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20 夜と夜明け

 眠らないつもりでいて、はっと気がつくとサハラと互いにもたれるようにして眠っていた。明け方。流石に寒い。イチカが自分が使っていた毛布をサハラに掛けてやると、サハラも目を開けた。


「あ。ごめん。まだ寝てて……もうだめか。家に戻らないといけないよね」

「うん。そうね」


 眠そうに目を擦る。付き合わせて悪かったな……。

 姉は苦悶の表情で固まったきりだ。


 始発のバスが出る時間になって、サハラを見送りに玄関を開けた。白い背中と黒い背中がこちらを向いていた。


「スズシロ? 黒狗(くろいぬ)?」


 スズシロがこちらに半身をひねり、黒狗が駆けてきて玄関からはみ出た手の匂いをくんくんと嗅いだ。


「何かいるんだよね、私に見えないけど」


 しまったと思った。ついサハラの前で二匹に声を掛けてしまった。


「たまに、気配があったの。イチくん、私がいないと何かと話してたでしょ。私にしか見えないものとイチくんにしか見えないものがあるのわかってたから、イチくんには見える何かなんだなあって。話してくれるといいのにって思ってた」

「うん……なんて言ったらいいかわかんなくて。ごめん」

「帰ってきたら、話してくれる?」

「うん」


 サハラはにっこり笑って、バス停に駆けて行った。


『酷い目にあっただろう』

「スズシロ! 知ってたのかよ?」

『あの娘が禍々しいものになっているのは予想がついていた。まあ、後で話してやる。通夜祭と遷霊祭を終わらせることだ』

「………なんで黒狗が?」

『白羽様がお前を心配して貸してくださったのだ。お前はよくよく愛されているな。それがどんなに光栄なことか考えろ。葉の一枚、虫の一匹さえ白羽様がお護り下さっている、その森羅万象の中で唯一お前に飼い犬を貸してくださるのだ』

「うん」

『お前は決して一人ではない』

「うん」


 スズシロがスズシロなりに励ましてくれているのがわかった。


「スズシロも、ありがとう」

『ふん。私はお前のお守りを任されているからな』





 神葬祭(しんそうさい)は万世さんが全部取り仕切ってくれた。イチカはじいちゃんの時と同じで、やれと示されたことだけやれば良かった。もう魂がそこにないと知っている遷霊祭(せんれいさい)は不思議な感じがした。


 じいちゃんと姉ちゃんの魂はどこに行ったんだろうな。


 次の神事までやることがなくなった時、スズシロが家に来た。十日祭という、初七日にあたる儀式が終わって、納骨が済んでからだった。姉の親はついに顔を見せることはなかった。


 その日、夕食をサハラと食べてテレビを見ていたら、いつの間にか隣にスズシロがいた。


「サハラ、今スズシロがいる。よう、スズシロ。おすわり」

『犬扱いするなと言うに』

「油揚げ出した方がいいのかな?」

『なかなか気の利く娘だな』

「いるって」


 サハラが台所に油揚げを取りに行っている間、スズシロはまだ神棚封じの白い紙が貼ってある御霊舎(みたまや)を眺めていた。


『私のことを話したのか?』

「うん。ほら、家の中から急に女の子が出てきた件とか。とっくに何かいるってバレてたんだよ。いつも油揚げだのお神酒だの出してるし」

『なるほどな』


 目の前に油揚げを置かれたスズシロはうまそうに匂いを嗅いだ。


『お前に見せたいものがあるのだ、今夜』

「今夜?」

『そう』


 てっきり姉のことを話しにきたのかと思った。どうやら違うらしい。


「今夜俺に見せたい物があるって言ってる」

「そうなの? 何? 私に見える?」

『その娘には見えない。お前だけだ、イチカ』

「俺だけだって」

「つまんないの」

『塩水でうがいしろ。寒いから厚着しろ。準備ができたら境内に行くぞ』



 境内は真っ暗だった。鳥居の外の街灯の明かりだけ。スズシロが光って見える。


『そろそろ始まる』


 スズシロに促されて、神社の境内の隅、じいちゃんがよく座っていた長椅子に座る。なんだと言うんだろう。さっぱりわからない。息が白い。頬をちりちりと空気が冷やしていく。


 耳が痛くなるほどに、なんの音もしない。




 と、空中に突然かがり火が灯った。ぽっ、ぽっと軽い音がして、いきなり辺りが明るくなる。境内の中央に白羽様が立っていた。


 いつもは真っ白な服の白羽様が、今日は紺色に金糸の七宝つなぎの柄の入った着物を着ている。目尻に金と朱。手には鈴。シャン、と白羽様が鈴を振る。


 かがり火の中で、白羽様は舞い始めた。音楽はない。ただその手にした鈴が時々、音を立てる。空には星。


 その踊りはゆっくりとして、能を思わせる。しばらく何も考えずただその光景を見ていた。


『……今夜はなんの日だ、イチカ』

「え。なんだろ……22日? えーと、お前の誕生日とか?」

『うつけ。今日は冬至。太陽が(つい)える日だ。白羽様は朝日が昇るまでこのように神楽を舞って太陽を呼び戻す』

「呼び戻すったって、地球は太陽を公転して自転してんだからほっとけばまた朝になるだろ?」

『お前は本当にそう思っているのか? お前は、お前の身の回りに起こるすべてのことは、勝手にそうなっていると思っているのか』

「いや、だってさ」

『地球が自転するから明日また日が昇る、それは一つの考え方かも知れぬ。でも明日、その公転が、自転が止まるとは思わないのか。風が吹き、雨が降ることも当たり前のことではない。今日と変わらず夜が東から明け、西に日が暮れることを約束するものは何もないのだ』

「………」

『白羽様のような神々は、お前たちの、この世界の、(ことわり)(ことわり)たらしめんとこのように、お力を注いでお護り下さっている』


 シャン、と鈴の音が響く。


 (ことわり)を。

 明日、日が昇ることは当たり前のことではない……。


「いつまで白羽様は踊るの?」

『日が昇るまで』

「え? 朝まで10時間くらいあるけど」

『まだわからないのか? 10時間後に日が必ず昇ると思っているのか? 10時間踊るのではない。日が昇るまで、潰えた日が蘇るまでいつまでも踊られるのだ』

「……どうして」

『お前たちのために。白羽様だけではない。今夜、役割を持った全ての神々は、日を呼び戻すために謡い踊り祈るのだ』

「…………」

『私が白羽様にお仕えして三百年経つが、一度も夜が明けなかったことはない』



 シャン。



 スズシロが「神は人の願いを聞くためにいるのではない」と言うたびに、じゃあ何をしているのかと思っていた。


 白羽様は忙しいのだと言われるたびに、何がそんなに忙しいのかと思っていた。


 「葉の一枚、虫の一匹さえ白羽様がお護りくださっている」という意味が、ようやくわかった。


『古来、人々はそれを知っていたぞ。だからこそ、神の労を汲んで敬い、祀ってきた。イチカ、お前は神を見ることのできる目を持っている。その目に焼き付けるが良い』



 シャン。



 かがり火のはぜる音。白羽様はゆっくりと、延々と踊り続ける。そういえば幼い頃、この鈴の音を聞いた気がする。クリスマス近かったから、サンタのそりの音だと思った。

 


 シャン。



 明日も朝日が昇りますように。



 炎のゆらめきの中で踊る白羽様を見ていたら、なぜか涙が出た。白羽様の切実な祈りが、沁みてきたみたいだった。力を失った太陽が、明日力を取り戻しますように。



 ──全ての魂を持つものたちに、また光が差しますように。



 どこかで自分は不幸だと思っていた。


 親もいない。親代わりの祖父は死んでしまった。姉も俺を憎んで死んだ。神様が見えたとしても、神様は願いを叶えてくれるわけでも悩みを解決してくれるわけでもない……。


 でもそんなことは、日が昇り日が暮れる、晴れの日と雨の日が繰り返される、そういうことを当たり前に享受した上でのことだった。それを誰かが願い、保ってくれているとは……


 思ったことがなかった。


 ──俺には生きているだけで、護ってくれる人がいたんだ。


『夏至の6月と、今月の末に本来なら神事を行う。この日々の神の尽力に礼を述べるのだ。お前もやる気があるならやれ』


「やる」


『また「えー」と来ると思ったが、良い心がけだ。教えてやる』

「うん」



 

 白羽様、鳥は、虫は、木の葉は、あなたにお礼を言うでしょうか。


 もしそうしないなら、全てに代わってあなたにお礼を言いたい。



 昨日も、今日も、明日も、日が昇り日が暮れる、同じように時間が流れる。そのことに。


「神様ってほんとうにいたんだねえ」

『ふん』







 


 










 

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