第1章 第1話 初めての
僕がデスゲーム運営に拉致されたのは、5月の放課後。どう死ねば周りに迷惑がかからないか真剣に考えていた時だ。
そしてそれから1ヶ月後。僕は拉致された時と同じ車、同じ格好で高校に戻された。
時刻は朝、登校の時間。死にたいと思うほど嫌がっていた学校が今では天国のよう……だとは全く思わないけれど。デスゲームが行われた逃げ場のない無人島に比べれば億倍マシだ。
にしても暑いな。そうか、もう6月だもんな。冬服のブレザーを着ているのは5月の格好のままの僕だけ。教室である三階の2年B組に入ると窓が開いておりカーテンが揺れていて。
「…………」
僕の机には花瓶が置かれていた。
「……そうだったな」
1ヶ月ぶりに自分の置かれていた境遇を思い出しながら窓側最後尾の席に座る。さすがに机に落書きはしないくらいの良識はあるか。……いや、机の中にはプリントの余りやゴミが詰まっている。まぁ文字通りゴミ箱ってところかな。
「あれ? あれあれ永瀬くんじゃーん!」
現状を認識していると金髪のチャラチャラした男がニヤニヤしながら近づいてきた。……見覚えはあるが名前は思い出せない。こんな奴のことなんかどうでもよくなるほどの過酷な時間を過ごしたからな。当然と言えば当然だ。
「1ヶ月も来ないから死んだのかと思ったわ。ほら、ちゃんと弔ってあげてるだろ?」
こいつの発言はすぐに嘘だとわかった。カーテンに当たるか当たらないかのところに置かれた花瓶の中の花はしおれている。どうせ来なくなった直後に置いてすぐに飽きたのだろう。まぁ何にせよ。
「僕は死んでないよ。死んでないから戻ってこれたんだ」
「あ? んなの見ればわかるわ」
きっと僕とこいつでは認識が異なっている。いや、言葉の重みが違い過ぎている。
「つーかなんで死んでねぇの? 死んでればよかったのによ。みんな期待してたんだぜ? お前が死んでくれていることに」
僕に近づいてきているのはこいつだけだが、クラス中からの視線を感じる。この発言は本当なのだろう。本当に俺が死ぬことを期待している。
昔の僕はこれに耐えられなかった。僕の何が悪いのかわからない。何もしていないのに虐げられるこの感覚。これがどうしても耐えられなかった。
「……そうだな」
だが今では何とも思わない。思えなくなっていた。何も悪くなくても死を望まれるこの感覚は、1ヶ月間絶えず浴び続けたものだったから。
「お前はみんなの期待を裏切ってるんだぜ? いけないよな、期待を裏切るのは。おら死ねよ。その窓から飛び降りてさ。ほらとーべ! とーべ!」
教室に跳べというコールと手拍子の音が木霊する。なんだろうな……このなつかしさは。そうだ、あの時の感覚と似ているんだ。
1ヶ月前のデスゲーム初戦。デスゲーム中は心理戦や単純な殺し合いなど様々なゲームが行われたが、初戦は多数決ゲームだった。
1000人の参加者の中から一人を殺せ。シンプルで最も死者の少ないゲーム。
実際に参加したのは997人。イベントが始まる前に脱出しようとした奴がレーザーで焼かれ、司会者のギルに殴りかかった奴が銃殺され、死の恐怖に狂った奴がナイフで刺された。
この時の内容はよく覚えていない。誰が死ぬべきか。そういう話を997人でしていた気がする。
怖かった。死にたいと思っていたはずなのに、実際に死んだ人たちを。何も言葉を発せなくなった死体を見てしまったら。死ぬことがどうしようもなく怖くなってしまったんだ。
そして気づいたら、僕が死ぬことになっていた。気弱そうだったからだろうか。学生だったからだろうか。理由はわからない。ひょっとしたら理由なんてないのかもしれない。それでも僕は、この教室の何十倍もの人間から死を望まれた。
「とーべ! とーべ! とーべ!」
ギルに殴りかかった奴を殺した拳銃を拾った奴が僕に拳銃を渡し、自殺するよう促した。優しさではない。みんな自分の手を汚すのが怖かったから。自分のせいじゃないと多数派に紛れ込み、責任を免れようとしていたから、今と同じように自殺を促された。
そう、同じなんだ。デスゲームも、この教室も同じ。
殺さなければ、殺される。
だから僕がとった行動も同じだった。
「あっ!」
1ヶ月前僕は大声を上げて指をさし、視線を他に誘導させた。今回も同じだ。それに加えて花瓶を黒板に投げつけ、より大きな音で視線を前へと集中させる。そして完全に隙を作ったところで。
「まずは一人目」
1ヶ月前の僕は拳銃を渡してきた男を撃ち殺し。今の僕は金髪を窓の外に放り捨てた。
「……ぁぁぁぁ!」
遥か下で金髪の断末魔が聞こえる。だが突然花瓶が割れた衝撃に比べればたいしたことない。所詮人の死なんてそんなものだ。死はあまりにも日常的に訪れる。誰に対しても。
多数決ゲームはそれで終わった。多数決なんて実際は名ばかり。死ぬべき者を多数決で選ぶゲームじゃない。何でもいいから一人死ねばそれでよかったんだ。加えてその後のゲームでは拳銃を所持しているというアドバンテージがかなり大きかった。なんせ僕は今でも、初めて人を殺した拳銃を所持できているんだから。
「……あれ? 史郎は?」
花瓶が割れたショックからようやく我に返った一人が、金髪が消えたことに疑問を口にする。さて、普通の世界で人を殺してしまった。ちゃんと捜査すれば……いやしなくても、僕が犯人だとすぐにわかるだろう。
でもそれは問題ない。僕は決して捕まらない。その確信は間違っていないだろう。デスゲームの運営は警察や議員にも繋がりがある。なんせデスゲームを観戦していたオーディエンスの中には各国の首脳の姿もあったくらいだ。間違いなくこの殺人は握り潰される。いや、僕に関わる犯罪は全てだ。
デスゲームの中には過去の回での優勝者が参加してきたゲームもあった。僕にはまだ利用価値がある。運営側はそう思っていることだろう。……それにしても。
「……史郎って言うのか」
名前を知れてよかった。僕が最初に殺した拳銃を渡してきた男。顔も声も、死体すらも記憶から剥がれてくれないあの男。だが名前はついぞ知ることができなかった。
それに比べれば史郎とかいう奴の死に様は、幾分かマシだと僕は思った。