21 姉のことと自分のこと
姉の五十日祭が終わった。
神事をやってくれた万世さんたちが帰ってしまうと、少しほっとした。じいちゃんの一年祭もまとめてやった。でも霊璽に居るはずの二人の姿はやっぱり見えなかった。
──どこに行ってしまったのかなあ。
「サハラ、もういいよ」
サハラの部屋の襖を軽く叩くと、神事中、住んでるのがばれないように半日近く引きこもっていた彼女がそっと出てきた。
「ずっと勉強してた。期末テストはいい感じになりそう」
「はは。俺にも教えて」
やっと2階の部屋から出られたサハラが台所に行ったのと入れ違いに、居間と続きになった部屋にスズシロが居た。神封じの白い紙を取った御霊舎を眺めていた。
『話してやる。スイのことを』
瑞は、8歳の時にこの神社に人づてに預けられた。
人に見えないものが見える。小さな頃は、周囲の人もそのうち言わなくなるだろうと思っていたが、口が達者になるにつれて、ますます話が具体的になっていった。
その人にくっついている人がいるよ、どこそこの誰々さんで、こんなことをされたと言っている。あの角にこんな服を着て、傘を持った人がずっと立ってるよ……。
『スイは、サハラとか言う娘と違って、魍魎や漂う魂に話しかけてしまう娘だった。そんなことをされたらそんなものは大喜びで取り憑く。普通の生活がどんどん難しくなる。祓う力はない。サハラの方も、進んで干渉していないのに憑かれていただろう。それでいちいち祓うわけにもいかず、昭衛が預かることになった。この神社の鳥居の内側なら、よほどのことがない限り、ちょっとしがみついたくらいのものは入れないからな』
ただそれが、逆に霊能力の証左になってしまった。娘の頭がおかしいんじゃないかと疑っていた瑞の両親は、今度はその能力を金にしようと考えた。
休みの日が来るたびに、彼らは娘に巫女の格好をさせ、霊視させて依頼者から金を取った。お祓いはそれらしいのを吹き込んだ。
昭衛は当然、やめさせようとしたが、スイは実の親と会えるのを楽しみにしていたし、その親から「じゃあ預けるのをやめる」と言われることを考えると、スイの行く末を思えばこの神社に居たほうがいい。そのうち本当にお祓いもなんとかできるようになるかも知れない。
黙って見守ることしかできなかった。
『お前、自分が何歳でここに来たのか覚えているか?』
「え? 俺? いや……生まれた時から住んでたと思ってた」
『ふん。お前は5歳でここに来た。数えではないぞ』
「えー! 結構でかくなってからだったんだなあ。全然覚えてないよ……」
10歳になっていた瑞はすぐに気がついた。イチカが、霊の見える自分にさえ見えないものを見ていること。下級の魍魎や霊魂たちがイチカを避けて行くこと。
スイが何かに取り憑かれて帰って来ても、鳥居を潜るか、イチカのそばに寄りさえすれば大抵のものは剥がれる。圧倒的な、天賦の力。イチカが7つになって、そのことに気づいた昭衛がその「神を見る目」を封じたが、霊たちのイチカへの態度が変わるわけではない。
『お前、今ちょっといい気になっているだろう』
「いやー、だってさ。圧倒的な天賦の力とか……」
『何度でも言うがお前の先祖の功績によるんだからな。お前もまた自己を研鑽し、徳を積まないと瞬く間に失うぞ』
瑞はイチカを弟として可愛がったが、その差に苦しんでもいた。見たくないものが見え、救おうとすれば取り憑いてくる。両親が教えてくれたお祓いでは何も落ちない。イチカにはそれらは近寄りさえしないのに。
鳥居をくぐっても落ちないものは昭衛が落としてくれた。でも自分にお祓いは教えてくれない……。
「なんでじいちゃんはスイにお祓いを教えてあげなかったの? 俺にも教えてくれなかったけど、なんでだったの?」
『スイに教えなかったのは、それを教えてしまったら、スイの両親がスイを取り戻して思う存分スイを利用するだろうと思ったからだ。お前に教えなかったのは、お前が自ら学びたいと言うまで待っていたからだ』
「………」
15になった瑞はその筋ではそれなりに有名な霊能力者になっていた。
霊能力者と一口に言っても玉石混交だ。イチカのように神まで見える者もいたが、たいていが口先だけの詐欺師か精神的な病による幻視。
そんな中では瑞は間違いなく本物の霊能力者だった。仕事は次々に舞い込む。若くて端麗な容姿もあって注目もされる。でも彼女にはずっと引っかかっていた。自分より恵まれた弟のことが。
『スイだからそれがわかってしまった、というか、そう思えてしまった。お前こそが』
「え。ちょっと待って」
『お前こそが、魂を救える霊能力者であって、自分は見えるだけに過ぎないと』
「そんなことねーよ」
『そう。そんなことはない。でも瑞はそう思ってしまった。お前を可愛いと思う一方で、お前に対する妬みが膨らんで行った』
その日の依頼は、いつもと違っていた。瑞はいつも通り、母親に連れられてある人の家に行った。県外の家だったので、スズシロにもそこで何があったのかはわからない。でも瑞はその依頼人と一緒に帰ってきた。
『その依頼人は、ヤマノケのような神モドキを憑けていた。まだそんなに神格は高くなくて、お前に見えるか見えないかというところだ。スイの目には見えなかっただろう。だが取り憑かれている依頼人にはそれが見えていた』
スイはおそらく、相対しているのがただの魍魎や霊ではない、何か神格を持ちかけているものだと気づいた。そして依頼人が伊邇のように、神格の高いものが見える人物だということも。
依頼人はどうしても鳥居をくぐれなかった。昭衛の手にも負えないと知っていた白羽様が、それを許さなかったからだ。仕方なく瑞は鳥居の入り口で九字を切った。でもいつもの通り、なんの効果もなかった。昭衛は慌ててお祓いの支度のために社殿に走った。
そこにイチカが顔を出した。
「え? 俺?」
『そう。お前だ』
「覚えてない」
『それはそうだ。お前はその時、神を見る目が閉じられていた。お前はただスイが困っていたから見にきただけだ』
その神モドキは、イチカを見て笑った。
「何で?」
『お前は本来自分の姿が見えるやつだと察したのだろう。依頼人にはそれが見えた。そして「あの子にならなんとかできるかも」と言った。神モドキはただお前に興味を示しただけだったろうが、それでスイの気持ちが爆発してしまった』
なぜ、自分にはできないのか。
なぜ、自分がこんな怖い思いをして、怨霊に取り憑かれ、霊障に苦しみながら多くの人を救おうとしているのにできないのか。
なぜ、それができるはずのイチカはその目を封じられ、のうのうと普通の子のように育っているのか。
『お前が悪いのではない。イチカ』
「………」
『そしてスイはやってはいけないことをやってしまった。強く願ってしまったのだ。「私を見ろ、私はお前の姿を見たい」と』
私こそが。神を見る目を持つべきだ。私こそが、神と同じ霊格を持つべきだ。そのように努力してきた。そうでなければおかしい。
神々よ、私を。私をこそ見よ。私にその顔を向けよ。
そして、神モドキは、俯いて彼女を見た。
『本来、見えぬものは見てはならぬもの。無理に目を注げば必ず災いとなる。スイはその神モドキに囚われた』
「神様のためになることをすれば徳が積まれて霊格が上がるんじゃないの?」
『スイがやっていたことはどの神も望んでいないことだ。自ら神界に首を突っ込んで霊を取り込むなど』
「それで、あんな?」
『そうだ。お前も心に留めておけ。お前がサハラとか言う娘と同じものを見ようとすれば、たちまち大勢の魑魅魍魎に集られて引き摺り込まれるだろう』
スイの魂は神モドキに囚われ、体は眠り続けた。そのうち神モドキはスイの魂と同化し、スイの中にあった嫉妬や恨みを取り込んだ。それは根付き、巣食って、スイの肉体が終わると同時に羽化した。
『だから、あの時お前を襲ったのはスイであってスイではない。神モドキとスイの暗い部分が混じり合った、怨霊や妖怪に近いものだ。まあ……富士の山で言ったら、六合目、七合目というところかな……こっちへ来い』
スズシロは玄関から境内へ出た。イチカもそれに続く。白い背が神社の裏側、人のほとんど入らない、放置された大きな庭石の側に来た。
『見えるか?』
黄昏時だった。イチカは西日の眩しさに目を細めながら、その鼻先が示した暗がりを見た。
石の影の中に、薄紫色の誰かが蹲っていた。
その誰かは身を固くして俯いている。白に近い薄紫の髪は背中を覆い、肌は血の気がない。ヒトではない。でもイチカは直感した。
「姉ちゃん?」
その人物はぴくりともしない。横の石と同化しているかのようだ。スズシロが教えてくれなかったら、掃除の時も気がつかなかったかも知れない。
『正確にはお前の姉ではもうない。スイを捕らえた神モドキと、スイの魂と、神となった昭衛が混じり合っている』
「じいちゃんも……」
『そう。あの時、昭衛は自らの魂にスイを取り込んだ。昭衛はもう神になっていたから、穢れであるスイの遺体に戻れずにここに飛んできた』
「ずっとここにいたってこと?」
『そう。今日、スイの御霊が五十日祭を経て神格を得るまで、お前の目に見えなかった。骸を依代にしたために霊格が落ちていたのでな』
「これからもずっとこのままなの?」
『それはお前次第だ』
「俺? どうすればいいの?」
『お前はどうしたい』
「またそれか! 教えてくれたっていいだろ」
スズシロはきゅうと目を細めてイチカを見た。
『私がああしろこうしろと言うのは簡単だ。でもこれはお前に与えられた課題なのだ。お前が答えを出さなければお前がお前である意味がなくなってしまう。わかるか?』
「……わからない」
『ふん。いいか、イチカ。例えば宿命、というものがある。その人間が生まれてきた理由、人生を賭けて解決するべき命題というやつだ。それに他人が答えを出してはならないのだ』
「これが俺の宿命なの?」
『お前の課題の一つではある。お前の宿命は』
「俺の宿命は?」
『……それも私が教えることではない。それに、もう既にお前はそのことを知っている。さあ、自分で考えろ。どうしたい』
どうしたい。




