道先3-2
花之屋 結城の微笑み②
思い返せば、あんな所に喫茶店あるの本当ずるいと思う。すぐ側には公園があって、人で賑わっているのに一本横の通りに入ると並ぶ民家に紛れ込むようにして小さな店がある。一見、店と気づかない程ひっそりとしているが、前を通るとほんのり珈琲の香りが漂う。
最初はどこから香るのか分からなくて「珈琲好きな人が居るのかな」程度だったのだが、散歩の度にいつも香る。しかし、店で検索してもスマホはうんともすんとも言わないし、ナビだって一キロ圏内には飲食店がある事を示さない。
首を傾げながらウロウロ不審者みたいな動きをしていると、木戸を開けて出てきた人が居た。老齢の綺麗なご婦人で「マスター、今日のランチも格別だったわ。ご馳走様でした、また来るわね」
軽いお辞儀をしながら店を出て、チラリとこちらを見てから去って行った。
鶏と生姜を炊いたような良い香りがふわりと風に乗ってこちらを掠めていく。
思わず足が向いたが、結果、入ろうとしたが入店はさせて貰えなかった。
後に判明したが、何と【招待制】の喫茶店だったのだ。ツテなどある訳もなく、マスターさんともお知り合いではない。途方に暮れて散歩の度にここで立ち止まっては肩を落としてこの店は何なのかを想像する事しか出来なかった。
それに転機が訪れたのは、ウロウロし始めてから2週間程たった頃。あんまりにも何度も立っているのを見かねたのか、最初に見たご婦人が声をかけてくれた。
「もし……あなた、この間も、その前も居たわよね?」
突然話しかけられた事に驚いて視線は泳ぎ挙動不審にもなる。
彼女はマスターに掛け合ってくれ、ご婦人からの紹介で特別にと言う形で中へと入れて頂いた。
ただ、出せる物は珈琲と一つの焼き菓子のみだと伝えられた。
食がどんなものが気になっていた為、どんな物が提供されるか分からないと言うのはなかなかに残念であったがここに入れるだけでも特別待遇を受けているのだ。文句は無い。
運ばれてきた珈琲は有り体かもしれないけどスッと爽やかな酸味が最初に来て、それから甘みが通り飲み込む時には香りが変化した事に驚き目を開いた。
舌の先で感じる味と鼻を抜ける香りにこんなに差があるなんて、と脳が処理しきれない事態にまで発展。もう一口、と慌てて啜る。
今度は甘みが先、爽やかな香りが後から追うようにすぅっと抜けていく。色々な所で珈琲を飲んで来たけど、こんな面白い変化のある珈琲は初めてだ。
焼き菓子は一口分のフィナンシェが二つだった。バターの香りが華やかだが、先ほどの珈琲を邪魔しない。余韻も残しながらサックリ、しっとりと言った歯ざわりが楽しいし美味しい。
あぁ、惜しい。出来るなら通いたい。と強く思うが、マスターが招待しない限りはここへ立ち入る事は許されないのだ。……最後までしっかり味わって帰ろう。
口を利いてくれたご婦人には丁寧にお礼を言って、会計をしにマスターの所へ。
「僕がお招きしたお客様以外からはお金は頂きません」
「でも、」
「いいのですよ」
「……こんなに、こんなに美味しくて楽しい珈琲は初めてでした、ご馳走様でした」
精いっぱいのお礼を述べて、顔を上げるとマスターは少しだけ微笑んでいるようだった。
店から出ると、日常の風景が変わらずあるのに、吸い込んだ空気は新緑を感じさせるような爽やかさでとても清々しく満たされた気持ちでいっぱいになる。
もう2度と足を踏み入れられないであろう、魅力溢れる不思議な喫茶店。
最後に店へと向きなおり、ごちそうさまでしたとお辞儀をして帰宅したのだった。
奇跡はそれだけで終わらないが、本人はまだ知る由も無い。