言ったとおり気づいた人間はいなかった。同じアイドルグループのカンパネラの連中さえ誰一人気がついてなかったからな。
あいつのマーケティング戦略は完璧だった。俺の予想以上にあっという間に売れまくった。曲を出せば一ヵ月以上は一位を独占し、東風晴海の関わった商品売り上げだけで一千万を超える位になった。表沙汰にしない部分での企業とのコラボや今後の企画等も全部あいつが絡んだ。晴海の考えるアイディアは全て大ヒット。金を生み出す錬金術師なんじゃないかっていうくらい凄まじかった。
俺は演じ続けた、晴海の指示通りの「東風晴海」を。そうしていくうちに俺たちの間に意見の食い違いが起き始めた。東風晴海はあいつのものだ、俺はただ演じているだけ。口を挟む権利なんてない。
それでもかなり強引なやり方になってきて、ファンの間で軋轢も増えた。過激な思考のファンによる殺害予告など警察沙汰になるようなことも次から次へと。そういうのも全部戦略で、炎上商法ってやつだ。実際SNSの裏の掲示板にアンチを装った過激な書き込みをバイトに指示してやっていたのはあいつだ。
もともと態度がでかく命令口調で上から目線、俺は最初からあいつの事が嫌いだった。だからその頃から結構喧嘩が増えた。喧嘩そのものが生産性のない時間の無駄だというのがあいつの考えで、いつも一方的に打ち切られたけどな。
そしてとうとうあいつがアイドルから役者になるための画策が始まったあたりで、俺は東風晴海を辞めることを告げた。
当然すごい喧嘩になった。喧嘩っていうかあいつがめちゃくちゃ俺を罵ってきたんだけど。それを聞いてわかってしまった、こいつが俺をどういう風に思っているか。猿回しの猿くらいには思ってくれてると信じてたけど、それすら達してないんだってわかった。
「やめるっていうんだったらこれから東風晴海が稼ぐだけの金を用意してから辞めろ、クソ野郎! お前には無理だろ!? 身の程を知ってから言えよ、お前頭悪いんだからよぉ!」
憎しみに染まった顔でそう言われて、俺は海外の銀行口座の残高を見せた。あいつは絶句した、そこには億単位の残高が表示されていたからだ。
一体いつ、ろくに学校も行っていない馬鹿なお前がどうやって金を稼いでいたのか。いろいろまくし立ててきたけど、言いたいことを一通り喋らせてから俺が言ったのは一言だけ。
「契約破棄成立だ、文句あるか」
顔を真っ赤にした晴海だったが何か言おうとしてぐっと堪えた。感情を理性で抑えることができるからこそ金稼ぎができていたからな。
瞬時に頭を切り替えたらしい。役者になるために海外へ留学をするっていうシナリオにする、チケットの手配と養成所の手配は俺がやるからお前は何もするな。そう吐き捨てると部屋を出ていった。
金を持ってこい、これは絶対に言われると思ったから準備してた。もちろん金の準備じゃない、金がすごくあるんだって思わせるための偽装準備。海外口座なんて持ってない。詐欺めいた手法で荒稼ぎをしてた晴海のそばにいれば、俺もそれなりにそういう知識が身に付く。
偽物づくりはほぼ完ぺきにできていた。わざと口論をしてあいつの頭に血をのぼらせて、冷静な判断ができない状態で見せる。これから稼ぐであろう金額を持って来い、こう怒鳴られたら俺の勝ちだと確信していた。
プライドが高いから根掘り葉掘り聞くなんて真似はしない。金稼ぎで俺に負けたなんて絶対に認めたくないだろうから。東風晴海なしで今後稼ぐにはどうするか、新しいアイドルグループの立ち上げとか一瞬で頭を切り替えるだろうと思ってた。長い付き合いだ、それぐらいわかる。
めちゃくちゃ頭がいいやつだから俺の想定外の反応したらどうしようかって内心ヒヤヒヤもしてたけど。
アメリカに行く日は人気投票期間中だ。記者会見もない状態でいきなりそんなことをしたら世間がどんな荒れ方をするのか俺にも想像つく。その後の事はお前には関係ないだろと言って一切何も教えてもらえなかった。俺もそこまで興味なかったから後は好きにしてくれっていう気持ちだった。
あいつが用意したのは養成所なんて立派なもんじゃない。十人しかいないような小さすぎる劇団のグループだった。間違いなく俺への嫌がらせだ。マスコミが騒いだときに実際に演技を学んでるっていう実績がないといけないから適当に見繕ってたって感じだ。
最終的にはあいつは俺が目の前にいて話しかけても一切無視して会話もしなかった。そのことが子供じみていてアホらしくなって俺も事務所には寄り付かなかった。
アメリカに行く飛行機は夜の便だ。人目につかないからちょうどいいかと思っているときに、いきなり。
「いきなり腹を刺されたもんだから、そりゃもう大変だったよ。お前自分で刺しておいて、悲鳴あげて逃げたもんな」
「あ、あ、なんで、おかしいだろぉ!?」
「お前の頭の話?」
「俺はちゃんと殺した! ちゃんと死体だった!」
「お前が逃げ出した後、俺も必死こいて自分の家に戻ったんだよ。たまたま刺された場所は俺の住んでたところとマジで近くだったから。病院行ったら間に合わないから、自分で腹縫ってちゃんとアメリカに渡った」
化物を見るような目で俺を見る。そりゃそうか、普通病院に行くもんな。あの時はとにかくアメリカに行かなきゃ、頭のイカレた殺人鬼から逃げなきゃ、……早く、晴海から離れなきゃ。そんな思いだった。出血性ショック状態にならなかったのは奇跡だ。内蔵に刺さらなかったのもな。飛行機の中で二回気絶したけど。
「日本に戻ってきたらその日にお前とすれ違ってすげえびっくりした。え、俺刺した奴じゃん、てな」
六年経って身も心もすっかり別人になれたと思っていた俺は、たったそれだけで東風晴海に戻りそうになった。
六年前の俺はアイドルの東風晴海が精神的に結びつきすぎていて、自分との区別ができなくなっていた。さすがに六年も経てばあれは過去の事だからと割り切ることができる。でも、ふと気を抜くとまた「東風晴海」が出てしまう。




